第2話 ブラコンがただの風邪な世界で、彼女がいる兄の話

「怖い泣き方しないでよ……。いや、だってね、雷太。最近のあなた、事あるごとにそういう話に繋げようとし過ぎなのよ。せめてもうちょっとスマートにやりなさいよ。いつも流れが不自然過ぎるし、目がギンギンで鼻息荒くて怖いし。変態っぽいし」

「うわわわあぁぁぁぁぁんっ! オブラートが欲しいよおぉぉぉぉ!」

 ずっとバレてたのかよおぉぉぉぉ! え、そんなにわざとらしかった? がっついてた? 自分では草食系ド紳士のつもりだったんだけど。

「ハァ……まぁ私だって、男子がそういうものだってことくらい知っているけれど……」

「ううぅぅっ! じゃあおっぱい揉ませろよおぉぉぉぉ!」

「オブラートが欲しいんだけれど」

「えっ! オブラート越しなら揉めるの!?」

「死ね。だいたい、何をそんなに焦っているのよ、あなたは」

 海那は深くため息をついて続ける。

「私はちゃんと雷太のこと好きだから。それこそ、一生添い遂げたいと思えるくらい」

「おっぱい……」

「死ね。それにあなただって、私のそんな気持ちくらい理解しているはずじゃない。何もそこまで必死に愛情を確認し合う行為を求めなくたっていいと思わない?」

「おっぱいは……そういう問題じゃない……っ」

「今すぐ添い遂げる?」

「えっ!」

「死ねってことよ。いや、私だって、性欲と愛情の区別くらいついているわよ? でも今のところあまりそっちの欲求はないし……」

 いや、分かる。どう考えても悪いのはこっちだ。一方的に欲望を押し付ける関係なんて恋人とは呼べない。こんな俺の醜態を目にしながらサバサバと受け流してくれることが本当にありがたいし、俺は海那のそんなところが昔から大好きだ。付き合いたての恋人を噛まれたてのガム扱いできるその正直な瞳も大好きだ。うぅ……!

「わかったよ、海那。変なこと言ったりして悪かった。俺もお前のことを、その、あ、愛してるし……これからも大事にしたい。大事にさせてください……!」

 マジでこんな性欲ごときのせいで、海那に見捨てられたくない。ただでさえ、釣り合いなんか取れてない二人なんだ。昔から可愛くて頭も良くて皆の中心にいる海那と、見た目も悪くて中身もクズな俺。こいつが俺のことを選んでくれたなんて、まさに奇跡だ。これ以上、幻滅されるわけにはいかない。

「うわぁ……雷太あなた、そんな台詞絞り出す時まで目線は私の胸にあるのね……」

「捨てないでください……! どうかお慈悲を……!」

 気づいたときには床で土下座していた。脊髄反射だった。他に方法なんてなかった。

「はぁ……ホントあなたって人は……」

 降ってくるのは心底呆れ果てたような声。今度こそ終わりだ。フラれる。嫌だ。死んじゃう。

「雷太、あのね、」

 決定的な言葉が下される前に、俺は決死の覚悟で顔を上げ、

「ティンポ切り落とします! いや、その麗しいお手手で切り落としてください! それで僕の卑しい欲求とはおさらばです!」

「グロい発想やめて。気持ち悪いしそんなことしたら私たち赤ちゃん作れなくなっちゃうじゃない。あと、スカートの中覗かないで」

 終わった……俺の人生終わった……タイツ分厚くて何も見えなかったし。くそぉ、人生最後の景色が百四十デニールかよ……! これだから冬は嫌いなんだ!

「俺の遺骨は、二十五デニールストッキングに詰め込んで、観光客賑わう海水浴場かインスタ女子が集まるナイトプールに散骨してくれ……」

「それ散骨って言うの? ただの海洋汚染と営業妨害じゃない」

「うぅ……どうせ俺は死んでなお人様に迷惑をかけ続ける、生粋の変態ゴミクズなんだ……元から海那に相応しい男になんてなれるわけなかったんだ……」

 もはや号泣することしかできない俺を、最愛の幼なじみはジトっとした半眼で見下ろしてくる。可愛い。好き。でもこの子をボクのことキライ。ジンセイ、アマクナイ。

「もう……ほんっと……。はいはい、分かったわよ。ていうか、分かっていたわよ、昔から」

「海那……?」

 海那は何故か、頭を掻きながら、何かを諦めたような顔をする。小学生の頃、毎年八月末日に、俺は海那のこの表情を見ていた。膨大な宿題を抱えて号泣する俺を侮蔑の目で見下ろし、しかし結局は盛大なため息をついて、親に内緒で深夜まで勉強会に付き合ってくれた――あの時の顔だ。

 毎年力尽きて一緒に並んで寝落ちして、新学期初日から二人で遅刻して叱られるという恒例行事が何故か心地よくて、きっと一生忘れられなくて――だからたぶん、俺は冬よりも夏が好きなんだ。

「あなたは昔から私が懇切丁寧に教えてあげても作者の気持ちを二択で間違えるし、読書感想文なんてメロスに感情移入し過ぎて全く進まなかった。昔からそうなのよ、あなたは。でも、最初から答えだけ教えたりしたら、いつまでたっても、本質を理解する力が養われないじゃない?」

「ご、ごめん……」

 海那が何を言いたいのかはいまいちわからなかったが、とりあえず怒られてることだけはよくわかったので謝っておいた。淡々とした語り口なのが尚のこと怖い。

「だから、そういうとこよ。今でも全然進歩していない。……私の教え方も、悪かったのかもしれないけれど」

「全然そんなことありません。不出来な小生が全部悪いのです……」

 遠い目をする海那の自嘲を、必死で否定する――が、そもそも海那の意図しているところを全く理解していない小生なので、このフォローが果たして合っているのかも自信がないのです……。

「……まぁ、人には得手不得手があるものだものね。仕方ないわよ。本当に、仕方ない。先に惚れた時点で、勝負なんて決まっているもの」

 そこで海那は一拍だけ言葉を切り――

「雷太、あなた、理科の成績はまだマシな方だったわよね」

「ま、まぁ、小学校の理科でしたら比較的……」

「自由研究、しておく?」

 ――いつも通りサバサバとした調子で、ポツリとこぼすのだった。

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