第7話 朋友

 門谷 葵は道路に落書きしていた。手頃な白い石を見つけ、大きくゲームに出て来るキャラクターを描いた。そろそろ、親が注文してくれたゲーム機が届くはずなのだが、いつもあったものが手元に無いというのは本当に不安でならない。まだ友達も居ないし、弟にゲーム機を壊された事を思い出すと更に苛立って道路に大きく✕印を描いた。自分の湧き出る苛々をどう何処へ向ければ良いのか解らず、右往左往しながら帰路を歩いた。

 何でこんな田舎に……

 大阪に住んでいた頃は、狭いマンションではあったが、近所にコンビニもあったし、ゲームセンターだってあった。それなのに、この田舎と来たら、コンビニへ行くのに4キロ先まで行かなければならない。ゲームセンターと言うにはあまりにもお粗末な小さなクレーンゲーム一台と、幼児向け回転木馬が置かれたスーパーはもっと遠い。葵は突然のこの環境の変化にうんざりしていた。

「これこれ、そこの若者」

 不意に後ろら声をかけられて振り返った。そこには弟と同級生で、隣に住んでいる太郎が立っている。よれた大きめの制服と、ボロい赤のランドセルが目を引いた。

「何だよ」

 正直、葵は太郎が苦手だった。というのも、こいつは頭のおかしな子供だと思っていたからに他ならない。時代劇に没頭してしまったあまり、頭がおかしくなっているのだ。

「ここは皆が通る道である」

「だから何だよ?」

「皆が使う場所は、綺麗に使わせて貰うのが天よりの定めである」

 葵は眉根を寄せ、鬱陶しそうに持っていた石を投げた。

「雨が降ったら消えるさ」

「梅雨までにはまだ少々ある故、お手伝いしますから、一緒にこの芸術を消して廻りましょう」

 自分の落書きを芸術と言われ、思わぬ言葉に驚き、戸惑った。

「別に良いだろ! 誰も気にしてないさ!」

 大阪に住んでいた頃は、お店のシャッターや壁や道路脇にスプレーで落書きされているのを見慣れていた。だから、それを悪い事とは思っていなかった。

「そう、それが一番恐れなければならないことである」

 太郎の落ち着き払った姿に葵は戸惑った。

「誰も気にしない。これは大変恐ろしいことである。落書きがあっても誰も気にしない。それを注意する者も居ない。他人に無関心である。人と人との繋がりを阻害する障壁である。

 この道は、某が作った道路であるか?」

「違う」

「この道路を作るのに、どれだけお金がかかるか知っておるか?」

「知らない」

「この道を作るのにどれだけの人々が汗水垂らして働いたかご存知か?」

 葵は思いもよらない言葉に狼狽え、たじろいだ。

「そんなの知るわけないだろ!」

「何故、ここに道が有るのか知っておるか?」

「だからっ」

「某の為である」

 葵が癇癪起こそうとすると、太郎はそう呟いた。

「ここは昔、雑草蔓延る大きな石が幾つも転がった細い道であった。途中には土竜の掘った穴が有り、田んぼに水を引く溝があったが、青葉の茂る頃になると道とその溝の境が解らなくてよく老人や子供が足をとられて転んでいた。転んだ拍子に大怪我をした者もおった。これでは危ないと、近所の人が草を削り、町長に掛け合って道の整備をと村の者が声を上げた。町の税金で人を雇い、溝に蓋をし、道を整備し、アスファルトが敷かれたのが去年の事である。そこに落書きをされたのを目にした者が居たらどう思うじゃろう? 自分達が働いて納めた税金で、皆で整備したこの道にいたずらする子供が居るのだと知ったら……子供らが怪我をしないようにという善意を踏み躙られたと思わないだろうか? 他人に無関心で、気にしない人々が、誰かの為に時間とお金をかけて道を整備したりしないであろう」

 太郎の話しに冷や汗が吹き出した。

「そんなの、俺には関係無いし!」

 葵が逃げるように踵を返すと、太郎が怒鳴った。

「公共物への落書きは器物損壊罪であり、三年以下の懲役、または三十万以下の罰金が課される事を申し上げておきますぞ!」

 葵はぎょっとし、帰りかけた足が止まった。器物損壊罪だの、罰金がどうだのと言われ、そういえば最近、いたずら動画が話題になり、訴訟がどうだのとニュースをしていたと頭の奥から記憶が顔を出した。三十万などそんな貯金は無いし、三年も刑務所に入るだなんで御免だ。法律は詳しく無いのでそれらしい事を言われると、嘘か真か疑うよりも先に白黒のボーダーパジャマを着せられた自分が、檻の中へ入れられる様を想像し、両親や弟から軽蔑され、見放されることに恐怖した。

 葵は直ぐ、太郎に向き直った。

「ど、どうしたら……」

 怯えた葵に、太郎はにっこりと微笑んだ。

「消せば良いのである」



 門谷 蓮はクラスで友達になった男の子とカードゲームの話しに夢中になり、帰りが遅くなってしまった。お隣の太郎はゲームは持っていないらしく、この手の話には疎いので、ゲームの話が出来る友達は蓮にとって貴重だった。

 太郎くんともゲームの話が出来ればなぁ

 とつくづく思うが、太郎の話は時代劇だの、難しい本の事が大半で、正直何を言っているのか蓮には解らない部分があった。

 そうこう考えながら帰路についていると、ぼうずりで懸命に道路を磨く兄と、バケツに汲んできた水を撒いている太郎に出くわし、何をやっているのかと目を白黒させた。

「何してるの?」

 蓮が声をかけると、兄はバツが悪そうに顔を顰めた。

「日本を今一度洗濯いたし申し候」

 太郎の発言に蓮は首を傾げた。日本を洗濯している……掃除しているということだろうか? けれども兄も率先している所を見ると、何やら訳ありに思える。

「えっと……」

「この町に住む人々に感謝の心が芽生え、奉仕作業をされておるのである。蓮殿、これは見習わねばならぬ善行であるぞ。

 善を見ては速やかに行え、悪を見ては忽ち避けよ。

 と言って、他人が良い事をしているのを見れば、直ぐに真似をするのが良き日本人である」

 蓮はそれを聞いて首を傾げていた。葵は落書きを消し終わると、大きな溜め息を吐いた。

「ほら、もうこれで良いだろ?」

「うむ。それでは最後に、掃除というのは、目に見える塵や埃を取り去れば終わりと言うものではない。心の中の悪い部分を拭い去るまでが掃除である」

 心せよ。と太郎が言い終わると、葵は少し不満そうな顔をしていたが、ぼうずりを太郎に渡して行ってしまった。蓮は置いてある空のバケツを持つと、太郎に声をかけた。

「持ってあげるよ」

「これは有り難い。宜しく頼んます」

 太郎が嬉しそうに呟くと、蓮は少し気恥ずかしかった。空のバケツを持つだけなのに、大袈裟だなぁと思いつつも悪い気はしない。

 二人で家路を歩いていると、家の前で丁度、鈴が自転車で出る所に出くわした。

「あ、いっちゃん、お帰り」

「鈴様、お出かけですか?」

「まあ……色々考えたんだけど、古本屋に行ってみようと思って。図書館のじゃあ書き込めないし、何度も職員室のコピー機を借りに行くのが何だか悪い様な気がして……コンビニでコピーしたら十円かかるものを、一枚二枚ならまだしも何十枚もやってたらなんか嫌になっちゃった」

「ほほう、良い心がけですが……」

 太郎はそう呟いて空を見上げた。もう日が傾いてる。

「今から自転車で、汽車で三十分掛かる街の古本屋へ行かれるのですか?」

「大丈夫よ。道は分かるし」

「その参考書は、どうしても本日ご入用ですか?」

 太郎の言葉に鈴は目を瞬かせた。

「僭越ながら言わせて頂きます。鈴様はまだ退院したばかりで病み上がりです。気晴らしがてらに駅まで自転車ならまだしも、こんな時間から山三つ越えた先の街まで自転車で行ってしまっては、帰りが遅くなってしまいます。手前も以前、線路を歩いて隣町まで歩いた事がございました。あの時は五時間程掛かりました。もう嫌になって疲れて駅で眠りこけていた所を心優しいお方に保護して頂きましたが、寺に戻ったら大目玉でした。後にこれが太郎失踪事件と語られる手前にとっては何とも恥ずかしいお話しでございます。

 自転車は確かに歩くよりは早いでしょうが、安全の為にも遠回りをしなければならないでしょう。夜になれば街灯なぞありません。道の悪い所もあります。そう考えれば、古本屋へ行くのはまたの機会にして、お家にてお勉強された方が手前も安心出来るのですが、鈴様は、どうお考えなのでしょう?」

「そんなことを言っていたら、何時までも行けないわよ」

 鈴の言葉に太郎は頷いた。

「……例えば、そうですね。芝さんであれば、二つ隣街に山を持っておられます。土日に山へ行かれるかもしれません。その時に街まで乗せて行って貰っては如何でしょう? 芝さんであればもう退職された美術の先生なので太郎も存じております。手前からも頼んでみます故、どうか今日の所は思い止まっては頂けないでしょうか?」

 それを聞いて、鈴は自転車を片付ける為に家の裏へ回った。二人の会話を聞いていた蓮は、本当に凄いなぁと思いながら、そっと太郎に耳打ちした。

「太郎くん、凄いね。顔が広いってこのことだね」

 蓮が囁くと、太郎は頭を抱えて蹲った。

「太郎、一生の不覚。八十過ぎの老人の運転する車にのさせるのは不味い」

 と青い顔をして呟く太郎の姿に蓮は呆気に囚われていた。つい勢いであんなことを言ってしまったと後悔しているようだった。



 翌日の帰り、太郎はいつもとは違う道へ歩いていた。蓮も興味があったので付いていく。行く先々で二つ隣町まで行く予定のある者はいないかと聞いて回るが、これが中々見つからない。自分がああ言ってしまった手前、責任を感じているのだろう。太郎は眉間に皺を寄せ、考え込みながら道を歩いていた。ふと、書道教室の看板が目に入ると不意に足を止め、視線を上げた。

「どうしたの?」

「蓮殿、今は何時頃か?」

「え、さっき五時のサイレン鳴ったから、五時半くらいかな?」

 蓮の言葉に太郎は背筋をピンと伸ばし、書道教室の看板が立った十字路を曲がった。軽自動車がぎりぎり一台通れるくらいの細い道を歩き、迷路の様な舗装されていない道を行くと、一軒の家の前に軽自動車が二台停まっているのを目にして太郎は笑みを浮べた。

 呼び鈴を鳴らすと、ドアが開き、眼鏡をかけた二十五歳くらいの女の人が顔を出した。

「はいはい」

「お久しぶりです。太郎でございます」

 太郎がそう言うと、女の人は少し首を傾げた。黒地のシャツを着ているが、胸元には自衛隊駐屯地の文字が刺繍されている。

「前に高瀬舟を貸して頂いた、寺の太郎でございます」

「あ〜……徒歩で線路歩いて迷子になってた子か」

「そのせつはどうも」

 太郎は深々と頭を下げた。蓮はそれを聞いて有名人だと思った。

「そっちの子は友達?」

 乾に不意に聞かれ、蓮は軽く頭を下げた。

「友達ではない」

 突如、彼にそう言われた時、蓮は驚きと悲しさで俯いた。

「彼は朋友である」

 成る程。と乾が感心していたが、蓮にはこのホウユウの意味が分からなかった。親友や悪友ならばすぐに意味が解ったのだが、朋友と言われてもピンと来なかった。

「所で、乾様は二つ隣町の工場で働いていらっしゃったかと」

「まあ、おかげさまで」

「もし、よろしければお車に乗せて行ってはいただけないかと思いまして」

「はあ……?」

「古本屋へ行きたいのです」

 それを聞くと、女の人は少し考える素振りをした。

「良いけど、私、九時から出勤だから八時半にはこっちを出るよ? 古本屋まで送って行ってあげるから八時においで。昼で仕事終わるから、それで良ければその時に連れて帰ってあげるよ」

「ほほ、それはなんと大変有り難い」

 太郎は満面の笑みを浮べて深々と頭を下げた。

「じゃあ土曜日にね」

「あ、あと一つ。乾様は確か地元の高校へ通われていたのではありませんか?」

「うん。そこの北高の普通科」

 太郎はそれを聞いて益々口角を上げた。



 乾と分かれて二人きりで帰路に着きながら蓮はもやもやしていた。

「ねえ、ホウユウってなあに?」

 蓮が恐る恐る聞くと、太郎は少し意外そうな顔をした。

「共に相手のことをよく知り、理解しあっている仲のよい友人。というのを知己朋友というのである」

 それを聞いた時、蓮はさっきまで悩んでいた自分が馬鹿らしくなって笑っていた。

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