第3話 爺様

 門前に四十そこそこのスーツ姿の男が二人並んで頭を抱えていた。

「なあ、帰ろうぜ」

 菓子折りを持っている男が呟いた。

「何言ってんだ。あの坊主を騙して、土地を横取りして、ゴルフ場を作って大儲けするんだろ! 何を今更弱腰になっているんだ!」

 男が憤慨した様に呟くと、もう一人は情けない顔をした。

「もう帰ろうぜ。これで何回目だい? もう他を当たろう」

 そう言った男の目に、ふと坂道を登ってくる二つの小さな影が映った。一人はへとへとで今にも座り込みそうだが、もう片方は木の枝を持って飄々と鼻歌なんぞ歌っている。

「ありゃ、盆でも暮でも無いのにガキンチョが二人……」

 それを聞いたもう一人が跳ねるように立ち上がった。

「しめた。きっとあの坊主の孫だな。孫に強請られればいくら坊さんでも首を縦に振らないわけがないだろ」

 男たちは顔を見合わせ、にたりと笑った。二人が坂道を登り切るのを今か今かと待ち構え、やっと子供が登り切ると、男たちは両手をすりすり擦り合わせた。

「おやおや、可愛い坊や。ここのお寺に御用かい?」

「うむ。帝釈天を打ちのめしてしまったので懺悔に参った」

 棒を持って鼻歌を歌っていた方の子供がそう話した。成る程、アニメかなにかの影響を受け、その登場人物になりきっているのだろう。自分も昔、仮面ライダーのベルトで喜び、二階の窓から飛び降りて足を骨折したことがあった。今となっては黒歴史であるけれども……

「ははぁ、そうでしたか」

「兄貴、こいつ頭おかしいですぜ」

「お前は黙っていろ」

 取り敢えず、話しを合わせて機嫌を取り、和尚さんをこの子供に説得してもらおう。

「僕、お菓子が欲しくないかい?」

 男はもう一人に持たせていた菓子折りを見せた。それを目にした子供は眉根を寄せ、もう一人は疲れ果てて座り込み、不思議そうに男の顔を其々見比べている。

「腹は減っていない」

「まあそう言わず。ここの和尚さんに届けに来たんだが、取り合ってくれなくてねぇ」

 男は困った様に呟いた。

「はあ……それは誠に失礼である」

「そうでしょう。態々ここまで来たのに、話しを最後まで聞いてくれないんだよ。あの山を開拓してゴルフ場にすれば、この町はもっと豊かになる。それでこの町はもっといい町になるというのに……」

 男が淀みなく喋ると、子供は持っていた木の枝を放り投げた。

「失礼なのはそちの方である」

 子供が真剣な表情をしてそう言ったものだから二人は少したじろいだ。

「失礼とは……?」

「人にものを頼みに来たのであれば、菓子折りの箱を裸のまま持って来るものではない。風呂敷に包んで持って来るのが常識である。その上、山を開拓してゴルフ場? 片腹痛いわ」

 男二人はお互いに顔を見合わせ、菓子折りに視線を落とし、再び子供に視線を向けた。

「まあ、そう言いなさんな。ゴルフ場が出来れば、他所から金持ちがやって来る。金持ちが町で買い物をして金を落として行ってくれる。それで町が豊かになる。良いことだろ?」

「山高きが故に貴からず、木有るを以って貴しとす」

 子供の発言に男二人は少したじろいだ。

「山は高いから価値があるのではない。そこに木があるから、雨が降っても土砂崩れが起きないし、虫や鹿や猿達が食うに困らない住む場所になっている。だから里に下りて悪さなんかしない。あの山を禿山にしてしまったら、住処を失った動物に作物を取られ、町の人間が困るんだ。それで本当に豊かになったと言えるだろうか? お金なんぞあっても、失った山や森は帰って来ない。それこそ負債である」

「何、あの山を全部丸裸にしようと言っているんじゃない。それに、山なんていくらでもあるじゃないか」

「お前さん、他にも国ならいくらでもあるんだから他所へ行けと言われて、無一文で言葉も解らない外国なんぞに行けるかい?」

 男は口をへの字に曲げた。

「倉の内の財は朽つること有り。お金なんぞあっても、使ってしまえば無くなってしまうし、盗まれることもある。そんなものの為に躍起になっている間に人生終わってしまうぞ」

 子供がそう言って門の中へ入って行くと、もう一人もおずおずと黙って入って行った。男二人はその小さな背中を眺めながら、あんぐりと口を開けたまま閉まらなかった。



 門を潜ると、水のせせらぎが聞こえた。庭に小さな池があり、その真ん中に菩薩像が立っている。玉砂利の庭を進み、本堂の隣の家へ向かうと、呼び鈴を鳴らした。がらりと勢い良く戸が開き、日差しを反射させた禿頭が覗くと、にやりと笑った。けれども、隣に居た蓮はあからさまに眉根を寄せ、驚いた顔をして後ろへ隠れる様に後退した。

 禿頭の老人は丸いサングラスを外すと、二人を見比べて決まりが悪そうに頭を掻いた。

「なんじゃい。太郎か」

「爺様、ハワイにでも行って来たのかい?」

 アロハシャツに、スタッズの沢山ついた革ジャン姿の老人に吹き出しそうになる。

「いや、最近な。あの奈良山を禿げにして太陽光パネェイルなるものを設置しませんかとか、しょっぴんぐもーる? なるものを誘致する話しやら、挙げ句ゴルフ場に……などと手を変え品を変えやって来る怪しい二人組がおってな。袈裟を着ていると坊主と舐められるので息子がヤンチャしていた頃の服をちょっと借りての……」

 そう言って老人は革ジャンを脱ぐと、太郎の後ろに怯えて隠れている子供を見て申し訳無さそうに頭を掻いた。

「すまんな。またそいつらだと思うて……」

「ははっ実語教で言い負かしてやったわ」

「実語教……ああ、山高きが故に貴からずか……ワシは延々とあの山の価値を三時間に渡って教えてやったのだが、まああの愚人には幼児向け教科書の方がレベルが丁度良いのだろう」

「三時間……また天台宗を開いた最澄の話しから始まったのだな」

「勿論」

 二人はにやりと笑い、声を上げて笑った。蓮はそんな二人の様子を見て不思議そうにしている。

「ところでそちらは?」

「仏の台である」

「ほう。蓮と言うのか。それは良い名だ」

 蓮は意味が解らず首を傾げていたが、少し恥ずかしそうに軽く頭を下げた。

 二人は蓮を寺の中へ案内した。老人は一度奥へ引っ込んで袈裟に着替えている間に、蓮は木魚が気になって叩いていた。

 暫くして老人が着替えて戻って来ると、安心した様に笑った。

「ところで、太郎は今日、遊びに来たのかい? 木曽根の家からでは子供の足では二時間くらいかかるだろう」

「ははぁ……実はこれこれこういうことがありまして、意図せず帝釈天をのしてしまったのです」

「はぁ……で、恥ずかしげもなくわんわん泣いたのだな」

 そう言われ、少し恥ずかしくて笑った。

「たとえどんなことがあろうと涙の一滴も見せないのが僧の誇りである。生あるものは必ず死ぬものじゃ」

 爺様の言葉に目を伏せて笑った。

「……じゃが、お前は小さな生き物にも心を寄せられる慈悲深い子に育ったの。天はそれを見ておられる。だから雀は再び息を吹き返したのだろう。これからももっと精進せい」

「あい、解りました」

 手を合わせて深々と頭を下げた。蓮はその様子を横目で見ながら寺の中を見て回る。不意に観音像の裏に漫画を見つけ、蓮は嬉しそうに手に取った。

「わあ! ○滅の刃だ!」

 蓮の声に、爺様が狼狽えた様に辺りを見回した。

「爺様、何を狼狽えておるのだ」

「え? いや別にアニメでティーバッグのナイスバディのお姉さんが出て来たから、そういう漫画だと思って買ってみたら割と真面目な物語で、全巻買い揃えてしまったとか、○姫のフィギュアを当てる為にコンビニの一番くじを買い漁ったとかそんなことは決してないぞ?」

「わあ! グッズも沢山ある!」

 蓮が無邪気に声を上げると、爺様は苦笑いを浮かべていた。

「生臭坊主め。煩悩の塊ではないか。檀家さんに怒られるぞ」

「いやいや、これは世の中を知る勉強の一つである」

 老人はそう言うと、蓮の傍に寄って座り込んだ。

「この漫画が好きかい?」

「うん! 好き! 映画も観たよ!」

「そうかい。この漫画の舞台がいつ頃のものか知っているかい?」

「えっと、たいしょうだっけ?」

「そうそう、大正」

 そこまで聞いてやっと爺様がその漫画を何に繋げようとしているのか解ったが、蓮だけを置いて行けず、そこに正座した。

「大正時代に使われていた教科書はこちら、国民の修身である。その前の明治時代まではこちらの実語教が平安時代から使われていた。何故、そんなにも長い間、この実語教が教科書として用いられたかというと……」

 古い本を二冊蓮の前に並べて長々と説明が始まると、蓮が眉根を寄せ、興味無さそうに目を伏せている。

「爺様」

「なんじゃい」

「腹が減っておる」

 このままではまた延々と話が続いてしまうと思い、話しをそらせた。時間は正午。この辺にコンビニは無いし、今から空腹の子供を追い返すなどしないだろう。

「台所をお借りしたい」

「構わんよ」

 蓮の手を取ると、引っ張って寺の隣の家へ入った。二階建てで、隣の木造の寺と違い、今時の建売住宅である。その台所へ立つと、米びつから二合米を量り、洗い始めた。その様子を蓮が不思議そうに見ている。

「ご飯作れるの?」

 蓮の言葉に少し首を傾げた。

「米を洗って水を入れ、炊飯器のボタンを押すだけである」

「え、僕、やったことない」

「ではやってみるのだ」

 蓮に、米を洗ったら炊飯器の二の線まで水を入れるのを手伝ってもらい、『炊飯』のボタンを教える。片手鍋にお椀二杯の水を入れ、乾燥わかめを煮立たせ、蓮に豆腐を切って貰った。

 ご飯と味噌汁が出来上がると、蓮は初めて料理をしたと喜んでいた。

「料理も出来るなんて凄いね!」

 凄いと言われて悪い気はしない。なのでにやりと笑った。

「和尚さんは、君のおじいさんなの?」

「いいや、母方の父の弟である」

 蓮がそれを聞いて不思議そうな顔をした。

「お祖父さんの弟……」

「そうである」

「よく似ているからお祖父さんなのかと思った」

「物心つく前からここでお世話になっていた。小学校へここから通うにはちと遠いから、爺様の三番目の息子の家へ引っ越したのである」

 蓮はそれを聞いて驚いた様な顔をした。何か変なことを言っただろうかと訝っていると、蓮がにこりと笑った。

「そっか。寂しかったんだね」

 そう言われて少し戸惑った。

「僕も、引っ越したばかりで不安で、友達がいなくて寂しくて、大阪のマンションに帰りたいって思ったりした。君もそうだったんだね」

 心を見透かされてしまい、なんだか恥ずかしいような嬉しいような……よく解らない気持ちになってにやりと笑った。

「かなわんのう……」

 爺様に聞かれたら、修行が足りないと怒られてしまう。

 ご飯が炊きあがると、二人は並んで昼食を取っていた。



「ここは後醍醐天皇の勅願寺として、鎌倉の宝戒寺・肥後の鎮興寺・加賀の薬師寺とともに日本四大戒道場の一つと定められておる由緒正しきお寺での……」

 昼食を終え、片付けを終えて帰ろうとしている所を爺様に捕まり、蓮は眉を潜めていた。彼の方は相変わらず笑って聞いている。そんなに面白い話しでは無いのに、何故にこにこしているのか僕には解らなかった。それを察したのか、彼は僕を一瞥してにやりと笑った。

「爺様、幸せの話しが聞きたいのである」

 彼がそう言った時、僕は首を傾げた。老人もやっと僕がつまらなそうにしていることに気付き、両掌を開いて見せた。

「これが、生命線でな、これが頭脳線、色んな線の皺が掌にあるじゃろう?」

 僕は爺様の大きな掌を見つめ、自分の掌を開いて見た。確かに沢山の皺がある。

 爺様と彼は共に手を合わせ、拝む様な姿勢をした。

「この皺と皺を合わせて、幸せ」

 僕は一瞬、何を言われたのか解らなくて目を白黒させた。更に爺様と彼が合わせていた手の指を軽く丸める。

「で、こっちは爪と爪を合わせて、詰合せ」

 僕ははっとして、隣に居る彼を見つめた。彼はにやにやしながらこっちを見ている。

「お洒落だろ?」

 成る程、言葉遊びである。お洒落かどうかは兎も角、この寺の話しよりは幾らかましである。

「師に会うといえども学ばざれば、徒に市人に向かうが如し」

 僕は何を言っているのか解らなかった。

「どんなに偉い坊さんや先生と会っても、つまらない話だなぁと聞き逃していたのでは、ただの人と会っているのと変わらん。楽しく聞く、面白く解釈する」

 彼の言葉に爺様は深く頷いた。

「ほれ、あの頭を見ているとまるでお日様のようで、それだけで有り難いではないか。ただ、天道物言わずして国土に恵み深しと言う。初対面の子供にあまり口煩く説法した所で寝耳に水である。であるからしてここいらでお暇させていただきます」

 爺様はそれを聞いて神妙な顔をしたが、彼が深々と頭を下げるのを見て笑っていた。僕も彼を真似て頭を下げ、彼と一緒に寺を後にする。彼は寺へ来る前よりも軽やかな足取りで鼻歌を歌いながら坂道を駆けていた。

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