第10話 ブラコンがただの風邪な世界で、陰謀論者に呆れる兄の話

 親父に送迎要請ラインを送りながら立ち上がる俺の下半身に、タックルさながら掴みかかってくる陰謀論者。もはや思いっきり泣いてやがる。一ミリも同情を誘ってこない涙だ。

 くそ、マジで期待して損した。何だったんだ、この時間。こんなアホらしい話に付き合ってる暇あったら、さっさと家で真雪寝かしつけて海那と会うことだって出来たかもしんねぇのに。

「冷静になってくれよ、青年! 電磁波なんだっ! だってそうじゃなきゃ説明がつかないだろう!? 人類全体の認識が根本から覆ってしまうなんて! 広範囲に! 不可視で! 脳に! 影響を与えられるものだとしか考えられないっ!」

「そうだね、怖いね、電磁波だね。あーデンジハデンジハ」

 目がイっちゃってる。完全にトんでる奴の顔だ。

「うぅ……っ、お願いだよ、待ってよぉ……怖いんだよぉ、世界にただ一人取り残されたみたいなんだ……ボクだけが一人、知らない世界にポツンと立たされていて……久しぶりに学校来ても教室で浮いてるし……」

「それはあんたが一人だけ年上だからだろ。気ぃ使われてるだけだろ。元からだろ」

 なるほど、筋通ってたわ。自分がぼっちであることを、黒幕さんに世界変えられたせいだと責任転嫁して精神の安定を図っていたんだな。頑張って生きてほしい。

「そうだよ! ボクには元から友達なんていないさ! 家族以外の人間とこんなに長く話したのも初めてなくらいにな! 言っておくが、これだけでもうボクは既に君のことを百パー恋愛的な意味で好きになっているからな! そんなボクを見捨てるのかい!?」

「う、嬉しくねぇ……」

 この人が誰かを騙して陰謀論に引き込むよりも、悪い男が陰謀論信じたフリしてこの人を手籠めにしちまう方が先なんじゃないか、これ。誰か守ってやれよ。信者に騙される教祖を救済するNPOとかねーの? ねーな。

「はぁ……まぁ、期待した俺が悪かったけどな。だいたい、全部祥子さんの言う通りだと仮定したって、別に真雪の症状を治せるとは限らねーわけだしな」

 言ってみれば、この世が誰かに操られていようが俺にとってはどうでもいいことなのだ。妹が正常に戻ればそれでいい。逆に、その黒幕さんを倒したとしても、真雪が元に戻らないなら何の意味もない。

「そんなことはないッ! そもそもブラコンウイルスなんてものは、この世界においても、存在していない可能性が高いと言っているのだ! 存在している、ずっと存在してきたと思い込まされ、そして君の妹のように感染したと勘違いしてしまう者も現れているというだけだ。電磁波によってな! 本来そんなウイルスなんてないのだから、合理的に説明のつかない症状なんていくらでも起こり得る。それが今の真雪君の状態なのだろう。逆に言えば、思い込みさえなくしてしまえば症状は解けるはずなんだ。そして思い込みを解消するためには、真実を知ってもらうしかない! だが、誰も信じてくれない! それならもう、黒幕を見つけ出し、真相を徹底的に解明して、世界中に知らしめるしかないであろう!」

「ウイルスの存在自体が思い込みってか。実際熱も出てるってのに」

「発熱ぐらい、思い込みでも充分起こりうる! ……あ、あともしかしたら、電磁波+人工ウイルスってコンボ技の可能性も……」

「帰ります」

「おいっ! 何だこの千円札は!? 受け取らないからな!?」

 近くでこれだけ騒がれていても呑気にスヤスヤお眠り中の妹を、起こさないようにそっとお姫様抱っこで運んでやる。親父がたまたま近くにいたらしく、すぐに来てくれると返信があったのだ。爆笑するアニメキャラのスタンプと共に『大袈裟な奴だな(笑)』とも添えられていたが。あの過保護気味な親父ですら、娘のブラコンなんて大して気にも留めていない。

 ……やっぱり、それが普通なのだろう。

 海那の、陸斗の、そして世間の、常識様の、言う通りでしかなかった。俺が心配性だっただけ。風邪なんだから、熱が引いた後に症状が残ることくらい、何らおかしくはない。今までの真雪には、たまたまそういうことが無かったというだけ。どうせ明日には全てが治っていて、真雪はこの二日間の症状を思い返し、以前にも増して俺に冷たく当たり、海那や陸斗や両親は、「ほら見たことか」と俺をからかうのだ。

 ただ、それだけの話。

 徒労感にため息をつきながら、俺は腕に抱いた妹の幸せそうな寝顔を見て――まぁ悪くはない一日だったなと、何故かそう思ってしまうのだった。

 千円失ったことは秒で後悔した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る