第6話 ブラコンがただの風邪な世界で、ブラコン生物兵器説を叫ぶ陰謀論者の話

「あら、良かったじゃない。雷太の看病のおかげね」

 朝の通学路。恋人の海那が、俺の隣でからかい混じりに微笑する。昨日あんなことがあったのに、普段通り余裕さ溢れる雰囲気だ。歩いているだけで気品が漂っている。きっと一晩かけて必死で自分のキャラを立て直してきたんだろうな。

 対して、彼氏である俺はといえば、

「今度は俺の方が看病してもらいてぇぐらいだけどな……」

 体中が痛ぇ……数時間前に妹から受けた暴行のせいだ。おかげ様で、海那に対して緊張するとかいう余裕すらなくなったわ。どんな負の感情も、物理的な痛みには勝てないのね……。ありがとな、妹よ!

 ちなみに熱もすっかり下がったその妹は、まだ家にいる。登校はしてくるはずだが、もしかしたら病み上がりという理由で親の車で送ってもらうのかもしれない。たかがブラコンぐらいで甘えやがって。俺も乗せろよ。あ、いや、車中で気まずくなりそうだからやっぱいいや。

 あの様子じゃ今頃ブラコン中の言動を思い出して死にたくなってるだろうしな。これからまた兄妹で会話することもない日常に戻るのだろう。

 まぁ、今の俺にとってはそっちの方が都合もいい。

「ていうわけでな、海那。もう邪魔が入ることもねーだろうから、その、コンディションは整えておけよ? 俺は今のままのお前で五億点だと思ってるけど」

「まだまだ伸びしろあるし。今日の髪とか三十七点くらいだし。私たぶん百二十歳まで綺麗になり続けるし。それを隣で見続けないとか人生損してるし」

「確かに」

 年取った海那も絶対魅力的だもんな。こいつの人生全部独り占めしたい。

「うわっ。ねぇ、雷太。あれ……」

「ん?」

 突然顔をしかめる海那。やべ、今すぐキスしたいとか思ってるのバレてドン引かれた、と絶望しかけたが、そうではなかったようだ。海那に目線で促され、進行方向の少し先に注目してみると、

「お願いしまーす! どうか一読だけでも! 皆さんは騙されている! 世界中が欺かれている! 真実をどうか! 知ってください! いや知るべきだッ!」

 かなり小柄な女性が、大量のビラを抱えて、一人で周囲に何やら呼びかけていた。

「うわわわー……」

 と、ドン引きしているのは俺だけではない。通勤通学中の皆さま全員がその不審者を避けながら通り過ぎていく。

 それもそのはず。その女は、これから登山でもすんのかよってくらい分厚いダウンパーカーを着込み、顔の下半分を丸々フェイスマスクで、上半分をニット帽で覆い隠すという、十二月にしても、町中で人様に話しかけるには似つかわしくない格好をしているのだ。警戒されて当然、絶対防寒ではなく変装が目的のやつだもん、あれ。声質的に若い女性である気はするが、とにかく素性が知れない。こんな地方の小さな町にいるには存在感がハードすぎる。街頭演説すんなら顔ぐらい出せ。

「あれ、たぶん最近ちょっとニュースになっていたやつよね。確か、生物兵器がどうとかいう陰謀論を訴えてる……」

「はぁ? 何だそれ」

 そういやそんな団体的なのが、面白おかしく取り上げられてた気もするけど……まぁ陰謀論に基づいた団体なんて古今東西掃いて捨てるほどあるだろうしな。いちいち相手にしてたらキリがない。

 まぁ生で見るのは初めてだったからちょっと面食らったが、うん、ここは普通に無視して素通りしよう。

「お願いしまーす……クソッ! どうして分からないんだ、君達はッ! これはッ! 世界秩序の根幹を揺るがすッ! 大事件なんだぞっ!? 人類史の転換点なんだッ! それも、最悪な方向へのなッ!」

「ひぇ……っ」

 よりによって俺たちが近づいたタイミングで、その女は突然地団太踏んで喚き始めた。寒空の中、大勢の人間に無視され続けて遂にキレたのだろう。いや、どう見ても自業自得なんだが。

「クソォ、どうして民衆はこうも愚かなんだッ! そういった無関心が招くのは結局は自分達の破滅なんだゾっ!? せめて、せめて一人でも新たな同志を……っ、ん? ちょっと、そこの青年」

「ひっ、ひえぇ……」

 もはや崩れ落ちて地面に拳を打ち付けていた変質者が、なぜか急に落ち着いたトーンで、ある特定の一人に声をかけていた。

 え? 嘘だろ? え、まさか、俺じゃないよな? 偶然なことに今ちょうどこいつの目の前を通り過ぎようとしたのは確かに俺たちだけど。俺がたまたま青年という枠に収まる年齢と性別ではあったけど。さすがに俺がピンポイントでこんな変態仮面に目を付けられるなんてあり得ないよな?

「雷太、絶対に見ちゃダメよ。このまま通り過ぎるわよ」

「君だよ、君。そこの世界一お似合いな美男美女カップルの彼氏君。絶世の美女を引き連れたイケメン高校生君」

「お呼びでしょうか、マダム。何か俺にご用でも?」「さすが雷太。私の彼氏。困っている人を見過ごすことなんて出来ないわよね」

「何だこのカップル」

 俺と海那が揃って手を差し伸べてやったのに、何故か覆面女はちょっと引いていた。ふざけんな。

「まぁ、話聞いてくれるならいいや。うん、君達二人が初めてだよ、今日立ち止まってくれたのは! いやね、こっちの冴えない青年君、君、妹がいるだろう? あっ、そちらの面倒そうな彼女には弟がいるね!」

「「あぁ?」」

 こいつ何か今ナチュラルに失礼なこと言わなかった? いや待て、そこじゃない。そんなことよりも、何で俺と海那の家族構成を?

「フフ、驚いたかい? 分かるのだよ、この世界の真実に辿り着いたボクにはね。君達のような若者にこそ、ボクの主張を知ってほしいのだよ。直接的に関係のある話でもあるはずだしね。ごほっ、ごほっ……ああ、すまない、流石に今日は風に当たり過ぎてしまったようだ。とりあえず、これを読んでおいてくれ」

 咳き込みながらもビラを差し出してくる変態ボクっ子。占いじみた芸当を見せられた直後だったせいか、俺と海那はついつい興味を惹かれてそれを受け取ってしまう。

「少しでも理解が出来たなら、是非もっと詳しいを聞きに来てほしい。場所は……ああ、いや。君達には必要ないな。うむ。では、これで。また会おうじゃないか、お似合い夫婦よ」

「「マダム!!」」

「ボクは未婚の十九歳だッ!」

 そう言い残して変態マドモアゼルは立ち去っていった。一瞬だけ颯爽と走り出そうとして、すぐに咳き込んで結局ゆっくり歩き出していた。ださ。

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