第10話 王と姫

 太郎は叢にしゃがみ込んで草を見つめていた。蓮はそんな姿に、何をしているのだろうかと太郎の隣に座り込む。

「何をしてるの?」

 蓮の質問に太郎は一度蓮へ視線を向けたが、直ぐ地面へ視線を戻した。

 今日は月曜日。学校の先生を捕まえては

「どうすればセキユ王になれるのですか?」

 と聞いて周っていたが、「油田を見つける」とか「製油工場を作る」とか「兎に角勉強する」とか色んな答えが帰って来た。

「勉強とは……」

 太郎は先生を目の前にして言葉を続けた。

「三学のことでしょうか? それとも譬えば……いろは四十七文字、手紙の文言、帳合いの仕方、算盤の稽古、天秤の取扱い、地理学、究理学、歴史、経済学、修身学などで間違いないでしょうか?」

 と、淀みなく言った時には、先生は度肝を抜かれた顔をしていた。

 蓮は太郎が何を言っているのかよく分からなかったが、先生は目を丸くし、押し黙って首を縦に振っていたので、全くお門違いな事を言ったわけではないようだった。

 そんな太郎が、下校途中に叢にしゃがみ込んでいるのを蓮は不思議そうに見ていた。

「セキユ王、なれそう?」

 蓮の質問に、太郎は蓮の顔を見つめた。

「そんなものはいつでもなれるのである」

 太郎はそう言ってにやりと笑った。紺色のランドセルカバーが付けられたランドセルを開けると、ノートを一枚剥ぎ取り『せきゆおう』と書くと、それを名札の安全ピンで制服にくっつけた。

「ほれ、この通り」

 蓮は驚きというよりも呆れるというか、なんとも言えない気持ちになって口をぽっかりと開けていた。

「只今セキユ王になったので、どう告白しようかと考えていたのである」

「はあ……」

 そういう意味で言った訳では無いことは重々承知していると思う。だから先生を捕まえては石油王になる方法を聞いて周っていたのだ。それなのに、太郎がそんなことをする意味が蓮にはよく分からなかった。

「蓮殿は誰かに惚れた事がございますか?」

「ええ?!」

 急にそんなことを聞かれ、蓮は戸惑った。惚れるとか恋とか考えた事も無かった。

「ちょっとよくわかんない」

「ふむ。では想像してみようぞ。好きな子が居たとして、その娘とお付き合いがしたい。蓮殿ならどうします?」

 太郎の問題に蓮は首を傾げた。好きな子……と言われてもピンと来ない。

「一緒にあーそーぼ。で良いんじゃない?」

「それは友達相手である。好きな女の子であるぞ? 逢引きに誘うのである。例えばそうであるな……茶屋にでもどうですか? とか、歌舞伎見物など如何でしょう? とか……」

 太郎の話しについて行けず、蓮は呆気に囚われていた。

「ごめん、僕分かんない」

 蓮の言葉に太郎は口をへの字に曲げ、空を見上げた。

「ふむ、蓮殿にはまだ早い話しであったか……」

「同い年だよね?」

「残念な事に八月生まれである」

 蓮はそれを聞いてそうだったのかと瞳を泳がせた。蓮は四月三日が誕生日だったのでもう七歳だが、太郎はまだ六歳なのだ。

「ええっ僕より年下なのにその言い草はどうなの」

「ははあ……人肥たるが故に貴からず、智有るをもって貴しとす。ということであろうな。年齢や背の高さで人を判断するものでは無いということである」

 蓮は太郎が自分よりも少し背が低い事を知っていた。

「え、それって、僕が馬鹿ってこと?」

「極端な事を言うでない。恋愛に関しては手前よりも蓮殿の方が少々後塵を拝するというだけである」

「こ……こうじんをはいする??」

 蓮は聞き馴染みのない言葉に困惑しながらも、何とか馬鹿にされないようにと知ったかぶりをすることに決め込んだ。文章の流れからして悪い意味ではないだろう。多分、積み木一つ分とか、歩幅半歩分くらい太郎の後にいる。みたいな意味だと思う。

「そ……そう。こうじをはいしてるだけだよ」

 蓮が頷きながら言うと、太郎は驚いた様な顔をしたが、直ぐに知ったかぶりに気付いてにやりと笑った。けれども次の瞬間、残念な表情になった。

「いや、今のは拙者が悪かった。蓮殿程素直で慈悲深く、利発なお子様はこの世に二人として居らぬ。武士に二言無しとはいえ、先程は失礼な事を言ってしまったでござる」

 太郎はそう言うなり、蓮に向き直って正座し、土下座した。

「お許し下され」

「ええっ?! いいよそんなことしなくて! なんか分かんないけど大丈夫だよ!」

 蓮があたふたしていると、太郎は顔を上げた。

「この失態は切腹をもってお詫び申し候……」

「いいってば! もうっ太郎くんは何かと大袈裟なんだよ。ほーゆー? だっけ? 僕達、ほーゆーでしょ? だから許すよ許す!」

 前に朋友であると言われたことを思い出して蓮は叫んだ。何でこんなことになってしまったのかと思い返して、そうそう恋愛の話しをしていたのだと思い出し、ポケットの中に入れていた毛糸を取り出した。

「母さんが、しょうらいけっこんする人とは、小指と小指が赤い糸で結ばれてるって言ってたよ!」

 そう言って、あやとりの毛糸を太郎に見せた。それはこの間、お隣の善家の婆様から貰ったものだった。太郎はそれを聞いて自分の両手の小指を舐めるように見つめる。

「蓮殿の父と母にはついているのであるか?」

「えっ」

 蓮は思い返すが、そんなものを見たことはない。そう思うと、もしかしたら二人は運命で繋がれた二人ではなく、いつかは両親が別れてしまうのでは無いかと不安になった。

「ふむ……」

 太郎もポケットからあやとりの毛糸を取り出した。

 不意に深山 颯太の声がして二人は振り返った。何やら同い年の女の子に言い寄っているらしい。太郎と蓮は顔を見合わすと、興味津々で颯太の元へ駆け寄った。颯太の方は太郎の姿が目に入り、バツの悪そうな顔をした。

「何だよ。こっち来んなよ」

「これこれ、女先生に袖にされたからといって、女の童を追いかけ回すのは武士のすることではない」

 颯太も蓮も、そこにいた女の子も太郎が何を言ったのか分からず、目を丸くした。

「こいつ女じゃねーんだよ!」

 颯太の言葉に太郎も蓮も目を瞬かせた。背は太郎とさほど変わらない。白のパーカーにはレースがあしらわれている。桃色のスカートに、ショートボブの頭には桜のヘアピンを付けている。見た目では、男の子とは思えなかった。

「え、嘘?」

 蓮が問うと、颯太がにやついて話した。

「こいつの名前、ハマジって言うんだぜ? ちび○子ちゃんに出て来る男と同じ名前じゃん!」

 蓮はそれを聞いて日曜夕方に放送されているアニメを思い出した。確かに、ハマジと言う名の男の子が出て来る。

「ほほう。ハマジと言うのか」

 太郎が感心した様に言うと、女の子は眉を潜め、必死に涙を堪えているようだった。

「な? 変な名前だろ。だから、本当は男なんだろって……」

 颯太が可笑しそうに話すと、太郎が凄い剣幕で怒鳴った。

「黙れ無礼者!」

 颯太と蓮は驚いて仰け反った。

「この方をどなたと心得る? 里見義成の五女、伏姫の姪の浜路姫様である。ええい頭が高い。控えおろ〜!」

 まるで水戸黄門のそれを真似、叫んだものだからまだ学校に残っていた生徒が皆、何だなんだと集まって来る。

「ハマジヒメ……? 姫? お姫様?」

 蓮は拾えた言葉を繰り返した。

「左様。幼い頃に鷲に攫われ、ここまで連れて来られたのである。仮にも一国の姫君、否、この国の娘は女と産まれたその時から皆、姫である。その姫を愚弄するとあらば拙者、刺し違えても……」

 太郎が長々と口上を垂れていると、女の子は俯き、体を震わせていた。泣き出してしまったのだろうかと気不味くなり、颯太が逃げて行く。蓮と太郎は女の子の様子を伺った。

「大丈夫?」

 蓮が声をかけると、女の子は声を殺して笑っていた。小さな声で

「ごめん……面白い……」

 と呟くのを聞いて、蓮と太郎は顔を見合わせた。

「何が可笑しい?」

「そりゃあ太郎くんが変なこと言うから……」

「変?」

 太郎は考えるように視線を空へ投げ、再び女の子へ視線を落とした。

「浜路は嬋娟と言われる程美少女であったと伝え聞く。そちはその名に恥じぬまごうことなき姫である。決して親から戴いた名で卑屈になってはいかん」

 女の子は太郎の顔を見ると、少し恥ずかしそうに頬を赤らめた。

「それに、ちび○子ちゃんのハマジって、確か渾名だったよね。本名は浜崎のりたかだったと思う」

 蓮は思い返しながら呟いた。

「ほう……そんな番組があるのか」

「時代劇以外は本当に興味無いよね……」

 この間ゲームの話しをしてもよく解っていなかったので、最近のアニメには疎いのだろう。

「では、そのアニメとやらで嫌な思いをすると言うのであれば、拙者が良い渾名を付けてしんぜよう」

 蓮はそれを聞いて頭を悩ませた。時代劇に出て来るお姫様の名前でも一悶着あった所なのに、太郎が付ける渾名となるとどんな名前になるだろう? 全く想像がつかないが、言われた所で誰も解らないのがオチだろうと思っていた。

「かぐや姫、なぞどうであろう?」

 蓮と女の子はそれを聞いて拍子抜けした様な顔をした。

「残念なことに浜路姫の美しさ、良さを今の若者は存じておらん。拙者もそうであるが、南総里見八犬伝はそれこそ大ベストセラーであるが、小学校低学年では、全部通しで見聞きすることは無いのであろう。であれば、誰もが知る光り輝く姫君の名が、そちにはぴったりではないかと思うのであるが、どうであろう?」

 蓮は頭の中で『な・ん・そ・う・さ・と・み・は・っ・け・ん・で・ん』と繰り返してみたが、聞いたことが無くて頭を悩ませた。まあ多分、彼の大好きな時代劇のそれなのだろう。

 それを聞いた女の子は不思議そうに太郎を見上げていた。

「もしくは乙姫とか、織姫とか……もっとハイカラな名が良いと言うのであれば、ダイアナとか、マリーとか……外国の名前はあまりよく知らぬが……そうであるの、何かお気に召す名が有れば良いのだが……」

 太郎が話すと、女の子はくすりと笑った。

「ありがとう。せきゆおうくん」

 まるで蚊の鳴くような声に二人は目を瞬かせ、太郎が胸に付けている名札を見た。蓮はその紙に書かれた文字で、勘違いをさせてしまっている事に気付いた。

「えっとね、これは違うんだよ」

 間違いを直そうとすると、太郎が蓮を押し留めた。

「左様。拙者はセキユ王である。で、あるからして、姫も、姫らしく堂々としておれば良いのである」

 太郎が話すと、女の子はこくりと頷いた。蓮は本当にこのままで良いのだろうかと悩んだが、本人がそれで良いと言うのでれば、それ以上出しゃばるのも良くないかと口を噤んだ。

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