第8話 ブラコンがただの風邪な世界で、陰謀論にハマる女子高生の話

 海那はまともに取り合ってくれなかったが、やっぱり俺は納得し切れていなかった。いや、頭ではあいつの言ってることが正論だと理解している。それなのに、どうにも腑に落ちないのだ。

 というわけで俺は放課後、別の人間――海那並みに俺たち兄妹のことを知っている――もう一人の幼なじみに話を聞いてもらうため、野球部の部室を訪れていた。

「つーわけでな、陸斗。真雪のブラコンが治ったはずなのに、真雪が兄である俺のことを大好きなままなんだ。真雪の彼氏としてどう思うよ?」

「何の相談をされてんスか、オレは……」

 短髪・高身長の野球部一年生エース、橋本陸斗は練習着に着替えながら、姉とそっくりの呆れ顔を浮かべた。

「いやいや、だっておかしいと思わねーか、陸斗。今まで真雪にこんな症状が現れたこと一度もなかったじゃねーか。しかも熱も喉の炎症も治まってんのに……お前だってあいつのそんなとこ見たことねーだろ?」

 幼稚園の頃からずっと真雪と同じクラスだった陸斗のことだ。ある面では、家族以上に真雪を見てきたはず。こいつの意見は貴重だ。

「んなこと言われても、いちいち覚えてないっスよ、真雪の過去のブラコン症状なんて。だいたい、熱出して家で雷太君に甘えてる真雪に、オレが会うような機会ないじゃないっスか。ウイルス運んで姉ちゃんにうつしたりでもしたら面倒くさいし」

「それもそうか……い、いやでも。心配ではあるだろ、真雪のこの状況は」

 正直、有益な意見を期待してたわけじゃない。それよりも、この不安を共有してもらいたい気持ちが強かった。最愛の彼女に突き放されたからか、何故か俺は自分がこの世界から弾き出されたような感覚に襲われていたのだ。

「大げさっスねー、雷太君は。所詮、ただのブラコンじゃないっスか」

「彼氏のお前までそんな風に言うのか……」

「いや、だってただのブラコンですし。確か昔っから雷太君がキスでもして添い寝してればすぐ治るんでしたよね? 今夜もそうしてやればいいだけじゃないっスか」

「そうかもしんねーけどよ……もう少し心配してやってもいいんじゃねーの? 真雪のこと好きなんだろ?」

「はぁ? なんスか、それ。気持ちわるっ。誰があんなギャルなんか……ん? あれ?」

「おいおい、お前ら付き合い始めたんだろ。何だ、今さら隠すつもりかよ。無理があるぞ、それは」

「ああ、いや……そう、っしたよね、うん。別に真雪と付き合ってるのは隠してないっスけど」

 何故かどこか自信なさげに呟く陸斗だったが、グラウンドから聞こえてきた野太い掛け声にハッとし、「やべ、アップ始まってる!」と言い残して走り去ってしまった。

 マジかよ、薄情な……いや、やっぱり、俺が気にしすぎなだけなのだろうか。確かに俺がもし相談される側の立場だったとしたら、あいつらと同じ反応をしていたとも思うし……

 グダグダと悩みながらも、真雪が待っているという保健室へと向かう。こうなってしまった以上、さっさと帰るのが、今できる最善策だ。海那と陸斗、俺が頼れる人間全てから相手にされなかったのだから仕方ない。

 そんな、友達が少なすぎるはずの俺が保健室の扉を開けると、

「フハハっ、お困りのようだな、青年っ」

 何故か至近距離から妙に馴れ馴れしい声が聞こえてきた。え? は? どこから……

「うおっ……な、何だ、こいつ……どこから入ってきたんだ、お嬢ちゃん。お兄さんかお姉さんを探しに来たのかな?」

 目線の角度をだいぶ下げた結果、俺の真っ正面に、ちっこい黒髪ショートの女の子が立っていた。何か尊大な態度で俺を見上げていた。

「朝にはマダム呼びしてきた癖に、夕方にはガキ扱いか……何なのだ、なぞなぞか何かか。ボクは十九歳だと言っているだろう」

 不服そうに睨みつけてくるクリクリとした目。白く小さな丸顔に、控えめな桃色の唇。体形は少女然としているが、よく見てみれば顔つきは成熟した女性のそれだし、よく見なくても普通にうちの高校の制服を着ているので、まぁうちの生徒だろう。そういえばどっかで見たことある気がするし。ていうか、

「マダム呼び……ボクっ子……青年……? あっ、朝の変態覆面女!」

 あの頭おかしいビラを渡してきた陰謀論者だ、こいつ! 同じ学校だったのかよ!

「ん? ていうか、十九歳? …………どこから入ってきたんだ、不審者。ストーキングのターゲットを探しに来たのかな?」

「ボクはここの二年生だ。君と同学年。一浪一留しているからな!」

「……何かごめんなさい、先輩」

「謝るな。余計辛くなる」

 涙目でプルプル震える先輩への罪悪感から、目線で促されるままに、俺はベッドに腰を下ろしてしまう。ちなみに布張りパーテーションの向こう側では真雪がスヤスヤと寝息を立てていた。待たせ過ぎてしまったみたいだ。

設楽したら祥子しょうこだ。よろしくな、鈴木青年」

 そう言って、設楽先輩とやらは看護教諭用のイスに座り、こちらを向く。この部屋には真雪を含めて俺たち三人しかいないようだ。

「よろしくお願いします、先輩」

「ため口でいいぞ。先輩もやめてくれ。悲しくなるからな!」

「じゃあ祥子さんで。てか、俺の名前は知ってたんだ。そういや朝も、俺と海那に妹や弟がいることまで……って、あんた、同じ学校だから知ってただけの情報で、さも特殊な能力で言い当てましたみたいな雰囲気出しやがったな!」

「まぁまぁ、そこら辺はいいじゃないか。それに、そんな理由で君らのことを知っていたわけではない。ていうか同じ学校に通っているなんて今日まで気付かなかったぞ。何たってボクはあまり学校に来ていないからな! フハハハっ!」

「先輩は世界を救うための活動で忙しいですもんね。では、俺たちはこれで」

 自虐聞かされるのってこんなに辛いんだな。いい勉強になった。これから気を付けよう。

「待て待て待て、帰ろうとするな。ブラコンのことで悩んでいるのだろう? あと敬語はやめてくださいマジでお願いします」

「な……っ! なぜ、それを……まさか、本当に特殊な能力が……?」

「君達が普通に食堂で騒いでいたからだ。とはいえ、妹がいる以上、遅かれ早かれブラコンに苦しむことになるのは必然なのだがな。だからこそボクは今朝、君を誘ったわけだ。本来であれば、その後は君達自身で目を覚まして接触してきたほしかったのだが、まぁ早くもこうして苦悩しているというなら致し方ないからな、ボク自らこうやって素顔を明かしてやった次第だ。ありがたく思え、青年」

「あ、やべ。逃げなきゃ」

 そういや元々こいつ、やべぇ陰謀論者で、俺らを勧誘してたんだった。こうやって身元までバレてるとか最悪の状況じゃねーか。

「待って青年。マジで待って」

「とりあえず真雪を起こして、親父に迎えを頼んで……この女のことは学校のどこに報告すりゃいいんだ……? いや、この際警察か……?」

「青年様! 待ってください、お願いします! どうか話を聞いてください!」

「ひぇ……っ」

 ボクっ子はついに床に這いつくばって、俺の足に縋り付いてきた。目が血走っている。必死過ぎて、もはやホラーだ。

「君を助けるためでもあるんだ! この世界を救わなければならない! いやっ……何よりも、このままではボクが壊れる! 頼む、聞いてくれ! 頭がおかしくなりそうなんだッ!」

「たぶんもう手遅れだ!」

 そう思いながらも、いやそう思うからこそ、最期のはなむけとして望みを叶えてやることにした。頼むから成仏してくれよ……。

 俺たちは再度、イスとベッドに座り向かい合う。

「ありがとう、青年よ……やはり君には素質がある。この世界の真実に辿り着くためのな……!」

「やばい。怖い。震える」

「分かっている。君もボクを陰謀論者と呼ぶのだろう? いや、仕方ないのだ、それは。何も知らないのだから。騙されているのだから。こちらから一方的に真実をぶつけられても、受け止めるのは難しいのかもしれない。よし、そうだな。まずはそちらから話してくれ。妹さんのことで悩んでいるのだろう? ボクには知っていることがある。他の人間には出せない答えを君に与えられるはずだ」

「…………っ!」

 そうだ、この人の主張は、ブラコンが生物兵器だとかいうものだった。ブラコンがただの風邪の一種ではないと、そう言っているのだ。あまりにも突拍子がないし、到底真に受けられるものではない。それなのに。今の俺には、妹のブラコンに違和感を覚えている俺にとっては、興味のそそられる話であることも否定できなくて。

 触れてみるだけなら、損はしないのかもしれない。

「どうだい、少しも話してみる気にはならないかい?」

「……いや、実はな、祥子さん。そこに寝てる妹の真雪が昨日ブラコンにかかっちまって、まぁそれは毎年この時期の恒例行事みたいなもんなんだけどな。キスやら添い寝やらで一晩たっぷり甘えさせて朝にはすっかり熱も下がって治ってたはずなのに、何故か未だにブラコンの症状が残ってやがるんだ。治ったと勘違いしたのはツンツンした態度があったからなんだが、それも実はツンデレ、ああ、ツンデレってのは兄のこと好きすぎて素直になれずにツンツン当たっちゃうことを指す造語なんだが、とにかくツンツンしてるくせに兄である俺にゾッコンなのがバレバレなんだよな。まぁブラコンなんだから当たり前だろって言われちまえば、それまでなんだが、俺にはどうにも違和感が拭えなくて……だって……なぁ?」

 あー、ダメだ。

 こうやって言葉にしてみて、自分でも要点が分かっていないことに気付く。何の問題もないと言えば本当に何の問題もないのだ。こんなことに不安を覚えている俺が、やっぱりおかしいのかもしれない。これはまた、一笑に付されて終わりだろうか……。

 しかし、そんな俺の危惧とは裏腹に。祥子さんは、顎に手を添え、前のめりになり、瞬きもせずに俺を真っすぐと見つめ、話に聞き入ってくれていた。真剣味に溢れながらも、何て優しく温かく、安心感を与えてくれる表情なのだろう。

 まさか、これは。本当に、期待していいのか?

 俺の話が一段落ついたと見たのか、祥子さんは一度目をつぶってコクリと静かに頷き、

「なるほど、な。妹のブラコンが完治し切らずに困っている、と。ただの風邪の一種に過ぎないはずのブラコンに、看過できない後遺症が現われている、と。そういうことだな、青年」

「わかってくれるんですね!? そうなんですよ、具体的に言えないのがもどかしいんですが、やっぱり少し変だと思うんです!」

「うんうん、それは心配だよな。やはり聞いておいて良かったよ、君の話を」

「ありがとうございます!」

 ほぼ初対面のはずなのに、こんな漠然とした不安を親身になって受け止めて、自分事のように共感してくれる。ただそれだけのことで、こんなにも気が楽になるなんて。

 この人は、信頼できる気がする。だって、話を聞いてくれるだけじゃなく、

「とりあえずまず、一つだけ言わせてくれ」

 こうやって、俺の肩にポンと手を置き、貴重なアドバイスを授けて――

「はっ……!」

 ここで俺は気付く。

 これ、カルト宗教の典型的な勧誘手口じゃね……? 社会的弱者の心の隙に付け込もうとしてね?

 あ、あっぶねー……! 騙されるところだった。このチビは、ただの風邪でしかないブラコンを生物兵器扱いする電波女だぞ? 危険人物だぞ。絶対にほだされたりなんかしちゃいけない!

「いいかい、青年。よーく聞きたまえ」

 電波チビは俺の肩をぎゅうっと掴んだまま、必死さのにじみ出た眼差しで真っすぐとこちらを見据えてくる。完全にイカれた人間の顔だ。餌に引っかかった獲物を絶対に逃がすまいと決心した獣の表情だ。きっとこの後、怒涛の勢いで勧誘が始まるのだろう。

 ええい、もういい、来るなら来い! 陰謀論者の頭のおかしな主張なんて、この際、俺が全部論破してやる!

 開き直った俺に、おでこ同士がぶつかる寸前まで顔を近づけたオカルトチビは、スーッと一度大きく息を吸い、そして。



「ふぅ、ブラコン、か…………


 ――――そんな疾患――――あるわけねーだろッ!! 何だ、『ブラコンはただの風邪』って!?

 ボクの、ボク達人類の……築いてきた世界が……――いつの間にかッ! 狂ってやがるッ!!」



 予想だにしなかった言葉を。終末の日を迎えた最後の人類のような絶望顔で。叫び散らすのだった。

 えぇー……。

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