第6話 一年生

 春爛漫の桜の下、門谷 蓮は新品のランドセルと制服に見を包んで入学式へ向かった。隣の太郎も同じく入学式へ出席したが、蓮は日焼けして色褪せ、サイズも少し大き目の制服姿の彼に少し驚いたが、彼は気にする素振りもなく堂々と歩いていた。だから他の同年代の男の子の新品のランドセルに混じって、少し古さを感じる赤いランドセルはそれこそ皆の注目の的だった。

 男の子なのに、赤いランドセル……と陰口も聞こえたが、当の本人はあまりに嬉しかったのか、周りの声など耳に入って居ないようだった。そんな図太い神経の彼に驚いたが、それよりも驚いたのは、クラスの自己紹介での出来事である。

 蓮も彼も同じクラスになった。というのも、少子化のせいで子供が減り、新一年生が今年は二十八人だったので一組しか無かった。蓮は出席番号順に自己紹介を終えて座り、何故か後ろの最後の方の席に座っている彼の姿に首を傾げた。

 お隣さんは、キソネだと聞いていたから、当然、門谷の次とか、次の次くらいだと思っていたのに、席が離れてしまって蓮は困惑していた。

 そしてやっと彼の番に来ると、彼は立ち上がり、意気揚々と宣言したのだ。

「我こそは六十余度の勝負に無敗なる宮本武蔵である!」

 教室が静まり返り、皆が目を丸くしたのは言うまでもない。

「好きなものは時代劇である!」

 この令和の時代に、まさか新一年生からそんな発言が飛び出すと思っていなかった先生が思わず吹き出した。けれども、そもそも宮本武蔵を知らない小学生達はどういった反応をすればいいのやら分からないでいた。

「山田くん、分かったから、ちゃんと自己紹介しましょうね」

 先生に言われ、彼は仰々しく一礼した。

「面目ない。

 末代の学者、先ずこの書を案ずべし。これ学問のはじめ、身終るまで忘失することなかれ。から名を頂いております。

 山田 はじめ、と申します。けれども爺様や近所の方々からは太郎という愛称を頂いております」

 それを聞いて蓮は目を白黒させた。ずっと太郎くんだと思っていたのに、それが愛称だなんて。

 太郎が満足そうに座ると、先生もこれは先が思いやられそうだと冷や汗を流していた。



 翌日、初めての授業に心を踊らせていた蓮だったが、クラスに二十八人居れば問題児が一人二人居るのは当然だろう。意外な事に太郎はちゃんと自分の席に座ってぼうっと先生を眺めていたが、その隣の席の男の子、深山 颯太が出し抜けに立ち上がった。

「センセー! 何で平仮名の書き方なんかやらなきゃならないの?」

 黒板に大きく平仮名の書き順を教えながら板書していた先生は驚いて振り返った。

「俺、平仮名も片仮名も書けるし! 幼稚園でそんなのもうやったし!」

 颯太が机に立ち上がって喚くと、先生は少々困った様子だった。

「深山くん、深山くんは出来ても、他の子は解らないかもしれないでしょう?」

「じゃあ分かんないやつだけやればいいじゃん!」

「学校はね、塾とは違うからそういうふうには出来ないのよ。ちゃんと座ってね」

 先生の話しに不満気な颯太の机を隣の席に座っている太郎が突いた。

「これこれ、先生が若くて可愛らしいからと言ってそんな自己主張をするものではない。女性に振り向いて欲しければ礼儀正しくするものじゃ」

 太郎の言葉で、俄に笑いが込み上げた。教室に笑い声が響くと、颯太は顔を真っ赤にして机から飛び下りた。

「そんなんじゃないやい!」

「これこれ、そう声を荒げるものではない。良いかな? 学校という所は、人から教えを請う姿勢を身に着ける場である。いくら授業がつまらなかろうが、先生が美人だろうが関係無く、椅子に腰掛け、前を向き、先生の言葉を一字一句聞き逃さない事を心掛けることじゃ。何故かといえば社会へ出て、そんなものとっくに知っていると言ってお高く止まっておると、誰からも何も教えて貰えなくなってしまう。プライドが高いと自分から頭を下げて教えを請う事が出来なくなってしまう。そうなるとあいつはいつまで経っても仕事の出来ない奴だと陰口を叩かれ、会社に居辛くなり、職を転々としてしまう。ちゃんと真面目に辛抱強く人に頭を下げて仕事を続けている者はどんどん出世していく。この差は後に給料に響いて来る。例えば十年同じ所で働いて係長になり月給三十万の者と、職を転々とするあまりアルバイトしか出来ない月給八万の者とでは雲泥の差である。その差は生活やひいては人生と、この日本の豊かさにも直結する。

 そうと解っていて、何も自分の人生を棒に振り、周りの人生を邪魔するなどと罪深い事をするものではない」

 太郎の話しを聞いていた先生は目を白黒させながら感心して聞いていた。目の前に居る彼が、本当に小学生なのかと疑う程に落ち着き払って話す言葉に度肝を抜かれた。昨日の自己紹介の時には、時代劇の見過ぎか、少々気が触れているのかと思ったが、もしかしたら天才なのではないかとさえ思った。

 けれども蓮も、颯太も他のクラスメイトも皆、太郎の言っている事がよく解らなくて首を傾げていた。

「何言ってんだ? お前」

「ほほう? 幼稚園では平仮名や片仮名は教わっても、礼儀は学ばなかったと見える。どうじゃろう? 頭の良い某の事じゃ、なんなら先生に代わって皆に平仮名の書き方を教えてはくれまいか? 先生、この者が先生の手を煩わせるまでもなく、自ら他の子らに授業をしたいと申し出ておりますぞ!」

 太郎が先生に向かってそう言い放ったものだから、颯太は急に慌てた。平仮名や片仮名は書けるが、他人に教える。となると急に緊張し、まごついた。

「じゃあ、お願いしようかしら」

 先生もそんな事を言い出したものだから、颯太はおずおずと教壇に立った。さっきまでいきり立っていたのに、まるで借りてきた猫の様になり、皆の視線に晒されて声が小さくなる。

「颯太殿! 聞こえませんぞ!」

 一番後ろの席の太郎が叫ぶと、颯太は顔を真っ赤にしたが、もう恥ずかしくて立っているのがやっとだった。

「深山くん、あ、を黒板に書いて貰えるかしら?」

 先生にチョークを渡され、颯太は緊張のあまり小刻みに震えながら小さく字を書いた。

「その大きさでは後ろまで見えませんぞ!」

 太郎の大きな声が飛んで来て、颯太はきっと振り返った。太郎が椅子から立ち上がって、にんまりと笑みを浮かべている。

「これで、先生のお気持ちが少しでも解ったであろう?」

 太郎の言葉に颯太は眉根を寄せたが、先生の方へ向いて頭を下げた。

「先生、ごめんなさい」

「深山くんが解ってくれたならそれでいいのよ。席に座ってね」

 颯太はおずおずと自分の席へ戻った。太郎も自分の席に座り、それからは滞りなく授業が進んだ。



 クラスの学級委員を決めることとなった新一年生だが、誰も手を挙げないので、推薦する事になった。学級委員がそもそも具体的にどんな役なのか解らず皆困惑する。電気係や黒板消し係は言葉から直ぐやることが連想出来るのに、このふわふわした役名に皆首を傾げていた。

「先生ー!」

 深山 颯太が手を挙げると、先生は彼をあてた。

「山田くんが良いと思いまーす!」

 颯太は隣の太郎をにやにやと見つめながらそう言うと、太郎は挙手をして立った。

「先生、手前は深山 颯太殿を推薦致す。何故かと申すに、幼稚園で既に平仮名と片仮名をマスターしている故、手前よりも賢いのは明白である。彼の広い知見を推薦する次第である」

「はあ?! 何だよそれ?!」

「颯太殿、これはチャンスですぞ? ここで学級委員になり、クラスを纏めれば先生からの評価も上がり、注目の的である。先生の気を引くのであればこれ以上にない好機である」

「だから違うって言ってんだろ!」

 颯太が顔を真っ赤にして怒鳴ると、先生が手を叩いた。

「はい、解りました。他に推薦する子は居ますか? 自薦でも構いませんよ」

 そう声をかけるが、他に誰も手を挙げない。

「じゃあ、深山くんと、山田くん、二人にやってもらいましょう」

 先生がにっこりと笑うと、深山が奇声を発した。

「はあ?! 何で俺が!」

「颯太殿、宜しくお願いするでござる」

「何だよ急にござるとか言い出してんだよ?! 俺はやらないからな!」

 颯太が憤慨すると、太郎は首を傾げた。

「師君は日月の如し……師君には昼夜に使えよ。と申して、先生の仰る事に従うのが道理である。不満があるならば、申し立ててみよ。先生がとても理不尽な理由で某を学級委員に指名したとあれば拙者も助太刀いたそうが、決してそうではない。颯太殿の頭の良さを買ってのことである。ならば先生の期待に沿う様に務めるのが大和男子の誉である」

「何言ってんのか全然わかんねぇぞ。つうかお前が推薦したんだろ!」

「拙者が推薦した所で、箸にも棒にも掛からないと先生が判断すれば学級委員になぞあてがったりせんじゃろう。先にも申した通り、颯太殿の頭の良さを買われたのである。決して押し付けられたわけではないのでござる」

 颯太は歯軋りしていたが、太郎は何食わぬ顔で教壇に立った。

「何をしておる。颯太殿、早く参られよ」

 太郎に急かされ、颯太は渋々前に出た。太郎はまだ平仮名をマスターしていないので、黒板に役員の名前を書くように颯太に頼み、他の係りを決める件となった。

「それでは、他の係りを決めて行く故、やりたい係りのある者は挙手をお願い致す」

 淡々と進行役を務める太郎の後ろで、颯太はぶつぶつと文句を言いながら名前を書き出していた。先生はそんな二人の様子を微笑ましく眺めていた。



 休み時間、先生にプリントを運ぶ様に言い付かったのだが、颯太はさっさと校庭へ遊びに行ってしまった。それに気付いた蓮が、太郎に半分持つと言って駆け寄った。

「かたじけない」

 蓮には「ごめんなさい」という意味だろうかと思案しながら笑顔を浮かべた。

「太郎くん、すごいよね。難しい言葉を次々喋るから、皆びっくりしてたよ」

「ははあ……言葉と言うのは相手に意思を伝えるものであって、難しくて相手に真意が届かなければなんの意味もなさないのだが、そうであったか……面目ない」

 蓮は褒めたつもりだったのに太郎が落胆したように目を伏せたのを見て少し戸惑った。

 職員室へ着くと、蓮は少し尻込みした。けれども太郎はドアをノックし、戸を開けて会釈した。

「失礼仕ります」

 それを聞いた他の先生達が目を丸くしたが、太郎は早々に担任の先生の元へプリントを届けた。

「ありがとう。深山くんは?」

 先生に言われ、蓮はプリントを渡しながら視線を窓へ向けた。

「えと……」

「もしかして遊びに行っちゃったの?」

 先生が蓮の視線を追って窓から校庭へ視線を這わすと、太郎が口を開いた。

「先生、彼は少々忘れっぽいようである。

であるからして、決して先生の言い付けを違えたわけでは無く、自らの欲を優先したわけでは無いでしょう。彼は体の鍛錬に勤しむのに夢中で、周りが見えていないのである。よしなにお願いします」

 太郎が深々と頭を下げると、蓮も頭を下げた。そのまま颯爽と職員室を出て行くのを見送ると、先生は目を瞬かせた。それを傍から見ていた教頭が、恐る恐る先生に近付いた。

「大丈夫かね? どうも、問題児……否、個性的な子がクラスにいるようだが……」

「ええ……いえでも、皆良い子達ばかりですよ」

 先生がそう言うと、教頭はそれ以上何も聞かなかった。

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