第27話 うさぎ島

『大久野島は、広島県竹原市忠海の沖合に浮かぶ周囲4.3kmの小さな島。

 野生のうさぎが約千羽生息していることから、「うさぎ島」という愛称で親しまれています』

 うららは何度もそれを繰り返し読みながら心を踊らせていた。お母さんと一緒に用意した人参の皮やキャベツを持参し、テレビ画面に映っていた沢山のうさぎを想像する。

 大きなうさぎの背中に乗り、ジャンプをする夢を見た。フワフワのマシュマロみたいな感触を想像する。

 そして今、約五時間の道のりを越え、うららは意気揚々と下船したのだった。

「…………」

 うららは船着き場で周りを見回した。観光客が数人ちらほら見えるが、うさぎの姿は無い。カンカン照りの日差しが半袖の腕を容赦無く攻撃し、額から汗が流れた。

 うららは恐る恐る、隣の乾を見やった。すると太郎が、うららの手を引く。

「車に轢かれては危ないのでの、道路には居ないのであろう。少々探して見ようではないか」

 太郎に背中を押され、歩を進める。乾は道路脇の木陰で寝転がっている茶色いうさぎを見つけたが、うららと太郎には黙っていた。ウォーリーを探せならぬ、うさぎを探せのつもりだったのだが、うららは中々見つけられない。

「ほれ、浜路姫、あれに!」

 やっと太郎が夾竹桃の木下に横たわる茶色いうさぎを見つけたが、うららは太郎の指し示す先を凝視しても解らなかった。二メートル、一メートルと近付き、木陰と砂の色に同化した一匹のうさぎをうさぎと認識するのに時間がかかった。

「わあ!」

 うららが驚いて声を上げた途端、うさぎの方が驚いて颯爽と木陰の奥へ走って行ってしまった。

「うららちゃん、うさぎは耳が良いから、叫んだり、大声出したらダメよ」

 乾にそう言われたが、うららはしょんぼりとしている。そんなうららの手を太郎はまた引いた。

「ほれほれ、浜路姫、まだ始まった所である。もっと奥へ行って見ようではないか!」

 うららは泣きそうになりながらも頷いた。うさぎが沢山出て来た動画を思い出しながら、左右の足元を気にして歩く。やっと躑躅の下に寝転がったうさぎを見つけると、うららは声を殺した。細い人参の皮を一本取り出し、うさぎのそばへ差し出すが、うさぎは見向きもしない。

「うさぎはあまり目が良くないから、口元に持って行ってあげて」

 乾の説明で、うららは茶色いうさぎの口元へ人参の皮を差し出す。けれどもふいっとうさぎが顔を背けると、うららは嫌われたと思って顔を顰めた。再びうさぎの口へ押し付けるが、やはりついと向こうへ顔を向けてしまう。うららの目に涙が浮かぶと、太郎が声をかけた。

「きっとお腹がいっぱいなのである」

 意気消沈したうららに太郎が声をかけた。理想と現実の相違に落胆し、もう俯いてうさぎを探そうとしなかった。

「浜路姫、海である」「浜路姫、ほれ、海風が気持ちいいのである」

 太郎はずっとにこにこして話しかけていたが、うららはうさぎにそっぽを向かれたのが悲しくてずっと落ち込んでいた。

 段々観光客の姿が無くなると、太郎は乾に貰ったうさぎの餌の入った袋をシャカシャカと鳴らした。山の茂みから一、二羽、黒と小麦色のうさぎが顔を出した。太郎もそれに気付いてうららの手を引く。

「浜路姫、今日は暑いでありますな。そこの木陰に参りましょう」

 太郎に連れられて木々の下へ行くと、うららの足元に茶色いうさぎが二羽駆け寄った。

「……!!?」

 驚いて声を上げそうになるのを堪え、周りを見回す。太郎が袋を振ると、あっちの木陰から、こっちの穴からとうさぎがどんどん出て来て集まった。うさぎが後ろ足だけで立ち上がると、うららは嬉しさと驚きで目を輝かせた。

「ほれ、浜路姫、皆、お腹が空いているのである」

 太郎に急かされ、うららは人参の皮を一本取り出すと、あっという間に引っ手繰られ、一本の細い人参を取り合っている。太郎も餌を置いてやると、うさぎがわらわらやって来て白や黒や茶色のうさぎが全部で七匹、二人を取り囲む様に餌を食べていた。

 うららがやっと笑顔になると、乾はそんな二人を写真におさめていた。

 


 うららは足に違和感を感じた。何か踏んだらしい。固くて少し痛い。とんとんっとつま先を地面に突くが、どうやら取れない。うららは道の端に寄って右足の靴を脱ぐと、裏を見た。

「どうした?」

 後ろからついてきていた乾がうららに聞くと、うららの靴の裏を見た。太郎もそれを見て一瞬目を輝かせる。

「なんと! 貝の火ではないか!」

 うららの靴の裏に五ミリ程の丸い宝石が一つ付いていた。赤や黄色や緑が一つの宝石の中に閉じ込められている。乾はまさかそれが本物とは思えず、うららの靴を取った。

「取ってあげるね」

 乾も、その時までその石が靴の溝に挟まったのだと思っていた。指先で摘まむが、中々取れない。やっと靴底から細い針が抜けると、太郎と乾は血の気が引いて真っ青になった。ただの石……と思っていたものはピアスだった。

「うららちゃん、足の裏、大丈夫?」

「え? はい……大丈夫です」

「はあ……恐ろしい。こんな罠が仕掛けられておるとは……」

 太郎が冷や汗を流すと、乾はうららに靴を返した。よく見ると、石の部分はレジンで出来ている。乾はうららにピアスを渡した。

「ホモイから逃げた貝の火であろうか?」

 そんなわけは無いと太郎も解ってはいるが、ついついそんな事を言ってしまった。

 うららはその綺麗なピアスを眺めた。まるで宮沢賢治の貝の火に似たその石に目を輝かせる。うららはそのピアスを大事に持つと乗船場に居た係員に届けていた。



 太郎とうららは乗船場の時計と睨めっこをしていた。時間は只今夕方五時。大三島行きの最後の便の出発は四時三十九分。するとうららが声を上げた。

「泳いで渡る?」

「流石にそれは現実的じゃあないなぁ」

 乾が応えると、太郎が口を開いた。

「で、では、一度広島行きの船に乗り、そこからしまなみ海道を歩いて大三島へ行けば良いのである」

「あ〜……まあ、良い考えだが……島に泊まるのはどうだ?」

 乾の提案に二人は目を瞬かせた。うららはさっき横目に見た廃墟を思い出し、顔を真っ青にする。

「さっきの廃墟ですか?」

「浜路姫、あそこは立入禁止である。仕方ない、この太郎めが野宿のイロハを教えてしんぜよう……」

「学校みたいな建物あったの見たよな? あれ、ホテルなんだが……」

「爺様が言っていたのである。カプセルホテル意外は全部高級ホテルであると!」

「ケチ爺め……あ〜じゃあ、良いや」

 乾はそう呟くと、太郎とうららを案内した。



 太郎はハンモックに横たわって夜空を見上げていた。あの後、二人はキャンプ場に連れて行かれ、飯盒炊飯とバーベキューに勤しんだ。他のキャンプ客の子供達と花火やキャンプファイヤーをし、ホテルの温泉に入ってうららは早々にテントのエアーベッドで寝落ちしてしまった。太郎は何だか夢を見ているようで、眠ったら夢から覚めてしまうのでは無いかと少し淋しく思った。夜行性のうさぎがカサカサとそこここで音を立てている。

「そろそろ寝るぞ」

 乾に呼ばれ、太郎はテントの中へ入った。エアーベッドに横になり、テントの入口から外を眺めると、長い耳のうさぎが二羽、行ったり来たりしている。

「心配か?」

 乾が聞くと、太郎は頷いた。

「心配しなくても、天気予報では明日も晴れだから、船は来るって」

「そうでは無いのである」

 太郎は乾が誤解しているのだと思った。

「あまりにも楽しすぎて、家に帰りたく無いと思ってしまったのである」

「そりゃあ良かった」

 乾がそう言うと、太郎は不思議そうに乾を見た。

「そう言ってもらえるとこっちも誘った甲斐がある。うららだけだと、伽が居なくて寂しい思いをさせるだろうなと思ってたし、親がいなくてもうららがぐずらなかったのは太郎のお陰だ。逆に、太郎には我慢ばかりさせてしまったと思っていた」

 太郎はにかっと笑った。

「我慢などと……寺には色んな人が来るのである。檀家の位牌の場所に文句を言う人や、寺が山奥にあるから不便だとか、車椅子で寺の中まで入れないのは差別だのと……そういうのを寺で見ているとの、

 四等の船に乗らずんば、誰か八苦の海を渡らん。

 と申しまして、他人に気配りが出来て優しく出来ない者はこの世を楽しく生きられないのでぁr……」

 むにゃむにゃ言いながら上の瞼と下の瞼がくっついた。乾は太郎の体にタオルケットをかけると、眠りについた。

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