第19話 犯人

 浜路 うららの母、茜はパート先からの帰宅途中、妙なワゴン車を見つけた。

 嫌だなぁ……

 住宅街から外れた林の、鬱蒼と生い茂る雑草の中にキャラバンが停まっている。朝、ここを通った時は無かったと思う。直ぐ、嫌な想像が茜の頭の中に浮かんだ。

 自殺だろうか……

 富士の樹海で車に乗り合わせ、排ガス自殺をする……なんて話の本を読んだ事があった。この辺では見ない車だ。遠目にナンバーを確認すると、県外ナンバーである。

 こいつは不味い……

 茜はスマートフォンを取り出した。110番……と思って指先が震えた。

 いやでも、中を確認しないと。ただの勘違いかもしれない。警察を呼んで、何でもありませんでした。となると迷惑な話だ。けれども、中を一人で確認する勇気はない。死体と目が合ったりしたらそれこそ夜も眠れない。だから関わり合いにはなりたくない。

 山で首吊り死体を発見した三人が立て続けに亡くなった話も聞いた事があった。全員五十代だったと聞く……唯の偶然だと言われればそれまでだが、気分の良いものではない。スマートフォンをポケットに終い、他の誰かがなんとかしてくれることを天に祈った。

「おばさん何してるの?」

 不意に声をかけられて心臓が口から飛び出そうになった。振り返ると、小学校三年生くらいの男の子が立っている。

「え、えと……あの車、何してるのかなぁって少し気になって……」

 今、見て見ぬふりをしようとしていたのが何だか後ろめたかった。

「え、何で?」

 何で……そう聞かれて少し考え込んだ。何故、あのワゴン車が妙だと思ったのか? 茜にもよく解らなかった。

「おばさんね、あんな県外ナンバーのキャラバンを見たことが無いの。お仕事で、地域の人のお家を周って居るんだけど……」

「誰かの親戚とかが遊びに来てるんじゃないの?」

 そう言われて少し頭を悩ませた。

「それだったら、お宅の駐車場に停めると思うの。あんな雑木林……裏手の小さな山は古墳って言って、昔の人のお墓だから尚更、おばさんだったら怖いわ」

 子供はそれを聞いて腕を組み、悩んでいる様だった。

「じゃあ、俺が見て来るよ」

 子供の提案に尻込みした。もし、本当に死体とかが乗っていたら、この子が可哀想である。それに、自分のせいで第一発見者になってしまったとなれば、それこそ居た堪れない。

「待って! やっぱり良いわ。おばさんの勘違い!」

 そう叫んだが、子供は興味深そうに車の窓から中を覗き込んだ。けれども黒いゴミ袋で目張りされていて中は見えない。運転席を覗くと、空き缶や空のペットボトル、お菓子やコンビニ弁当のゴミが散乱している。

 茜は慌てて子供の手を取った。

「大丈夫?」

「誰も乗ってないみたいだよ?」

 そう言われ、茜はほっとした。お家へ帰る様に子供を促す。

「えと……君は会った事の無い子ね」

「え、ああ、春にこっちに越して来たから……」

「じゃあ門谷さん所の子ね。おばさんは、浜路 茜と言うの。私の担当地区だから、一度お伺いしたことがあるんだけど、その時は会えなかったね」

 茜の話に子供は不思議そうな顔をした。

「えと、下の子は確かうららと同級生だったから、葵くんの方かな?」

 茜がそう話すと、葵はこくりと頷いた。帰ろうと踵を返すと、スマホが鳴った。慌ててラインを開くと、うららの家庭教師、乾からだ。うららが何かしたのかと内容を開くと、

『県外ナンバーのキャラバンを見つけた人は直ぐ連絡を下さい』

 と書かれていた。茜はちらりと眼の前のキャラバンを一瞥し、再び視線をスマホに戻した。

 ラインに気付かなかった事にしよう……

 事なかれ主義の茜がスマホを仕舞おうとしたが、このライン、既読がついてしまう事を思い出して後悔した。

 何で! こんなもの作ったのよ!

 と天を恨んだ。茜はこのスマートフォンが苦手だった。そもそも、機械に疎い茜にとってこの掌サイズの機械に脳を沸かせていた。

 知らん振りを決め込もう……

 そう。そうやって、娘の事も今迄知らん振りを決め込んできてここまで来てしまったのだ。もっと早くあの子の異常に気付いていたなら……否、気付いていたのに、どうしていいか解らなくてそのままにしていたのだ。本人が苦しんでいたのに、仕事を理由に忙しさにかまけて知らん振りしていた。そこに偶々、乾さんの存在を知り、乾さんに助けて頂いたのだ。それなのに、その乾さんからのラインを無視するのかと、自分の良心が責立てる。

 でも、面倒事には巻き込まれたくない……

 悩みに悩んでいると、葵がその様子に首を傾げた。

「おばさん何してるの?」

「……悩んでるの」

「ああ……なんだっけ、お隣の子が言ってたけど、悩んだ時は取り敢えず行動した方が良いんだってさ。拙速って言うんだっけ? 早目の失敗は、早目に修正がきくから、失敗するなら早い方が良いんだってさ」

 葵の言葉に茜は少し考えた。門谷さんのお隣で小さい子が居るとすれば木曽根さんとこのはじめくんだろう。うららの同級生で、うららに傘を貸してくれた子だ。お寺で育ったからか智の小人だとか、一休さんと呼ばれたりする有名人だ。

 失敗しても、大丈夫……?

 そもそも、失敗とは何だろう? 県外ナンバーのキャラバンを見つけたら連絡する。それに失敗があるのだろうか? もし違う車だったとしても、連絡することに意味があるのではないか? と、茜の中で考えが変わった。面倒臭いとか事なかれ主義な自分に、寄り添い、うららに手を差し伸べてくれた乾に、茜はその場で電話を掛けた。



「本当か?!」

 和尚は法要を終えて帰宅途中だった。帰り掛け、携帯電話が鳴り、電話に出て仰天した。

「直ぐ向かうからの!」

 和尚はスクーターに乗ると、息を弾ませた。脳裏に太郎の姿が思い浮かぶ。

 あの子は死があまりにも身近だった。寺だから葬式なんて日常茶飯時。その上、兄の様に慕っていた蓮丸を去年亡くしたばかりだった。蓮丸が亡くなった時、太郎は泣かなかった。あの小さな体にどれ程の悲しみを背負ったのだろう。それを周りに悟られまいと振る舞う姿が、余りにも痛々しかった。

 だからきっと、太郎もそれを聞けば喜ぶだろう。普通の子供の様に泣いて喜ぶ姿を想像した。

 そんな和尚の眼の前に、顔馴染のお巡りさんが両手を振って停まるように促された時には、スピードを出し過ぎていただろうかと訝った。

「すまんな。今、急いでおって……」

「太郎くんを知りませんか?!」

 お巡りさんが叫ぶように言った。何が何だか分からず、和尚は目を瞬かせた。

「山か川にでも遊びに行っておるじゃろう。心配せんでもその辺に……」

「誘拐されたかもしれないんです!」

 お巡りさんの突飛な話に、太郎の拗らせ病が感染ったのではないかと思った。

「面白い冗談ですな」

「冗談じゃないんですよ!」

 あの子に限って……と、まあ普通一般の親に漏れなく和尚も思った。それにここは長閑な田舎だ。今迄、人攫いなんて話しは聞いた事が無い。

「何かの間違いでは……」

「誘拐犯から身代金要求の電話がありました」

 そこまで聞いて、やっと和尚は血の気が引くのが解った。貯金が幾らあったかなぁと考えを巡らせながら、お巡りさんに連れられて駐在所へ向かう。

「まさか……何故このタイミングで……」

 和尚はがっくりと肩を落した。携帯電話を開くと、さっきかかった番号を見つめる。

「あの子に、ワシは何と言えば良いのか……」

 和尚の独り言にお巡りさんは首を傾げた。



 乾は茜からのラインを見ると、直ぐ駐在所を飛び出していた。再び犯人からお金の受け渡し場所等について連絡があるかもしれないからとお巡りさんにここで待つ様に言われていたが、もう居ても立っても居られなかった。金額からして犯人の目的はお金ではない。子供を誘拐して自分よりも立場の弱い者を痛めつける、もしくは自分よりも優位の人間を恐怖に陥れて楽しんでいる愉快犯だ。そんな奴が子供を誘拐して子供を生かしておいているとは到底思えない。多分子供は既に殺されている。普通、誘拐されれば子供は泣き喚いたり、暴れて逃げようとする。それを鬱陶しく思って手にかけるだろう。拳銃や暴力で脅して黙らせるよりも合理的だ。トイレに行きたいと言って逃げられたり、食事の面倒をみる必要もない。だから速攻で息の根を止めるのが犯人のやり口だ。それにこの犯人、下調べを全くしていない。親のいない太郎を誘拐している。金持ちの家の子ではなく太郎だった事を考えれば、思い付きで行動を起こす短絡的で気の短い男と考えて良い。駐在所の電話番号なんて検索すれば出てくるのに、その手間すらせずに子供の言った番号に疑いもなくかけている所を見ると、全くの単細胞である。複数犯である可能性は極めて低い。

 そういった事を考えながら乾は軽自動車を走らせていた。慣れた田舎道を走らせ、茜から連絡を受けた辺りに辿り着くと、あのキャラバンを見つけた。

 ーーあの子は本の話が出来る唯一の友達だったーー

「山高きが故に貴からず、木あるをもって貴しとす」

 乾の脳裏に太郎の声が響いていた。もっと気にかけてやるんだった……。

 そしてキャラバンの助手席の所に、太郎の虫籠が置いてあるのを見付けると、理性がぶっ飛んでいた。



 男は車のエンジンを付けた。さっき窓越しに何処かの親子が車内を覗き込んでいた。早く、場所を変えよう。このままでは不味い。取り敢えず何処かに……ゆっくりと車を動かし始めると、不意に眼の前に軽自動車が停まった。運転席から二十代前半の女性が出て来ると、真っ直ぐこちらへ向かって来る。どう見ても警察関係者には見えないが、着ている黒いシャツの胸元に日の丸と翼のマークが付いているのが目に付いた。女性が真っ直ぐやって来て運転席の窓を叩く。男が窓を開けると、問答無用で胸倉掴まれ、全開にした窓から軽々と引っ張り出された。投げ飛ばされた男は受け身をとる暇も無く、地面に顔面を打ち付けた。

「てめぇっ! うちの子に何してくれてんのよ!!」

 女はそう叫んで拳を振った。男はなすすべなくタコ殴りにされ、事の騒ぎに気付いた太郎がひょっこり後部座席から顔を出すと、慌てて車から出て来た。

「乾殿!」

 太郎が声を上げると、乾の動きが止まった。振り返って太郎の姿を見ると、駆け寄ってしゃがみ込んだ。

「怪我は?」

 乾の質問に太郎はにこりと笑った。

「手前は大丈夫である」

 そう言って、道路脇に伸びている男へ視線を送った。顔が腫れて、元の顔がどんなだったのか解らなくなっている。

「……なら良かった」

 乾が安心した様に言うと、太郎はにやりと笑った。

「ふふ……『うちの子』でありますか……」

 太郎が笑うと、乾は太郎の頭を撫でた。

「あんたはこの里の、皆の子よ」

 乾の言葉に太郎は照れていた。

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