第26話 夜光蝶の雫
ダウジット商会から頂戴した衣装箱を開けてみました。
まず飛び込んできたのは星。黒いシルクに散りばめられた流星群のような輝きは、まるで幻想の世界に連れて行ってくれるようです。
目立つかどうかギリギリのかたちで編みこまれている大きな百合は、胸元からスカートの先までたおやかに伸びています。
深く濃い青の肩掛けは、宇宙のかなたか、深海の果てなのでしょうか。黒のドレスと一緒にまとえば見るものを未踏の地へと案内させるでしょう。
同色の踵が高い靴には逆に装飾は一切ないようです。一輪の黒百合を引き立てるよう、あえてわき役に回っているような作りになっていました。
胸元は下品ではない程度に割れており、恥ずかしながら私の乳牛のようなものを入れても、窮屈にならないようにできています。ううう。
サファイアでしょうか。首飾りは細く優美で、肩掛けと喧嘩しない配色の宝石が埋め込まれています。同色の耳飾りも円筒形の根元で青い光彩を放っていました。
いいのでしょうか。このようなものをいただいて。
今日の私はお姉さまの介添え人。お姉さまの婚活アピールをしなくてはいけない身分です。
迷った末に、折角のご厚意を受けることにしました。ワインで赤くそまっているドレスを着たままでは、宴席の酔いもさめてしまいますから。
「一人で着替えるのはいつぶりでしょうか。上手く入る……か、入った。セーフ!」
かなりタイトなドレスでしたので、お肉がつきやすい私が着れるかどうか危ういところでしたが、何とか事なきを得たようです。
「うーん、この闇の顔。こればかりは治りませんね」
じとっとした垂れ目は今日も変わりません。茶色い瞳は暗黒のオーラを出しているようです。
「あまりお待たせしてもいけませんね。さて、行きましょうか」
ドレスは社交界の鎧であり、武器。さて、新装備の威力やいかに。上手く人を引き付けて、お姉さまに放り投げることができるといいのですが。
――
「お待たせいたしました。ダウジット様、ありがとうございま――あの?」
皆さま固まっていらっしゃいます。え、どうしましょう。表裏逆とかじゃないですよね? きちんとメイクもしましたし、一体何が問題なのでしょうか。
「夜の女王だ……」
あの、え?
「煌々とした光を放つ宵闇の蝶……まさに至高……」
あ、はい。ありがとうございます。
「もはや語るまい……美しい」
いえ、恐縮ですわ。
お三方が心なしかお酒を召したような顔をされています。そこまで変わりましたでしょうか? むしろ闇属性っぽくて丁度いい塩梅と思っていたのですが。
「このウェイン・マーベリーのお手をお取りください、リーゼロッテ嬢。もう二度とあのような不埒な真似はさせません」
「いえ、このドレスは我がダウジット商会の逸品なのです。私こそエスコート役に相応しいと愚考しますが!」
「待て待て、ここは一つ縁の深い俺こそがパートナーであるべきだ」
あの、ちょっと、もし。
「お気持ちは嬉しく思いますが、その……お姉さまの案内をしないといけませんので、私は行かなくては……」
「ならば三人ともついていこう。安心してくれ、このウェイン。騎士の名に賭けて君を守ると誓う」
そ、そこまで大げさなことをされるような身分では……困りました。
「何かご用命があれば私たちにお申し付けください。ダウジット商会は必ず今日の夜を満たして見せましょう」
「また姉を探す旅か。それも悪くない。俺も一緒に行こう」
――
会場が賑わっています。カクテルグラスの重なり合う高音が響き、参加されたお客様は大いに楽しまれているようです。
私に不測の事態があった場合、代理でメイドのマリーに司会進行をお願いしていました。アクシデントはありましたが、式次第はつつがなく進んでいるようでほっとしました。
「お姉さま」
「あらリズ、どうしたのそのドレスは。本当にきれいでよく似合っているわ。モグ。今日の親睦会でお洒落さんをしたかったのね、うふふ。モグ」
「……いえ、その。コホン、お姉さまは今日誰かと話されましたか?」
お姉さまは食べる手を止めずに首を横に振る。
ふあああああ、やっぱりですかー。
「あの、リーゼロッテ様」
「はい、何か御用でしょうか?」
シンと静まる世界。この世の時間が止まったかのような沈黙。
会場の視線が一つのものを見ている。目がらんらんと光り、その視線の行く先は。
「……はい?」
わ、私でしたあああぁ!
何、何ですか? 何か悪いことしましたか!? そりゃお姉さまと会場で握手! みたいな煽り文句でお客様を集めたのはいけないことだとは思いましたが、そこまで睨まれるようなことはしていません。多分。
「夜光蝶……真夜中の姫君よ……」
声をかけてきた貴族の男性の方が跪いていらっしゃいます。待ってください待ってください。え、これもしや、すごく目立って……。
「どうか御手を許していただけないでしょうか。さすれば今日最大の名誉になります。この身の敬意をお受け取り下さい」
「あ、はい。どうぞ」
しまった。何も考えないでYesはまずいっ。
――
もう何も思い出したくないです。
私の手に口づけするべく、長蛇の列ができてしまいました。もう手の甲がふにゃふにゃになるほど口づけされ、いっそ男の人同士でキスをしたのと同じではと思うほどに、美辞麗句を囁きつづけられながら手を愛された。
ああ、刺さりますわ。この視線はもう子供のころから受け取っている悪意です。
もう時候の挨拶レベルで反感を買ってたのですが、今日でそれが倍増したように思えます。お中元とお歳暮も追加された感ですね。
(あの女……私たちを引き立て役にするために呼んだのね。最低だわ)
(しっ、聖女様に聞こえたらどうするの?)
(踏む。絶対に足を踏みますわ。しばらくダンスできないほどに!)
聞こえてるんですよねぇ。
帰り道に気をつけませんと。もう刺されるのは嫌です。
なんて思っていると、まさかの人物が私の前に立った。
「あ、お姉さま……」
なぜ列にお姉さまが? はっ、ダメです。私の手の甲は今ふやけるほどにでろでろなのですから、触ってはいけませんよ!
「リズ、今日はありがとうね。この夜会の本当の理由、わかっていますから。いつも迷惑をかけてごめんなさいね」
そう小さくつぶやいて、お姉さまは私の頬に口づけをされました。
聖女の祝福! こんな場所で!?
「聖女様が祝福をなされた……! 神の愛し子が口づけをなされたぞ!」
お姉さまの口づけは特殊なものなのです。万病を退けるとする光の加護を与える、たとえ身内であってもみだりに行うことができない行為だ。
「リズの未来に祝福を。貴女は私の自慢の妹ですよ。お姉ちゃんはリズを愛してますからね」
「おねえ……さま。よろしかったのですか? 確か聖女の口づけは生涯で三回しか使えない、国家の至宝のはず。私なんかに……」
「リズはしょうがない子ですから。やんちゃなことに巻き込まれないように、お姉ちゃんからのおまじないです。いつまでも一緒にいてくださいね、リズ」
涙がほろりと伝い、床に波紋を残す。
「いい子ねリズ。いつも一人で頑張って偉いわ。私のお相手はきっと貴女が見つけてくれると信じています。そのためにも私は妹を守りたかったのですよ」
悪意は良い。だって気兼ねしなくて済むので。何をどう振舞っても貶されるのであれば、私だって好き放題できます。それでお相子ですから。
でもこんな純粋な愛を受けてしまったとき、どういう顔をすればいいのかわからないのです。
愛は痛い。こんなにも心が苦しくなるなんて、本当にずるい。
だから私は本能のままに、素敵なお姉さまを力いっぱい抱きしめました。
貴女の妹で、幸せです。ありがとう、お姉さま。
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