第18話 義しさ
太郎は無精髭のおじさんと向かい合わせに座っていた。ワゴン車の後部座席を倒し、広い部屋の様になっている。窓は黒いゴミ袋で目張りされていて、何処に車が停められているのかは解らなかった。
「若いお父さんだな」
おじさんがそう呟くと、太郎は苦笑いを浮かべた。
「すまないな。ちゃんとお金が入ったら、家に帰してやるから」
おじさんが申し訳無さそうに言うと、太郎はやはりニヤニヤと笑みを浮かべていた。
何だか緊張感の無い子供だと思った。こんな状況でも笑顔を作れる所は、少し頭の螺子が緩んでいるのでは無いかと心配だった。まあ、煩く泣き喚かれるよりは全然ましではある。
「何がおかしいんだ?」
「いえ、大変立派なお髭だと思いまして」
そう言われて顎を触ると、チリチリの無精髭に絡まっていた蝿が羽ばたこうと藻掻き、もっと絡まり、指で潰されて動かなくなった。成る程、この蝿を子供は見ていたのだ。
「おや、無常……」
太郎が呟くと、首を傾げた。
「蝿は一茶の友である。やれ打つな蝿が手をすり足をする。と言っているのである」
「はあ……最近の子供は博識だなぁ」
「滅相もございません」
小林一茶の句は、『やせ蛙 負けるな一茶 これにあり』くらいしか知らなかったものだから、少し恥ずかしい気分だった。
ゲコゲコと車の外から蛙の声がすると、なんだか一層情けない気分だった。
「学校は楽しいかい?」
その問いに太郎は満面の笑みを浮かべた。
「充実しております」
「家でゲームをしている方が楽しいだろう」
自分がこの年頃の時は、学校なんかつまらない。とか、宿題なんか面倒臭い。と愚痴をこぼし、ゲームに明け暮れていた。
「ゲームも大変楽しいですな。ドッヂボールにサッカー、鬼ごっこも好きである」
それを聞いて、頭の中でテレビゲームしか思い浮かんでいなかったものだから、太郎の話に虚を突かれた気分だった。確かに、それらもゲームではあるだろう。
「ほら……家にあるだろう? こう……手を動かす……」
それとなく気付かせようと両手でゲーム機を操作する動きをすると、太郎はにやりと笑った。
「トランプも双六も楽しいですな。こないだウノというものを友達にやり方を教えて貰ったのである」
これは話しが通じないと思い、諦めた。
「そうか……」
ゲーム、と言っても一人で画面に向かってするものではなく、この子にとってはみんなで遊ぶツールなのだろう。きっとそうやって社会性を身に着けていくのだろう。そういえば、「家の中でゲームばかりしてないで、外で遊んできなさい」と何度も口を酸っぱく怒られていた時期があった。小学校高学年にもなると、言う方も疲れたのか、何も言われなくなっていた。
「貴殿はどのようなゲームがお好きですか?」
太郎に問われて少し考えた。どのような……と聞かれて困った。ロールプレイングゲームにはまった事もあったが、仲間と反りが合わなくてつまらなくなり、辞めてしまった。スマートフォンのパズルゲームに、シューティングゲーム、カーレースゲーム……色んなゲームが思い浮かんで消えた。
「まあ……色々……」
初めて買ってもらったゲームは、白黒の手のひらサイズのテトリスだった。あれは近所の友達に貸したら壊されて、その後、卵で恐竜を育てるミニゲームを買ってもらったっけ……それからゲームボーイに、テレビゲームは、確かクリスマスに……
そういった思い出が浮かんでは消えた。
「ゲームというのは不思議なものである」
太郎が呟くと、何が不思議なんだと気になった。
「爺様は将棋が趣味なのである。太郎も将棋を何度か教えてもらったのであるが、これが中々難しいのである。戦法を考えながら駒を動かすのは楽しいのである」
将棋なんて爺臭い……まさかこんな子供から将棋などという言葉が出てくるかと不思議がった。
「以前、将棋を作ってみようとしたことがあったのであるが、これが中々難しいのです。同じ形の、同じ大きさの駒を作ろうと思っても中々上手く行かない。字も上手に書き込めない。将棋盤の格子も上手く引けないのである」
男は頭の中で想像した。
「そりゃあ、一年生には難しいだろう」
「そう。そこなのです!」
太郎が嬉々として声を上げた。
「手前一人では、将棋を作るのは不可能なのである。将棋を作るには熟練の技が必要である。小学一年生では、作れないのである。ではこれならばと、木ではなく紙で作ろうとしたのである。鋏や物差しを使って線を引きましたが、この鋏、太郎には作り方がよく解りません。物差しも、一体どうやって真っ直ぐに作られたのか想像も付きません。これらは全て先人の知恵です。先人の知恵によって、手前は一人では出来ない事を一人でも出来るようにしていただいている事に気付いたのです。
貴殿のお好きなゲームは、貴殿が作られたものですか?」
太郎の話に度肝を抜かれた。よく考えてみれば、あって当たり前だと思っていた。けれどもあのゲームを作り上げるのに、きっと色んな人が関わっただろう。ゲームの構成を考えたり、グラフィックをデザインしたり、画面に映像を映し出す理屈も、深く考えた事が無かった。一から一人で作れと言われれば、無理だろう。
「……いや、考えた事も無かった」
学校の授業で、パソコンの授業があったような気もする。けれどもワードやエクセルでゲームを作ったりは出来ないだろう。その専門の学校を卒業したり、事務所とかに入って勉強した誰かの努力の結晶なのだろう。誰かを楽しませる為に勉強し、働く……その素晴らしさに胡座をかいて、どれ程の努力があったのだろうかと考えた事も無かった自分が少し情けない。
「では、この車は、貴殿が作られたのですか?」
勿論、NOである。エンジンの作り方も知らなければ、塗装の仕方も知らない。しかもこれは親戚から貰った中古なので、自分が働いて稼いだ金で買ったわけでもない。
「車の免許は、ご自分で取得されたのですか?」
教習所への送迎は父がしてくれたなと思い出した。免許センターへ行くのも。教習所への支払いも全部親がやってくれた。試験に二度落ちて、再試験のお金も親に出してもらった。それが当たり前だと思っていた。
「とても素晴らしい事ですな」
太郎が満面の笑みを浮かべていた。
「素晴らしい……?」
「左様。一人では何一つ出来なくとも、皆の知恵を出し合って、皆に支えられて不自由の無い様に生かしていただいているのである。太郎はそれに気付いた時、自分に出来ることを精一杯する。それが生きる義しさであると思ったのである。これは真理である。
三学の友に交わらずんば、何ぞ七覚の林に遊ばん。
この三学の中の『世の中の真理』がこれに当たります。これに気付けば、人は一人では生きていけない。皆で支え合い、支えられて生きている。それなのにどうして自分だけ甘んじて他人様に支えていただきながら、道を外れる様な事が出来ましょう?」
太郎の話にぐうの音も出なかった。だが、自分の方が大人で、立場上太郎よりも優位にあるはずだと自分を奮い立たせた。
「坊やは怖く無いのかい? 悪い大人に捕まって、相手が気を悪くしたら、危険な目にあうかもしれないよ?」
「手前に怖いものなどないのである」
太郎が即答すると、怖いもの知らずの馬鹿だと思った。
「貴殿には怖いものがあるのか?」
怖い……咄嗟に警察の姿が思い浮かんだ。あとは親。もう二人共亡くなってしまったが、今の自分を見たら何と言われるだろうと身震いする。あとは高い所も怖い。落ちてしまうのでは無いかと考えてしまい、飛行機さえも乗った事が無い。落ちて、死んでしまう事が一番怖い。
「坊やだって、死んじまうのは怖いだろう?」
それは皆、当然の事だと思っていた。けれども太郎は高笑いをした。
「死など怖れるに足らん。本当に怖れなければならぬのは、先人の知恵が後世に伝わらぬ事の方である。先人の知恵無くして今の我々の生活など不可能である。先人の知恵によって生かされたのであれば、その知恵をまた後の子らへ引き継ぎ、次の世代が健やかに暮らす事が手前の望みである。先人の知恵を悪用し、新たな後の世を支える子供に危害を加えようなどと不届きな考えを持つ者を見逃すことは手前の恥である」
太郎の言葉に思わず尻込みした。何故か、何処かの偉い坊さんを相手にしている気分になった。相手はまだ子供なのに、薬を飲まされて体が縮んだ、見た目は子供、頭脳は大人……の、まるで漫画に出てくる子供の様に思えた。
「……でもな、人間、理想だけでは生きていけないものだよ」
「そうである。手前の兄も享年二十四であった」
凄く年の離れた兄貴……と思ったが、それよりも二十四という若さで亡くなってしまった事が不憫だった。二十四歳……自分は何をしていただろう? コンビニのアルバイトをしていた頃だろうか……あの頃が一番体力があって、夜通しゲームをしても平気だった。寝坊して上司に何度怒られたっけ……同級生から結婚式の招待状が届いて、母親から「お前は沈みっぱなしで浮いた話の一つも無いのかい」と嫌味を言われたっけ……それでも、独り身な方が気が楽で、毎日ゲームに明け暮れるのが楽しくて……そんな頃に死んでしまうなんて……
「大変お体の弱い方であったが、手前に本を読み聞かせてくれたのである。何でも作ってみよと、沢山遊んで来いと言ってくれたのである。その兄が最期に『何も成せなかった』と寝言を言ったので、『此れが有れば彼が有り、此れが無ければ彼が無い』とお釈迦様のお言葉を申し上げたのでございます。兄はにっこりと笑い、『そうか。自分の代わりに成してくれるか』と言って息を引き取ったのである。
確かに理想だけでは生きては行けぬ。けれども理想もなくただ年老いて行くのだけでは生きる意味など無いのである。兄は若くして亡くなりましたが、決して不毛な時を過ごしたのでは有りません。欲に目が眩んで人の道に外れる様な事は一切しなかったのである」
太郎の話に深く項垂れた。自分は一体何をしているのかと自分が情けなく、太郎の事が羨ましく思えた。
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