第24話 めとはな

 門谷 蓮は朝、右目に違和感を覚えた。目を擦っても、何か視界に入るのである。蓮が母にその事を言うと、蓮の目を見た母が呟いた。

「あら、メバチコね」

 聞いたことのない単語に頭を悩ませていると、母が呟いた。

「大丈夫。眼科へ行って見てもらいましょう。直ぐに治るわ」

 そう言われたが、蓮は気になって仕方が無かった。



 蓮はどうしても目を擦ってしまうので、右目にガーゼを貼り付けられてしまった。目薬を処方してもらい、母と帰宅途中、太郎に会った。

「ややっ?!」

 太郎は蓮の顔を見るなり、驚いた様にそう言った。蓮は恥ずかしくて母の後ろに隠れた。

「どうしたのか?! その……まるで……!」

 きっと笑われるに決まっている。まるで海賊……

「独眼竜政宗ではないか!」

 太郎の言葉に、蓮の頭の中は?マークでいっぱいだった。

「ドク……え? なにそれ?」

 蓮の言葉に母が笑った。

「伊達政宗のことよ。太郎くん、よく知ってるわね」

「いかにも。政宗は幼少の頃、天然痘を患い、右目を失ってしまうのである」

 そこまで話して、はたと太郎は心配になった。

「れ、蓮殿も……その……右目が、取れてしまったので……あるか?」

 明らかに狼狽える太郎の姿が少し面白かった。

「目にイボが出来たんだよ」

「成る程、目イボであるか……」

 太郎は繁々と蓮を見つめていた。

「羨ましいのである」

 蓮は太郎にそう言われ、少し恥ずかしくもあり、嬉しかった。

「そう……かな……」

「政宗といえば不動明王である。不動明王は強さと優しさ、剛と柔を兼ね備えた尊い神様である。この不動明王のようにありたいと呟いたのがあの有名なフレーズ、

 梵天丸もかくありたい。

 である」

 梵天丸? 伊達政宗なのに梵天丸? 否、はじめくんなのに太郎くんと呼んでいるのと同じかな? 渾名みたいなものかなぁ?

 蓮がそう考えている隣で、蓮の母は不思議そうに太郎を見つめていた。

「幼名……だよね? 伊達政宗って仙台の武将じゃなかったかな? あんまり詳しくないんだけど……太郎くんはどれくらい知ってるの?」

「うむ。

 武将の道を修め、学問にも通じ、外国の事情にも思いを馳せて交渉を命じた。文武に秀でた武将とは、実に政宗のことである。

 と、明治天皇が評しているのである。大変素晴らしい方である。

 あともう少し生まれるのが早かったならば天下をとっていたのは伊達政宗に違いないと手前も思うのである!

 それから……」

 延々と止まらぬ太郎の話しに、これは聞くべきでは無かったと後悔した。多分、大好きなのである。息子の葵も蓮も、ゲームの事となれば四六時中喋っていられる。多分、その興味の向く先が、太郎にとっては時代劇だったのだろう。

「馬上少年過ぐ 世平らかにして白髪多し 残躯天の赦す所 楽しまずんば是いかん。

 これは政宗が遺した謎である。この詩、読み方によって解釈が二通り……」

「太郎くん」

 聞くに絶えなくなった蓮が声を掛けた。

「そう言えば太郎くんは何をしてたの? 太郎くんも眼科?」

 蓮が問うと、太郎ははたと気付いた。

「そうであった。実は我が母君に贈る花を探していたのである」

 太郎の言葉で、蓮は眼科の裏庭に向日葵が咲いているのを見た。

「ふ、ふ〜ん……」

「蓮、ママはお買い物して帰るから、太郎くんと遊んでいらっしゃい」

 母がそう言うと、太郎は照れた様に笑い、頭を下げた。



 太郎と蓮は連れ立って農道を歩いた。途中、塾帰りの葵と出くわすと、蓮の顔を見てぎょっとしていた。

「な、何だそれ?」

 蓮が目イボの事を話そうとすると、途端に太郎が喋り始めた。

「先程柿の木に上って遊んでいたのであるが、蓮殿は足を踏み外し、あわや柿の木から落ちたのである。その時、右目の眼球がポンッと飛び出してしまい、あまりにその目が綺麗だったものだからついうっかり食べてしまったのである」

 太郎の話しに葵は目を向いて驚き、再度蓮の顔を見た。そしてガーゼの下の眼球が無い顔を想像する。

「うわっ怖っ……つかキモい」

「嘘である」

「ん〜まあ、そうだろうけど……海賊ごっこでもしてるの?」

 葵の問いに蓮はまたも説明の機会を逃してしまう。

「それは違うのである。こちらは独眼竜政宗である」

「どく……?? まあ、いいや、蓮、そんなの顔に貼ってウロチョロしてたら笑われるからな?」

 葵がそう言って行ってしまうと、蓮は少し困っていた。目イボなんだけどな……

「そう言えば、太郎くんのお母さん、もう帰ってくるの?」

「本日、退院して寺に戻って来るのである」

「ああ、それで……そうだよね。お祝いだものね。どんな花が良いかな?」

 蓮が聞くと、太郎は腕を組んだ。

「向日葵とか……そう言えば、昨日公民館へ行く畦道に百合の花が咲いてたよ」

「ほほう、百合……」

 太郎は白い大輪の百合の花を想像したが、見に行ってみるとオレンジ色の天蓋百合だった。

「どうかな?」

「うむ……何とも……手前のイメージとはまた違うのである」

 蓮はそう言われると愈々困ってしまった。庭先に咲いている百日草や撫子も太郎の考える花とは違うらしい。花なんてなんでも良いじゃないかと言おうとした時、河原に乾と浜路を見つけた。蓮は女の人にどんな花が良いか聞いてみようと太郎を誘うと、太郎は少し困っていた。

 蓮が乾と浜路に聞くと、二人は顔を見合わせた。

「何でも良いんじゃない?」

 乾がそう言うと、太郎は想像していたのか、苦笑いを浮かべた。

「私も、どんなお花でもプレゼントされたら嬉しいよ?」

「小学生なんだからまだ花言葉なんか気にしなくても良いし、よっぽど変な花じゃなきゃ変な花言葉も無いし」

「花言葉?」

 蓮が聞くと、乾は周りを見渡した。

「向日葵には『憧れ』とか『あなただけを見つめてる』っていう花言葉があるのよ。朝顔は『愛情』『結束』……まあそんなの小学生は気にしなくて良いって。気にしてたらいつまでたっても決まらないし……」

 ふと、乾は蓮の顔を見て空を見上げた。

「……まあ、藤はもう時期終わってるし……」

 蓮は何故、自分の顔を見て藤と言われたのか解らなかった。名前が蓮だから、蓮の花を連想するなら解るのだけど……

「え? 何で藤?」

「伊達政宗が朝鮮出兵の時に藤の花を持ち帰ったのは有名でしょ」

 太郎が頷くが、蓮と浜路は首を傾げた。

「どうして乾さんも、この目のガーゼを見て、その伊達政宗って人を連想するの? 海賊とかじゃないの?」

 蓮に聞かれ、乾は浜路を見た。

「うららちゃん、伊達って聞いて何を連想する?」

 うららは驚いていたが、何度か瞬きして答えた。

「昨日、連れて行って頂いた宇和島城のお殿様……かな?」

 うららが辿々しく言うと、太郎が背筋を伸ばした。

「何……なんと?!」

「はは〜ん。太郎、知らなかったな? 初代宇和島藩主は伊達政宗の息子の伊達秀宗だ。だから割りと、この辺では海賊って連想するより、独眼竜政宗って思う人の方が多いんだよ」

「何……宇和島藩主……伊達政宗の息子? それは存じませんでした……」

 太郎が目を輝かせると、乾は冷や汗を流した。

「まあ……今度連れて行ってやるよ」

「是非是非! 仙台とここ四国とでは結構距離があるのですが、何故に伊達政宗の子は宇和島を治める事になったので……」

「まあ、そこは宿題にしようか」

 乾が呟くと、太郎は拳を握り、小刻みに震えていた。

「蓮殿! これはドラマである! 大変面白い事を知ってしまったのである! いざ、図書館へ参ろうではないか!」

 太郎はそう言うと、蓮の手を引いた。

 え? 花は?

 と困惑したが、太郎があまりにも楽しそうだったのでまあ良いかと思った。



 祥花は退院して寺に戻ると、太郎が部屋で何か本を読んでいるのを見つけて声をかけるか悩んだ。何かに没頭しているのだろう。てっきり、喜んで迎えに出てくれるものと思っていたから少し寂しい気もするが、あの子からすれば、知らないおばさんが来たのと変わらないのかもしれない……

「母上!」

 本を読んでいた太郎が、車椅子に乗った祥花の下へ駆け寄って来た。何か本を持っているらしい。

「母上! ご存知ですか? 伊達政宗の息子、伊達秀宗は、初代宇和島藩主なのである! 四歳の時、豊臣秀吉の人質として伏見城に……」

 太郎が連々と覚えたての知識を披露すると、祥花は何度も頷いていた。自分はまだまだ、息子の事を何も知らないのだ。だから今まで彼の話を聞いてあげられなかった分、全部聞いてあげるつもりだった。けれども太郎が不意に話を止めてしまうと、祥花は首を傾げた。

「どうしたの?」

「うむ。母上にお花をと探しておりましたのに、いつの間にか歴史にのめり込んでしまったのである……」

 祥花はにこりと笑うと、太郎の頭を撫でた。

「父母には朝夕に孝せよと実語教にも……」

「お花なら、もう沢山貰ったわよ」

 祥花の言葉に太郎は首を傾げた。

「沢山、『おはな』しをしてくれたでしょう?」

 祥花の言葉に太郎はにんまりと笑った。

「本日は、友の蓮殿が右目にイボが出来まして、ガーゼをつけていたのである」

「ああ……それで伊達の……」

 祥花は太郎の延々と続く話を最後まで聞いていた。

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