第7話 ブラコンがただの風邪な世界で、ツンデレ症状が現れる妹の話

「それにしても、酷い内容だったわね……」

「ああ……」

 昼休み。食堂の食券機の列に並びながら、朝の件について海那と話す。

 あの変態女に渡されたビラ――そこに書かれていた文面は、端的に言って酷かった。ヤバかった。

「ブラコンが生物兵器って、何だよ……意味わかんねーよ……」

 正直、呆れるしかなかった。

 彼女らの主張では、ブラコンは何者かが意図的に開発した人工ウイルスなのだという。何だそれ。

「そもそもブラコンなんつーただの風邪みたいなもんをばら撒いたところで何になるってんだ。世界征服なんてできねーぞ。殺傷能力ゼロでも兵器って呼べるもんなのか?」

「ブラコン散布の目的に関しては、世界のシステムを根本から変えるため――だとか書いてあったわよ。具体的なことは何も言っていないに等しいけれど」

「こ、怖い……っ」

 理屈が通らな過ぎてマジで怖い。絶対話が通じない奴らだ。いや、わかるよ? 裏で世界を操ってる巨悪がいる的な妄想自体は楽しいと思う。中にはそれを真実だと思い込んでしまう人間もいるんだろう。

 ただ、あの女のこの主張に関しては毛色が違う。

 だって、ブラコンなんて大昔からある疾患じゃん。学術的なことなんて分からんが、少なくとも何万年も前、先史時代には余裕で存在してただろ。じゃあいつ誰がそんなウイルスを開発したんだって話になるわけで。打製石器作りながら人工ウイルスも作ってたの? 違うよな、元からあったんだ。世界のシステムを変えるも何も、俺たち人類にとっては、ブラコンが当たり前に存在しているのが「世界」だろ。大昔からブラコンが蔓延する世界にブラコンをばら撒いて世界を変えようとするアホな悪者って、もはや故事成語になるやつだ、それ。

 何つーか、フィクションにも最低限の道理は必要だよな。こんだけ辻褄が合ってないようだと、入り込みようがねぇ。

「まぁ、大衆メディアが面白コンテンツとしてイジってた程度のことだものね。まさか自分の町にお仲間がいるとは思わなかったけれど。こういうのは相手にすると図に乗るから、批判や反論もダメ。無視が一番よ。これがインフルエンザに関する陰謀論なんかだったならまた話も違うんでしょうけれど……だって、万が一ブラコンに関する誤った認識が広まったところで、別に危険性なんて皆無だものね」

 そうだ、海那の言う通り! 今年の俺はもうブラコン関係の雑事からは解放されたんだ! 自由だ! 自由に恋人とイチャイチャするんだ! これ以上、ブラコンの話題なんか御免だぜ!

「よっしゃ、海那。何かイチャイチャできる系のメニュー頼もうぜ。周りに見せつけてやりたい」

「イチャイチャ出来る系のメニューって何? 初めて聞いたけれどめちゃくちゃワクワクする響きね」

「何かシェアできる系のやつと、そうだ、一つのジュースにストロー二本挿すやつやろう。この学食、無料の水とウーロン茶しかねーけど――ん?」

 じゃあストローも置いてねーだろ、という衝撃の事実に俺が気付いたそのとき、学ランの裾をチョイチョイと引っ張られる感じがした。振り返ると、そこには、

「うわ、お兄じゃん。最悪。学校にまで来て何であんたの顔なんか見なきゃいけないわけ?」

「り、理不尽……!」

 校則ガン無視金髪ギャルこと俺の妹、真雪様が仁王立ちしていらっしゃった。いやお前がちょっかい出してきたんだろ、こっちから接触とかしねーから……。高校で会話すんのとかこれが初めてなんじゃねーの?

「何の用だよ、マジで。怖ーんだけど」

「ん」

「は?」

 真雪は何故か、こちらから顔を背けて、巾着袋のようなものをズイッと差し出してくる。ようなものっていうか、巾着袋だ。俺の。ごく稀に親が作ってくれる弁当を入れる用のやつだ。そんでもって、見るからに袋の底が角ばっている。どう見ても俺の弁当箱が入っている。

「え、何だよ、今日母さんか親父、弁当用意してくれたの? 普通に仕事だったよな?」

「違うし。昨日母さんたちに迷惑かけちゃったから、お詫びにあたしが作ったげたの。で、間違って作りすぎちゃったからあんたの分も持ってきたってだけ」

「はぁ?」

 え? は? マジで何言ってんだ、こいつ。そんで何でそんな顔真っ赤なの?

「だからっ! 元々あんたのために作ったわけじゃないから勘違いしないでよって言ってんの!」

「いやいやいや勘違いも何も、まず理解できてねーんだよ、状況を。あのお前が急に料理とかしたってのが信じらんねーし、それ以前に、何? 迷惑? お詫び? って……何かやらかしたのか、お前?」

「は……はぁ!? そんなの、決まってんじゃんっ! 昨日、散々迷惑かけちゃったでしょ、ほら、あんたにも、てか特にあんたに……その、あれで、」

「あ? なにモゴモゴ言ってんだよ、聞こえねーよ」

「――――~~~~っ!! だからっ! ブっ、ブラコンっ! だったっしょ! あたし、昨日! 看病してくれたお礼っ!」

「あ、ああ、そういうこと?」

 そんなの当たり前ってか、仕方ないことなんだから気にせんでいいのに。てか、気にしたこともねーだろ、今まで。これまで何度俺がお前のブラコンの看病してきたと思ってんだ。逆にたまに俺が風邪引いた時なんかはお前だって看病の手伝いくらいしてくれてただろ。せいぜい一言礼でもあればそれで終わりの話じゃね? 少なくともうちの家族ではそうだったはずだ。

「あら、良かったじゃない、雷太。素直に受け取っておきなさいよ。真雪も変わったわね」

 海那は微笑ましげにそう言うが……何か違和感が残る。

 朱色に染めた頬をぷくっと膨らませ、どこか不安げに潤ませた目で、しかし虚勢を張ったように睨みつけてくる。一見、いつもの真雪らしい反抗的な態度とも思えるが、根本的なところで違う。

 そもそも最近のこいつは俺に噛みついてくることさえなかったのだ。俺の妹の反抗期の特徴は、とにかく兄を無視すること。黙って侮蔑すること。直接的なアクションは冷たい目で舌打ちすることぐらい。ボーナスステージとして妹から御言葉を頂けるとすれば、それは「きも」か「うざ」の二文字だけのはずだった。

 はずなのに。

「言っとくけど、ホントにただのお礼でしかないんだからねっ! あんたのことが好きとかそーゆーんじゃないんだから! だから……っ」

 もしかして、これって、

「だからっ、その、あたしがいないところで勝手に勘違いとかされたら困るから、その……い、いっしょに食べなさいよ!」

「ツンデレじゃねーか……!」

 え? いや待て待て待て。お前そんなにツンツンな口調な癖に、デレっとした上目遣い向けてきやがって……どっからどう見ても俺のこと大好きじゃねーか!

「お前、未だにブラコンだったのかよ……」

 完全に治ったと思ってたのに……。しかも、こんなツンデレ症状なんて初めてだ。昨日は例年通り、素直に甘えてくるタイプのブラコンだったのに……。

「ツ、ツンデレ……って、ちょっ……お兄……!?」

 サラサラの金髪をよけて、真雪のおでこに手を当ててみる。何かドギマギしていやがるが、ツンデレのブラコンであるなら仕方ない。

 しかし、

「ん? あれ? 平熱? いや、微熱なのか?」

 赤面のせいでちょい熱くなってるだけ? うん、じゃあそれ差し引いて考えたら、やっぱブラコンによる高熱なんてねーってことになるよな……。

「い、いつまで触ってんのよ、スケベお兄……っ」

「いや、だってお前……念のため、病院行っとくか?」

「はぁ? それじゃ、お兄といっしょに食べられないじゃんっ、せっかくお兄のために頑張って作ってきたのに……って、違うっ! てかツンデレじゃないし! ふんっ」

 そっぽ向いちゃったよ。ツンデレじゃねーか。ブラコンじゃねーか。

「やっぱ変だろ。ちゃんと治ってんなら、今のお前は昨日の甘えっぷりを思い出して死にたくなってねーとおかしい。お前はまだブラコンだ。とりあえず早退するぞ」

「……ブラコンブラコンって……」

 真雪はこちらから目をそらして数秒言葉に詰まった後、何か意を決したように、

「あーあーはいはいはい、そんなに言うならブラコンでいいですーっ! あたしはブラコン! はいっ、これでいいっしょ! だいたい、どんだけ妹が自分のこと好きだと思ってんの、お兄! あんたのことなんて全然好きじゃないしっ! スケベっ!」

「話せば話すほどブラコンだ……ツンデレだ……」

「ブラコンじゃないっ!」

 どっちだよ。ダメだわ、これはもう水掛け論だな。どうしよう、無理やり連れて帰るか……。

「まぁまぁ、二人とも落ち着きなさいよ。特に雷太。まずもって周りに迷惑だし」

 海那に宥められて気付いたが、そういえばここ食券機の列だった。周囲からめっちゃ奇異の眼差し向けられてた。

 ひとまず周りに会釈だけして列を抜けた俺たちは適当な席に座り、

「え? いや、悪いの俺かよ」

 海那に名指しで咎められたことに今さら気付いて軽くショックを受ける。

「それはそうでしょう。だって、真雪にもう熱はないのでしょう? さっきから雷太が大袈裟に騒いでいるだけじゃない」

 テーブルを挟んで向かいに座った海那が呆れたように苦笑する。

「いやいや、でもだって、明らかにブラコンの症状残ってんじゃねーか。残ってるどころか、何か変化してるし。ツンデレになってんじゃねーか」

「……それ、さっきからあなた達が言っている、つんでれ? って何なのよ? 兄妹だけで通じる言葉使わないでよ。私が仲間外れみたいじゃない、もう」

「は? いやツンデレってのは……」

 言葉に詰まってしまう。あれ? 何だっけツンデレって。そんな言葉ある? あ、俺が言い出したのか。

「まぁ、何つーか……本当は俺のこと好きなんだけど、素直になれなくてツンツン当たっちゃう、みたいな? でも内心デレデレしてんのバレバレみたいな? ……うん、そんな様子を指して、ツンデレって表現してみたんだが」

「なるほど……その乙女心、私にも分かる……心当たりがあり過ぎる……言い得て妙とはこのことね。国語能力皆無なあなたにこんな造語センスがあったなんてね」

「俺も驚いてる」

「まぁ、それはそれとして。結局のところ、表現が変わっただけで、それってブラコンの症状の一種として普通にあり得ることなんじゃないの? 要するに、病み上がりに少し症状が残っているというだけの話でしょう、今の真雪の状態って」

「それは……そうかもしんねーけど……」

「確かに油断し過ぎも良くないとは思うけれど、熱もないのにブラコンで病院に行くだなんて笑われるわよ?」

 言い返せない。常識的なのは明らかに海那の主張の方だ。誰が見たって、俺が心配性なだけだと言うだろう。

 でも、それでも。どうしても嫌な予感が拭えない。理由なんてない。産まれた時からずっと見てきた妹の様子に、言い知れぬ違和感を覚えてしまうのだ。

「でも、何か……そ、そうだ! 後遺症かもしんねーだろ! 放っておくのは危険なんじゃないか!?」

「後遺症って……あはははっ、だから大袈裟よ。単に治りかけってことでしょ。心配なら、完治するまでちゃんと妹の相手をしてやることね。ぷ、うふふ、ブラコン後遺症って……っ」

 笑いを堪えるように口を押さえる海那。失礼な奴……だいたい、お前とちゃんと向き合うためにも大事なことなんだからな? ブラコンの妹に付きまとわれ続けてたら、デートもできねーじゃねーか。

「ちょっとお兄っ! さっきから何で海那なんかとベタベタしてんの? べ、別に嫉妬とかしてるわけじゃないけど、でもお兄に彼女なんて百年早いんだからね! もっと家族を大事にしろーっ!」

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