第22話 思い出

 太郎のお陰で務所へ入らずに済んだ誘拐犯、曾良 洋はお寺のお世話になっていた。と言っても、寺の掃除やら本や経典の虫干しやら、庭や墓地の草引きやらと毎日なんやかや動き回っていた。否、動かされていたと言った方が間違いない。木陰でサボろうものなら、太郎誘拐事件の噂が広まってしまっていたものだから、墓参りに来た人に声をかけられ、檀家さんにも睨まれ、この里に居ると何処へ行っても見張られている気分だった。

 ご飯は用意してもらえるし、雨風凌げる納屋に置いてもらえる。自己破産の手続きなんかも色々と手伝ってもらってしまった。だから自分の行いの悪さで陰口を叩かれるのも致し方ない。けれども、やはり数日もするとここから逃げ出したくなる。

 あれやこれやと考えながら草引きをしていると、太郎が遊びに来たらしい。今日から三連休か……子供は良いもんだなぁと考えながら、自分にもそんな頃があったと懐かしくなる。もうすぐ夏休みかぁ……お盆には母方の墓参りに毎年フェリーで行っていて、そうそう、丁度今の太郎と同い年の時に母方の祖母が亡くなったのだ。あの時、親戚一同が寄り集まって、葬式の後に皆でご飯を食べたのだ。従兄弟の竜兄や、秋ちゃん……今頃どうしてるかなぁ……あの頃が一番楽しかったなぁ……

 思わず、思い出し笑いをした。従兄弟は皆、年齢が近かったので仲良く遊んだ記憶しかない。それは年に一回、中学受験前までしか会わなかったからだろう。

 ふと、太郎がブツブツと呟きながら寺の裏へ周るのが目に入った。

 あの頃の自分が、今の自分を見たらどう思うだろう? こんな大人になんかなりたくないと言っただろう。あの頃、自分はどんな大人に憧れていただろう?

 一つしか年の違わない従兄弟の竜兄が妙に恋しくなって来た。一度だけ、釣り堀で魚釣りをした覚えがあった。釣れたは良いが、勢い良く跳ねる魚に驚き、魚の口に刺さった釣り針を取るのが怖くて、竜兄に取ってもらった。父親から、同じ男なのに情けないとか、歳が一つしか変わらないのに駄目な奴だと言われたっけ。

 会いたいなぁ……今、何をしているんだろうか……まさか向こうは、自分がこんな体たらくに落ちぶれているなどと想像もしないだろう。

 不意に、何故竜兄が仲良くしてくれたのか不思議に思った。あの頃から自分は鈍臭くて、年下の秋ちゃんからも呆れられていた。よく思い返してみると、後にも先にも、あんなに仲良くしてもらった思い出は竜兄くらいなものである。近所の同級生も、学校のクラスメイトも、こんな自分を気にかけてはくれなかった。否、気にかけてもらったのに、思い出せないのかもしれない。

「洋殿」

 急に、声をかけられて驚いた。いつの間にか太郎がお盆を持って立っている。盆にはガラスコップが置かれ、その中には麦茶が注がれていた。

「そろそろお茶にしてはどうかの?」

 太郎の誘いに少し気不味いながらも頷いてお茶を取った。

「太郎くんは、どうしておじさんにこんなに良くしてくれるんだい?」

 太郎は首を傾げ、不思議そうな顔をした。

「良いとは何であろう? こんな炎天下の中、寺へ来る檀家さんの為に朝から汗水垂らして草引きをして下さる貴い人に茶を出す事は当然のことである。熱中症にでもなっては大変であろう?」

 太郎の言葉に首を傾げた。

「檀家さんの為? でも、太郎くんのお爺さんに言われたから、草引きをしているんだよ」

「おや、おかしなことを仰る」

 太郎は背筋を伸ばすと、きっと洋を見上げた。

「爺様が言ったからとて、知らぬ顔をして逃げてしまう者もおるし、嫌がって仮病を使う者もおる」

 意外な言葉にぎょっとした。しまった。その手があったかと思ったが、時既に遅し……何故、自分はこういう所に知恵が回らないのだろうかと自分が嫌になる。

「人生とは、重き荷を背負って道を行く事である。その人の道を、後の者達が歩きやすいように草を一本引き、転ばない様に穴を埋め、石を退ける。それが先人達の役目である。先人の誰か一人が草一本引くことを疎かにすると、草が蔓延り、虫が湧き、直ぐ山や森と変わらなくなってしまう。森になっては、鼬や熊が出て来る。そこをまた人の道に戻すのは相当な苦労を伴う。

 であるから、きっかけはどうあれ、洋殿が小善を積んでおることに変わりはない。小善は皆、積むのを嫌がるが、率先して小善を積まれる洋殿はとても出来た大人である。過去の行いはどうあれ、今は我々の鏡である」

 そこまで言われてしまうと、今更腹が痛いと仮病を使うのも何だか決まりが悪い。

「洋殿は元々、心根の良い人なのであろう。ただ、悪い縁を引き当ててしまったのは悪因悪果と言って、自らの行いの結果である。甘んじて受け入れれば、仏様も赦して下さる」

 それを聞くと、麦茶を飲み干した。冷たいお茶が喉を潤し、胃の中へ沈んでいく。

「仏様が赦してくれたら、どうなるんだい? 天国にでも連れて行ってもらえるのかい?」

 洋にとっては神も仏も馬鹿馬鹿しかった。小学一年生の言うことだ。天国でも極楽でも連れて行って貰えるから良い子にしていろと爺から聞かされているのだろうと思っていた。

「ははぁ……まあそれも一つの手ではあるかも知れませんの」

 太郎の意外な言葉に虚を突かれた。

「手前はまだ死んだ事が無い故、あの世の事はよく解らないのである。ただ、もし、あの世というものがあったなら、この世で小善を積んでおくに越したことはありません。お金はあの世へ持っていけませんが、徳は持っていけます。けれども太郎めはあの世なんぞ無かったとしても、騙されてしまったと悔しがる程出来た人間ではありません。この世で皆と小善を積み、この世がより良くなればそれで良いのである。洋殿はそうは思いませんかな?」

 てっきり、悪い事をしたら地獄へ落ちるぞと責められるものと思っていたのに、この子は子供ながらキレ者だと思った。こいつはテレビ局にでも連れていけばお金儲け出来るのではないかと思ったが、自分の欲目に太郎を利用するのかと葛藤する。いや、でも待てよ。太郎だって子供である。きっと新しいゲームが欲しいとか、もっと都会の綺麗な所に住みたいとかそう思っているに違いない。だから自分の考えはある意味人助けである。

「俺は坊主じゃないからよく解らねぇが、太郎くんも何か欲しいモノはあるだろう? お金が欲しいとか思わないのかい?」

 太郎は口をへの字に曲げたが、直ぐににやりと笑った。

「今の所足りておる」

「じゃあ何処か行きたい所とか……」

 太郎は洋の欲の頭が目に見えたので眉毛を上げたり下げたりしてみた。洋はその顔がなんだか可笑しくて、何故そんな顔をするのか解らなかった。

「八正道は広しと雖も、十悪の人は往かず。

無為の都に楽しむと雖も、報逸の輩は遊ばず。

 と、申しましての、どんなに楽しい所へ行っても、あれが欲しい、これがしたいと自分勝手な振る舞いをしていては何処へ行っても遊べはしないのである。洋殿も、お金が欲しいと考えて、道を外れてしまったのであろう?」

「でも、お金が無いと何も出来ないじゃないか」

「ほう。では、お金とは幾らあれば良いのであろう?」

 洋は腕を組んで首を傾げた。十万……では足りない。百万あったら……いや、先の事を考えると……

「幾らあっても足りぬであろう?」

 太郎の言葉にゆっくりと頷いた。

「洋殿、以前、手前が五千円は高いか安いかとお聞きした時、洋殿は安いと仰った」

 洋は太郎を誘拐した時の事を思い出して頷いた。

「これは高瀬舟に出て来る、遠島へ送られる罪人が貰う二百文のことである」

 洋はこの高瀬舟の話しを知らなかった。だから舟なのに何故罪人が出てくるのかなど理解できなかった。

「この罪人はお上から頂いた二百文を財産として喜ぶのである。この二百文を、新たな仕事の元手にしようと楽しみながら京を離れるのである」

 洋はその話しにぎょっとした。たった五千円を『財産』……五千円で新しい仕事の元手など、自分には考えられない事だった。しかも、たった五千円で街から離れ、島に送られるなど、自分では想像がつかない。五千円では更生の足しにもならない。家賃だって払えない。自分だったら、なんて酷い刑だと嘆くだろう。それを楽しみにするなど、想像出来なかった。

「元々、お金を持たぬ者にとっては五千円は大金である。手前にとってもそうである。けれども元々、会社に勤めて十万、二十万の給料を貰う者にすれば五千円は微々たるものなのであろう。けれどもこの五千円、二十枚集まると十万になるのである」

 洋は当たり前のことだったのだが、はっとした。

「あれが欲しい、これが欲しい。これが手に入れば次はこれ、この様にどんどん膨らんで大きくなる。人の欲とは果てがない。だから幾ら金があっても足りない。洋殿は自らの欲望のままにお金を欲して、どうしようもなくなってしまったのであろう?」

「そうは言っても、どうすれば良いんだい?」

 太郎は眉を上げ、口をへの字に曲げた。洋はそんな太郎を見て、小学生相手に意地悪な質問だったと思った。どうもこの子と話しをしていると、相手が小学生であることを忘れてしまう。

「洋殿はゲームがお好きでしたな。そのゲームで、お好きな登場人物はおりますか?」

「登場人物……まあ、自分が動かすキャラクターが一番好きかな?」

「そのキャラクターは、最初からお金持ちで装備が揃っていて、強いのであろうか?」

 太郎の質問に首を横に振った。

「そんなわけ無いだろ。自分で動かして育てて強くするのが楽しいんだ」

「ほほう。では、太郎の好きな二宮尊徳と同じでありますな」

 名前は聞いたことがあったが、何をした人だったろうかと洋は考えた。

「二宮尊徳も貧しい家の子でありましたが、自ら勉強し、田を耕し、やがて大富豪になるのである。太郎はよく、自分ではなく、自分の知っている他の誰であったなら何と答えるであろうかと考えるのである。洋殿も考えてみてはどうであろう? その自分が育てたキャラクターとやらに、お金が欲しいがどうすれば良いと思うかと……そのキャラクターであれば、天から金が降ってくるのを待てと言うであろうか?」

 洋は自分の好きなキャラクターが、まさかそんな他人任せで怠惰な事を言うとは思えなかった。

「いや、モンスターを倒しに行けとか言うんだろうな」

「ほほう……そのモンスターは、なんの為に倒すのであろう? お金の為に倒しに行くと、そのキャラクターは言うのであろうか?」

 もし、あのキャラクターがそんな事を言ったら幻滅するだろう。

「いや、村の人を守る為だろうな……」

「ほほう。それは立派である。お金の為ではなく、村人の為という目的があり、その結果、お金が支払われるのであるな。成る程、大変興味深いゲームである」

 それを聞いて洋は何となく何か解った様な気がしたが、上手く言葉に出来なかった。

「本や経典でなくとも構わんのでの、自分の味方を増やす事である。ゲームのキャラクターでも良いし、アニメの主人公でも良い。親でも、兄弟、姉妹、従兄弟……誰だったら、今の自分に必要な言葉をかけてくれるだろう? どのような知恵を授けてくれるだろうと考えるのである。考えても分からなければ、会いに行けば良いのである」

 太郎の話しに洋は目を丸くした。

「会って話してみれば良いのである」

「向こうが迷惑がったりしないだろうか?」

「洋殿は、昔の友達が会いに来て迷惑に思うのであるか?」

 洋はよくよく考えて頭を悩ませた。竜兄だったら、良く来てくれたと言ってくれる様な気もするし……否、もう何十年も会っていないから、向こうもあの頃のままでは無いだろう。やっかまれる可能性の方が高い気がする。

「では、この言葉を授けよう。

 朋有、遠方より来る、また、愉しからずや。

 友達が遠いところから遊びに来て学問の話しをする。これ程楽しい事はない。と孔子も言っておる。

 手前も、そう思うのである」

 太郎はにやりと笑うと、空になったコップを下げて寺へ入って行った。洋はまるで坊さんの説法を聞いた後の様な余韻に浸り、草引きを再開しながらこれからのことを考えていた。

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