第17話 誘拐

「和尚さん、墓場で赤子の泣き声がするだよ」

 ひょいとそんな話しを聞いて慌てて墓場へ行った。道は悪く、草木を掻き分けて行くと、確かに赤子の声がする。和尚は最初に赤子の声に気付いた茂吉と一緒に墓地を回った。そして無縁仏の前に、布に包まれた赤子が泣いていた。まだ臍の緒も付いている。和尚は慌てて赤子を抱き上げて病院へ走った。

「なんと憐れな……」

 せめて、人通りの多い駅とかならば直ぐに発見されただろうに、何故あんな山奥の、墓地なんかに捨てられたのかと和尚は赤子が不憫だった。酷く衰弱していたが、なんとか一命を取り留めた。和尚は家内と相談して、自分達の子供として育てる事にした。

 名前は『蓮丸』と名付けた。これが体の弱い子で、よく熱も出すし風邪もひいた。病院へ何度も入退院を繰り返した。そのせいで学校には行けなかった。そんな生活を送るうち、本だけが彼の友達だった。外で遊ぶことも許されない彼は、無口な子になっていた。

 そんな彼に転機が訪れたのは、十八の頃だった。

「はっちゃん、はっちゃん」

 鈴の声に、蓮丸が障子戸を開けた。鈴が大きな籠を引いて蓮丸の部屋の前に居る。

「はっちゃん、見て見て! はじめちゃんだって! あ、でもハスマルもはっちゃんだから、紛らわしいね」

 蓮丸は病弱な青い顔で鈴と赤ん坊を交互に見た。蓮丸も、この赤子の経緯は知っていた。

「……はじめだから、いっちゃんだよ」

 鈴は蓮丸の言葉に首を傾げた。蓮丸が珍しく微笑している。

「こいつがいっちゃんだから、俺はレンだよ」

 鈴はどういう意味なのか解らなかった。けれども、どちらも『はっちゃん』と呼ぶよりは、ずっと良いと思った。祖父母も『はじめちゃん』ではなく『太郎』と呼んでいた。

 『いっちゃんとレン』と聞いて、和尚は直ぐそれに気付いて顔を顰めた。

「宗派が違う」

「そう言えば改宗してましたね」

 などと言い返されていた。

 どうしていっちゃんとレンだったのか、その理由を鈴が知ったのは、ずっと後の事だった。

 レンは太郎の母が残した実語教を太郎に毎日読み聞かせていた。

「お父さん、この本面白いね」

 和尚は蓮丸が、太郎のお陰で日に日に明るくなっている事に気付いていた。このまま、病気も良くなるものと周りは皆思っていた。脳に癌が見付かった時、その期待を呆気なく裏切られた。

「手術をすれば、治るかもしれないじゃろ?」

 和尚は祈る様に言った。けれども腫瘍の位置が悪く、大病院で受けたとしても腫瘍を取り切れるかどうか難しいと言われた。それに、蓮丸自身の体力が、長時間の手術を耐えられない可能性もあった。

「お父さん、俺ね、このまま何も出来ないでただ生きているだけで、周りに迷惑だけかけ続けるのはしんどいんだよ。最後の孝行だと思って、見送ってくれよ」

 もしかしたら、血が繋がっていないと知っていたのかもしれない。お金の事とか、周りの親切心が重荷だったのかもしれない。他の同級生はもう学校を卒業し、就職し、結婚したと話しが来る度に、蓮丸は惨めな気持ちになっていたのかもしれない。



 思い返せばお金に苦しむ人生だった。

 事業に失敗した。

 我武者羅に働いたつもりだった。一生懸命したつもりだった。それなのに努力は報われなかった。借金はどんどん膨らみ、とうとう一生かけても返済出来ない金額になっていた。男は借金取りから逃げるべく、車に乗り込んだ。着の身着のまま、兎に角遠くへ。人の居ない山奥で首を吊ろう……だが、ロープを持ち合わせていなかった。

 あてもなく死に場所を探していたらそのうち街へ出てしまった。ただの田舎街だ。この辺でロープでも……と考えていると、子供の姿が目に飛び込んだ。

 自分にもあんな頃があった……

 不意に悪魔の囁きが聞こえた。

 子供を誘拐して、身代金を手に入れよう。それで借金を返して、またやり直そう。

 男は必死に掻き消すように首を横に振った。

 けれども、その田舎街を車で走らせながら目に止まるのは子供だった。

 足が遅い小さい子が良い。一人でいて、大人しそうな……あとは親が金持ちで……

 いつの間にか誘拐の方へ思考が進む。

 不意に田んぼの土手で虫取りをしている子供が目に入った。年の頃は六つか七つ。小学一年生か年長といった所だろう。何か一人で呟いている。周りには他に誰もいない。

 こうなってはもう考えを改める手段は無い。子供の近くに車を停め、子供に声をかけた。

「坊や、お母さんが事故に巻き込まれて病院に居るらしいんだ! 病院まで連れて行くから乗ってくれ!」

 車の助手席のドアを開けて話した。子供は何の疑いもなく車に乗り込む。

 しめた!

 ドアが閉まると、男はドアロックをした。車を走らせながら、自分にもやっと運が向いて来たとほくそ笑んだ。

 ふと、助手席に座っていた子供が後部座席を覗いていた。物珍しそうに眺めている。そういえば、軽自動車や軽トラはよく見たが、こんなキャラバンが走っているのは見なかったと思った。

「坊やはこんな車に乗るの初めてかい?」

 子供は声もなく頷いた。

「そうだ。坊や、お家の人にも坊やを病院へ連れて行く事を伝えておかなきゃだから、お家の番号、教えてくれるかい?」

 子供は何の疑いもなくスラスラと番号を暗証した。男は慌てて車を路肩に停め、メモをとる。これで電話をかけて身代金を……と考えていると、不意に子供が

 五千円は高いのか、それとも安いのか?

 と聞いてきた。どうも、学校でお金の勉強をしたらしい。

「そりゃあ安すぎるよ」

 と反射的に応えた。けれどもよく考えると、例えば自分がご飯屋で食事代として払う分には五千円は高い。けれども一日の日当と考えると安すぎる。身代金の金額としても勿論、子供一人を誘拐しておいて五千円は安すぎる。まあ、子供の小遣いと考えると、五千円は高い。

 男の応えに、子供は不思議そうな顔をした。

 それなら一兆は?

 と聞かれ、また突飛な単位が出たと思った。そんな金額、自分だって見たことが無い。

「そいつは高いなぁ」

 単位が大きすぎて実感が湧かない。

 なら、一億三千万は?

 そう聞かれて何となく不思議と現実味が出て来た。一億あれば、借金が返済出来る。その上三千万あれば、また新しい事業も出来るし、何なら当面、働かなくても生活出来る。家だって建てれるし、新車も買える……

 取らぬ狸の皮算用をしながら、男は良いことを聞いたと思った。スマートフォンを取出し、子供から聞いた番号にかける。子供に聞かれては不味いと思い、車の外で電話をかけた。窓越しに、子供が後部座席へ移り、荷台を覗いている姿が目に映った。

「おい! 子供は預かった! 返してほしくば金を用意しろ!」

 スマートフォンのマイク部分に布を当てて早口で喋った。金額と、警察には言うなと念を押して電話を切った。



 受話器からはくぐもった声が発せられていた。

「良いか? 絶対に警察には言うなよ!」

 ブツリと切れた受話器からはツーツーと機械音が漏れていた。受話器の前に突っ立っていたお巡りさんと乾は顔を見合わせた。

 ここはいつもの交番である。

 お巡りさんは顎を触ると、神妙な顔をした。

「いたずらだね」

 そう。普通、交番に直接誘拐犯から電話を掛けて、身代金を要求し、「警察には言うなよ!」などと捨て台詞を吐く本物の誘拐犯をお巡りさんは今まで聞いた事が無かった。

「たま〜にあるんですよ。役場の番号と掛け間違える人が……番号が一つ違いで……」

「だとしたら多分、捕まっているのは利発な子供ね」

 乾の言葉にお巡りさんは顔を青くした。それと言うのも、何故か馴染みの子供の顔が浮かんだからだ。

「いや……まさか〜」

 この平和な田舎で、誘拐などといった事件が無かったものだから、お巡りさんは必死に乾の考えを否定しようとした。

「学校に電話してみますね」

 そう言って電話する。

「今日は日曜日ですよ」

 と、乾に言われて我に返った。まあ宿直の先生や、部活を受け持っている先生くらいは居るだろう。時計を見ると昼前なので、多分、誰かは電話に出てくれると思った。

 が、誰も出なかった。

「私がここに来たのは不審なワゴン車を見たからよ。この田舎でワゴン車は目立つ。軽トラや乗用車ならまだしも、ワゴン車となったら町の電気屋とか商店街の醤油屋。それでもハイエースが主流で、今は子供が少ないからキャラバンなんか乗ってる家は二軒しかないの。その上、観光地でもないこの田舎に、県外ナンバーがウロチョロしてれば目立つの。それで何かの事件になる前に調べてほしいと思ってた所に今の電話。タイミングが良すぎるのよ」

「アガサ・クリスティの読み過ぎだよ。大体、本当に誘拐犯だったとして、身代金の額がおかしいから。一億三千万なんて、普通に変でしょう?」

 お巡りさんは必死に乾を落ち着かせようとしていたが、直ぐにその理由が乾の口から否定された。

「それが、捕まった子供のヒントになる」

 お巡りさんは必死に頭の中で考えた。普通、そんな大金一般人は持っていない。大病院の医者の子供とか、議員の子供が誘拐された……と考えるのが自然だが……

「あのね、取り敢えず安否確認は出来ないの?」

「無茶言わないで下さいよ。近くの小学校だけで全校生徒三百人、中学校合わせたら六百人ですよ? 高校合わせたら千人越えるんです。その全員の安否確認が直ぐ出来るわけ無いでしょう?」

 お巡りさんの言葉に乾は眉根を寄せた。

「せめて何歳くらいの子供が何人誘拐されたかくらい解れば、なんとかなりそうですけど……自宅ではなく、この駐在所の番号を犯人に言ったと言う事は中学生くらいかな……いや、小学校高学年かも……」

「一億三千万」

 乾が呟くと、お巡りさんは意味が解らなくて肩を竦めた。

「この金額聞いてどう思う?」

「犯人は最初からお金が目的ではなく、子供を誘拐する事を目的にしていると思います。用意できない無理な金額突き付けて、金が用意出来なかった事を引き合いにして子供を……」

 その先を言うのを憚った。ただ、まだそうと決まった訳では無い。

「ただ、ちょっとキリが悪いというか……変な数字だと思います」

「倉の内の財は朽つること有り。身の内の才は朽つること無し。千両の黄金を積むといえども、一日の学にはしかず」

 乾の言葉に、急に何を言いだすんだと眉間に皺を寄せた。

「千両は今の金額に換算すると約一億三千万。そんな事を知っている上に自宅ではなくわざと駐在所の番号を犯人に教えるような子供って言ったら、私の知る限りこの里には一人しかいない」

 乾の話に、どうしてもあの子の顔がチラついた。確かにあの子なら、よくここへ遊びに来ていたからここの番号も知っているだろう。時代劇の好きなあの子なら、自分だと知らせる為に犯人に金額の入れ知恵をしたかもしれない。

 慌てて木曽根家と寺に電話する。木曽根家は鈴が出たが、太郎は遊びに出たままだと言った。寺は和尚の奥さんが出たが、太郎は来ていないと言う。顔の血の気が引くのが解った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る