ブラコンはただの風邪

アーブ・ナイガン(訳 能見杉太)

第1話 ブラコンがただの風邪な世界で、仲が悪い兄妹の話

「お前、陸斗りくとと付き合い始めたんだって? 良かったじゃん」

 リビングのこたつで寝ころんだまま、妹の偉業を祝ってやる。しかし、そんな俺のありがたき御言葉を承った金髪ミディアムギャルは、

「うざ」

 ありったけの不機嫌を詰め込んだ二文字だけを残して、自室へと向かってしまう。

 おいおい、数日ぶりの兄妹の会話、これで打ち切る気かよ……。こっちは反抗期の妹に話しかける口実仕入れられてちょっと嬉しかったんだからな?

 こちらを一瞥もせず階段を上っていく華奢な背中に、勇気を振り絞って再度、

「おーい、さすがにこの時期くらい、帰ってきたらまず手は洗ってけって。いい加減、寒くなる度に俺に看病させんなよな」

「……きも」

 結局これである。二文字である。最近妹から返してもらえる言葉はこの二種の二文字だけである。

 両親も慣れたもんで、兄妹の冷たすぎるやり取りなんかには、『思春期だなぁ』的な生暖かい視線を向けるだけで、仲裁する気配すら見せない。親父は温泉旅行のパンフレットを手に取り「こんなんあったっけ? 行くの?」と目を輝かせ、母さんは「そんな暇も金もあるわけないじゃない」とボヤきながら夕方のワイドショーを眺めている。液晶の中では、街頭で騒ぐ陰謀論者にレポーターが大仰なアクションで突撃しており、今日も変わらず日本は平和だった。

 俺と真雪まゆき、鈴木家の兄妹だけが、理由なき冷戦の真っ只中に取り残されていた。


      *


「何? それでまた兄妹喧嘩しているってわけ? 大人になりなさいよ、雷太らいた

 俺のベッドに腰かけて、制服姿の俺の恋人、海那うみなが呆れたようにため息をつく。

 妹との会話が計四文字の返答で打ち切られた十分後。いつもの放課後と同じように、俺と海那は俺の部屋でダラダラと無為な時間を過ごしていた。

 タイツに包まれたその細脚に背中をポスポス蹴られながら、カーペットに座った俺はこめかみを押さえる。

「喧嘩ってか、あいつがツンツンしてくるだけだって。別に昔っから俺に懐いてたわけでもねーけどさー、最近はマジで酷いって。話しかけてもまともに返してくんねーんだもん。睨まれるか、舌打ちされるか」

「あの子も反抗期か……」

 長い黒髪の先をいじりながら、どこか感慨深げに呟く海那。

「俺に対してだけな。母さんたちに対しては普通なんだよな……ちなみに、そっちはどうなんだよ、最近」

「私? うーん、いや近頃、真雪と会う機会って意外とないのよね。それこそ、こうやってあなたの家に来ても、あの子、基本部屋に閉じこもっているじゃない?」

 俺の幼なじみである海那は当然、真雪にとっても幼なじみであって、姉妹のように育ってきた間柄でもある。あいつが海那に対しても反抗的なのかは、確かに気になるところだ。ただ、俺がいま聞こうとしたのはそこではない。

「あー、紛らわしかったな。そうじゃなくて、お前んとこの姉弟関係はどーなのかなって。陸斗も姉をウザかったりとかしてこねーもんなの?」

 海那の弟で、俺たち兄妹の幼なじみ、橋本陸斗。高二の俺・海那、一つ下の真雪・陸斗――と、置かれた環境も似通っている。そして、さらに、

「俺は正直、あいつらが付き合い始めたってのも真雪の態度に影響あったんじゃないかと疑ってるんだよな。色気づいたというか、背伸びしたい気持ち的なんが空回りしてる、みたいな? 陸斗の方にも同じ兆候があったりしねーのかなって」

「なるほどね。でも、ないわよ、あの子にはそういうの。うちは何も変わらず良好な関係よ。何なら恋愛相談とかされているくらい」

「マジかよ……」

 まぁ、でも不思議な話ではない。こんな幼なじみと姉に囲まれていながら、素直に真っすぐ育ってきた男だからな、あいつは。姉がこんなに得意顔になるのもわかる。陸斗に反抗期なんて訪れないのだろう。

 にしても、家族に恋愛相談なんて、うちじゃ絶対考えられないが……あっ。

「てか、もしかしてそれなんじゃねーか、真雪が不機嫌な理由って。陸斗がお前に自分との恋愛について話してんのが気に障ってるんじゃ」

「え、どういうこと? それがどう真雪の機嫌に?」

 心底不思議そうに首を傾げる海那。あー、こいつ意外とそういうとこ鈍感だよな……。

 俺も何となく照れくさくてあまり言葉にしたくはないが、まぁ要するに嫉妬してんじゃねーかな、海那に。彼氏の実の姉にそんな感情抱くのも変な話であるが、やっぱり自分よりも頼られてる女がいるというのはムッとする部分もあるんじゃないだろうか。

 しかも、あいつらが付き合ってるということ自体、俺に知らせたのは海那だ。考えてみれば、陸斗が姉に相談なんてしなければ、俺の耳にそんな情報が届くこともなかったわけで。

 自分の恋愛事情が勝手に広まってるなんて、そりゃイラッともするよな。

 そういう諸々も含めて、思うところがあるんじゃないだろうか。

 まぁ、そのイライラをぶつけるんだとしたら、相手は陸斗か海那であるべきだけどな! くそぉ、俺に向けられてんの、ただの八つ当たりなんじゃねーか、もしかして……。

「まぁ、何ていうか、察しろよ。もういい大人だろ、お前も」

「何それ、よく分からないけどムカつく。あ、もしかして真雪からしたら気持ち悪いってこと? 自分の兄と彼氏の姉が付き合っているというのが。うん、それはあるかもしれないわね」

「ええー……」

 言われてみれば、そういう感覚を持つ奴も珍しくはないかもしれんけど……自分の妹にそう思われてるんだとしたら悲しいな……。結婚とかしてこの間柄が長く続くことになったらどうするつもりなんだって話だし。

「うん、それはねーな。俺はやっぱ恋愛相談にムカついてる説を推すわ」

「うーん、あの子、良くも悪くも思い込みが強いし、何か勘違いさせてしまったのかしらね……」

 顎に手を添えて、考え込んでしまう海那。いや、単に相談されてること自体にムカついてるんじゃねーかっつー話なんだが……

「――――」

「ん? どうしたの、雷太」

 そこで俺はハッとする。

 ひらめいた……思いついてしまった……!

 妹の様子が心配とかいう話とは全く関係ない、ごくごく個人的な問題を解決する糸口を……!

 真雪や陸斗をダシにするようで悪いが……背に腹は代えられない! このチャンス、逃してやるものか!

「いや、あいつからの相談って、どういうものなのかと思ってな」

 行ける……この流れなら、自然とああいう話題に繋げることができるはず……!

「さすがに相談内容まで漏らすわけには……まぁ、全然大したことじゃないわよ。何かフワフワっとした、抽象的な感じのこと」

「やっぱりな、思った通りだ。それ、男の俺の方が的確なアドバイスできるやつだぞ。お前には具体的に言えねーんだって。そもそも、陸斗ってそんなグダグダ悩んだりするタイプでもねーはずじゃん?」

「そうかしら。割とそうでもないと、」

「竹を割ったような性格っていうかさ、まぁだから生来の人間性であれば突き当らないような問題に例外的な状況に置かれているが故に悩まざるを得なくなっているんじゃないかという仮説を立てられるわけだよ」

「なになになに!? 何で急にそんな早口でまくし立ててくるの!? 怖い! 目が血走ってる!」

「つまりは思春期ってやつだよな。あえて突っ込んだ言い方をするならば、恋愛相談というより性的な相談なんじゃないかと考えられるわけだ。特にあいつらの場合は少々特殊な環境だからな。物心つく前から家族のように育ってきた二人だ。今さら恋人同士になっても、どう関係を進展させていけばいいのか分からないんじゃないだろうか。そう、まるでどっかの誰かたちのように……な……!」

 少し遠回りし過ぎただろうか? こいつ鈍感だからな……いや、焦りは禁物だ。こっちがやる気満々なのを勘付かれたらドン引きされかねない。直接的な物言いはナシだ。絶対自然な流れで持っていく。

 せめて……せめてキスくらいは!

 そう、俺はここ最近ずっと、海那との関係を進められないことに悩んでいた。ずっと幼なじみだったが故に、付き合い始めても、実質的な間柄は幼なじみのまま。照れくさくて、何かが変わってしまうのが怖くて、一歩を踏み出せない。エロいことができない!

 そんな悶々ばかりが、付き合い始めてから一か月間で募り続けていた。何度かあった、そういう流れに持っていけそうな雰囲気も、勇気が出ずに逃し続けてきた。

 今日こそは……今日こそはこいつと……!

 俺はベッドの上――恋人の隣へと、さり気なく腰を下ろし、彼女の大きな瞳を真っすぐと見つめ、

「う、う、う海那、だから俺たちも年長者として、あいつらの悩みに答えられるぐらいの経験を――」

「え、もしかしてエロいことしようとしてる? 妹達の恋愛事情をダシに使って? うわぁ……引くわぁ……」

「ははははあぁぁぁぁぁんっ!」

 笑い泣き崩れることしかできなかった。買ったばかりの靴の底にガム見つけた時と同じような目を恋人から向けられた。死にたい。

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