第9話 お巡りさん

 この町へ赴任したのは去年の春の事だった。凄く長閑で平和な所だった。過去数十年、大きな事件は無いという所だった。

「まあただ、約一名要注意人物が居る」

 先輩は笑いながらそう話していた。

「要注意人物?」

 新人だった自分は身を乗り出して聞き返した。

「まあ……今に分かる」

 そう言葉を濁したが、本当に直ぐ、彼を知る事になった。

 赴任初日に彼は駐在所へ駆け込んで来たのだ。

「とんでもないことをしてしまった!」

 真っ青な顔をして狼狽えた子供が一人、立っていた。年の頃は四つか五つ……くらいに見える。喋り方がどうも子供らしく無いが、身長は百センチそこらだろう。だから自分はしゃがみ込み、この来訪者と視線を合わせた。

「どうしたんだい? 落ち着いて」

 できるだけ怖がらせないように優しく語りかけた。女性職員相手の方が良いかもしれないと思ったが、生憎今、不在だ。

「家にいきなり乱入して来た無法者が居まして……」

 その物言いに、今、自分が目の前にしている姿を疑い、目を白黒させた。

「えっと、不法侵入かな? もしかして強盗?」

「否、金目の物には一切手をつけませんでしたが、手前、突然人様の屋敷に上がり込んだ其奴を手頃にあった長物で殴ってしまったのである」

 頭の中で家に押し入った強面の男を思い浮かべた。勇敢にも、四、五歳程度の彼はそれに立ち向かったのだろう。

「殺生は良くないと外へ追い立てようとはしたのですが、先方は言うことを聞きませんで、みね打ちに……と思ったのですがこれまた力の加減を誤り、ついうっかり手討ちにしてしまったのである」

 それを聞いてさっと顔の血の気が引くのが解った。けれどもゆっくりと深呼吸して、子供を落ち着かせようとした。

「だ……大丈夫。お巡りさんが見に行ってあげるよ」

 こんな子供が、人殺しなど出来るはずが無いと思うが、自分の幼い頃にも少年事件などがニュースになった。平和な田舎と聞いていたが、赴任早々大変な事になったと心底天を恨んだ。

「いえ、もう死体を動かしてしまったのである」

 成る程、死んでしまったと思って動転し、動かしてしまったのだ。

「大丈夫。その死体をお巡りさんに見せて貰えるかな?」

 優しく語りかけた自分に向かって子供はポケットからティッシュに包んだそれを取り出した。ティッシュを開くと、既に息絶えた茶色い、どこの家でもお馴染みのあの虫が、横たわっていた。

 自分はそれを目にした時、自分が今まで想像していた強面の男が消え、脱力し、呆れた。

 その様子を後ろで眺めていた先輩が噴き出す様に笑うのを聞いた時、怒りが湧き上がった。

「君!」

 と言いかけ、相手が四、五歳の子供であると思い出して深呼吸した。

「坊や、大人をからかっちゃいけないよ?」

「からかってなどおらぬ! 無益な殺生をしてしまったのであるから、罪は罪である。罰を受ける必要があるのである」

 彼の真剣な表情に、大人を困らせてやろうといった思いは見て取れなかった。



 先輩の電話で、寺の和尚さん……坊やの保護者が迎えに来た。深々と頭を下げるが、夕日が禿頭に反射して思わず目を細めると、それを見た子供が可笑しそうに笑った。

「本当に申し訳ございません。うちの方でよく言い聞かせます」

 凄みをきかせた声に子供は驚いた様な顔をした。

「爺様、けれども水戸黄門で、生類憐れみの令なる話をやっていたのである。あれは虫も殺してはならぬという法律である」

 和尚は子供の頭を鷲掴みにすると、頭を左右へ振った。

「見ての通り、家では時代劇を観賞し、古い本しか読ませなかったので大分頭の螺が歪み、性格が拗れてしまっているのです」

 和尚の話しに、ああ、成る程……と思い当たる節があった。自分も子供の頃、アニメのヒーローになりきっていた思い出がある。オープニングテーマから台詞の一字一句まで覚えていた。子供ならば誰でも通る道ではあるが、それが彼にとっては時代劇だったのだろう。

「いえいえ、その……大変頭の良いお子さんで……」

 そう言うと、子供が誇らしげに笑ったが、和尚は複雑そうな顔をした。

「そうやって周りが賢い子と持て囃すからこの子の性格は捻れたままなのです。ワシはこの子がこのまま大人になりやしないかと心配しとるのです」

「子供の間だけですよ」

「まあ、他人の子供じゃから人様は誰も彼もそう言うがの……」

「爺様、太郎は賢いと褒められたのだ。褒めて使わすと言われたのだ」

 太郎が和尚の袈裟を引いて言うと、和尚は口をへの字に曲げた。

「太郎、確かに無益な殺生はいかんと教えておるがの、ゴキブリ如きで態々駐在所まで駆け込む者はおらん」

「それはおかしいです。一寸の虫にも五分の魂と言います。たとえゴキブリといえども殺生に変わりありません。お天道様に背を向けるような事は出来ません」

 淀みなく話すそれは、大人も舌を巻いた。

「解った解った。じゃあ、刑期は今日一日、お家のお手伝いをすること。それでどうかな?」

 その申し出に、太郎は和尚を見上げた。

「何故であろう? 刑期というのは、豚箱に入る事である」

「急に家に押し入って来た虫を殺しちゃったから正当防衛かな」

「殺したので過剰防衛である」

 太郎が即答すると、困り果てて腕を組んだ。それを見かねた和尚が口を開いた。

「太郎、自首したので、自情状酌量の余地ありと認められたのじゃ。つまり、執行猶予がついたのじゃ」

「おお、成る程……」

 太郎が納得した様に大きく頷いた。

「申し訳ない。妻が刑事ドラマが好きで、阿呆なことばかり聞き覚えまして……」

 和尚が小声で話すと、苦笑いを浮かべることしか出来なかった。

「どうか気を悪くされんで下さい。太郎には悪気は無いのです」

 和尚が深々と頭を下げ、子供の手を引いて駐在所を後にした。その幼い背中を見送りながら、面白い子だなぁと思った。

「あの子の母親は出産の時に意識を失って、そのままだそうだ。父親はあの子を置いて出て行ったらしい」

 先輩からその話を聞いた時、自分は彼に何をしてあげられるだろうかと悩んだ。

 ……そう、とても悩んだ。悩まされた。



「どうすればセキユ王になれるのでしょうか?」

 また、突飛な事を聞きに来たと困惑しながら、まあ暇なので話を聞いてやることにした。

「今日は一体どうしたんだい?」

「太郎は惚れたのである。それで結婚の申し入れをしたのであるが、セキユ王になったら考えてやると言われたのである」

 それは遠回しにフラレたのではないかと言いたいが、堪えた。

「石油王ねぇ……」

 もしも自分が、彼女からそんなことを言われた日には立ち直れないだろう。けれども真剣にそれに挑もうとする彼の姿は勇猛果敢というよりは無謀の極みだ。

「石油王の娘の所に婿養子になれば……」

「それはいかん。重婚は不誠実である」

 はあ……バカと天才紙一重とは太郎のことを言うのだろうなと沁み沁み思う。この螺の緩みを何とかして直せれば、それこそ天才に違いないのに、少々勿体ない。

「富貴の家に入ると雖も財無き人の為には尚霜の下の花の如し。貧賤の門を出と雖も、智有る人の為にはあたかも泥中の蓮の如し。

 と申します。いくらお金持ちの家に養子に入っても、馬鹿なままでは家を食い潰してしまいます。なのでやはり、自分の力で財を成してこそ大和男子である」

「ほう……」

 良い心掛けである。婿養子……なんて言ってしまった自分が少し恥ずかしい。こういうところは流石、お寺の子だと思う。

「お巡りさんは結婚はせぬのか?」

「ははっ大きなお世話だよ」

 実家の母からも、そんな小言を何度か言われたなぁと少し鬱陶しく思った。

「結婚というのはね……」

 まあ分からないだろうと思ってそこで言葉を留めた。

「相手の生き方に惚れ込んだので、その生き方のお手伝いをお傍でさせていただく。それが結婚である」

 太郎の話に目を白黒させた。そうだとも、違うとも言い切れなかった。

「つまり、お巡りさんはまだ相手を知らないのである。相手の生き方に興味がないから出会いが無いのである。否、運命の相手に出会っていても、その相手を知ろうとしなければ結婚に至らないのである」

 まるで和尚さんに説法を聞かされているような気になっていた。確かにそうかもしれない……と思う節が頭に浮かぶものだから不思議なものだ。

 そうこう考えている間に太郎は何処かへ行ってしまった。駐在所の外を見ると、少し離れた所で道行く人に「どうすればセキユ王になれるのか?」と聞いて回っている。そんな健気な姿にまだまだ子供だなぁと微笑ましく眺めていた。

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