第25話 ヴァルナ・マルドル・サリ・バラムの誇り

 象の上はいい。俺はこのゆったりとした歩みも、時折止まって草を食む姿も、川の中をすいすいと進む力強さも愛している。

 巷では馬が優れているとされ、臭いの強い象は戦以外で使うことがなくなってきているようだ。

 もっと様々なものに可能性を見出すべきだと俺は思っている。

 だからあの出会いも、俺にとっては心の革命と言えるほどの可能性に富んでいた。


――

「殿下、此度のジルドニア行き、爺は反対でございますぞ。何故貴重な新種の小麦を手放さなければならないのでしょうか。殿下が心血をそそいで研究された結果ですのに、これでは朝貢ではありませんか」


 幼少の頃より見守ってくれていた爺は、俺の代わりに言いたいことを言ってくれた。確かに俺もこの外交は気に入らない。欲しいものがあれば自分で研究し、自分たちで育てればいいのだ。

 それでこそ誰に憚ることなく、前を向いて堂々と歩いていけることだろう。


「仕方がないさ。我が国は小国のジルドニアよりもはるかに弱い立場にある。こうして農作物の新種を収める以外に、生きる手立てがないのだからな」

「悔しゅうございます……ああ、曾祖父の時代であれば、一気にひねり潰せたものを。我らの力が足りないばかりに、殿下の発明を流出することになるとは」


 この国、バラム藩王国は昔には大きな版図を持っていたらしい。それこそ周囲の国がこぞって挨拶に出向いてくるぐらいには影響力があった。

 だが一つの戦争で敗北したために、領土は切り取られて、財は奪われた。

 残ったのはかろうじて維持している王朝と、飢えてやせ細った民だけであった。

 

 俺が農業の道を目指したのは、あるいは王族としての矜持からかもしれない。だが、貧困にあえぎながらも、決して諦めない民の目を見たときに、必ずこの国を豊かにすると誓ったのだ。


「この国は降雨量が少ない。ゆえに小麦が育たず民が死ぬ。ではどうすればいいのだ? 答えは明確だな、水が少なくても育つ種類を発見するか作ればいい」


 農地改革、灌漑の整備、ため池の設置、堆肥の作成、農具の改良。

 新種を発見すること以外にもやることは山積みだったが、一つ一つ課題に挑戦し、解決をしていった。

 

 小麦畑で自ら鎌で収穫し、中身の粒を確かめる。

 ずっしりと重くて水分が多い。そして何よりも芳醇だ。これでは次の収穫時にはさらに品質が良くなっていることだろう。

 明るい気持ちで麦を口に含み、大地の苦みを味わう。これが俺の苦闘の味だ、忘れないように記憶にとどめなくてはいけない。


 ジルドニア行きとなったのはその二日後だった。せっかく収穫したのに、つまらない使い道をしてくれるものだと、我が国のことながら情けなくなってくる。

 ならば道中はゆっくりと進んでやるのが、せめてもの抵抗運動だ。俺は戦象の御者台に座り、漫然とした行進で景色を動かす。どうせ積み荷は小麦だ。そうそう腐るはずもない。


――

 ジルドニアに入国し、俺たちはそのまま王都へと向かった。何もない退屈な時間は、屈辱を醸成させるには十分すぎるほどだ。

 今に見ているがいい。大陸一の穀倉地帯となり、すべての国を我がバラム藩王国の影響下においてやる。浮かぶも想像は弱者の戯れと一笑に付されるかもしれないが、そうでもしないと誇りを保てない。


 ジルドニア国王より、なんとも尊大な言葉を受ける。

「此度の献上、大儀であった。内容を吟味するゆえ、我が国でゆるりと休まれよ」

「もったいないお言葉です」

 悪態をつきたいところだが、こんなところで国益を損なっていても仕方がない。精一杯の笑顔で今後の関係改善につなげるべきだろう。


 王宮の中庭の椅子に腰かけ、神経質なまでに刈られた植木を見やる。人の力で自然を御することの愚かさは、どこの国でも変わらないようだ。

 すると一人の少女が植木の茂みから顔を出した。


「あら、これは失礼いたしました」

「む、こちらこそ驚かせて申し訳ない。こんなところで何をしているのかな」

「お姉さまとはぐれてしまいまして。先ほどから探しているのですが、どこにも見当たらないのです」

 

 王宮の関係者だろうか。少し暗みのある金の髪には、ちょこんと低木の葉がくっついていた。それがなんともあどけなくて、ほほえましい気持ちになる。


「君のお姉さんはどんな容姿をしているのかな? 俺がすれ違っていればいいのだが」

「はい、銀の髪に蒼と翆のオッドアイ。痩せている体に、白い神官服を着ているのです。ご記憶にございますか?」

「その子は……」


 聖女アーデルハイド。諸国で知らぬものなどいるはずがない。

「君はまさか、聖女様の……妹御なのかな。このようなところで一人で大丈夫なのかい?」

「あら、やはりご存知でいらしたのですね。でもそのご様子だとお姉さまとお会いされてはいないみたいです。もう、どちらにいかれたのかしら」


 国家の命運を左右する聖女の身内が、身辺警護もつけずに遊びまわっている……だと。俺の中でジルドニアに対する感情が一気に悪化した。

 もし万が一のことがあれば、この世界が破滅するかもしれない。それなのに何をやっているんだ。


「よかったらお兄さんも一緒にさがしてあげようか。怪しいものじゃない。バラム藩王国第二王子のヴァルナというものだ。今日は……たまたまこちらに顔を出していてね。どうだい?」

「助かります。お姉さまは食いしん坊なので、きっと食べ物の近くにいると思いますの。厨房はもう探したのですけれど、一体どこへ行ったのかしら」


 聖女の意外な一面を聞き、驚いた。護衛を振り切る行動力や食べ物に釣られる未熟さなど、誘拐犯が知ればさぞ美味しい獲物に見えるだろう。これは一刻を争う事態なのかもしれない。


「食べ物……か。貯蔵庫や燻製室などはないだろうか。何かこの身があれば絞りやすいのだけれど」

「貯蔵庫はもう参りました。燻製は市政から買い上げていると聞いていますので、宮中にはないのかもしれません。うーん、あ、そうですわ、今日多くの作物が運び込まれたというお話を耳にしましたの。もしかしたら……」


 我が国から召し上げた食料か。確か小麦と、大麦。そしてあの芋か。

「よし、では私も行こう。なに、今日運ばれたものに関しては、私は知識がある。きっと堂々とその場所に入れるはずだよ」

「頼もしいです。ぜひお願いします」


 まさか麦を生で食べてるわけはあるまい。芋も調理しなくては厳しいだろう。

 物珍しさで遊びまわっているだけに違いない。

 聖女姉妹も人の子か。少し彼女たちに親近感を持つことができた。


――

「ボリボリ。ボリ……」


 えぇ……。

 まさかの生。それも手づかみで。これでは飢えた民と同じではないか。


「お姉さま! もうそんなはしたないことはお止めください!」

「ボリ……ごくん。リズもいかがかしら。大地の味が濃くて、素晴らしい麦ですよ」

「お腹壊しますから……。お客様もお見えになっているというのに、お一人で歩かれるのはいけませんよ」


 くすんだ金髪の子はリズというらしい。人差し指を立てて怒るというより、自分の娘を叱るようにたしなめている。

 苦労人なのだな。そうだ、一つねぎらいの品物でもご馳走した方が喜ばれるかもしれない。そのための「あの芋」だ。


「バラム藩王国第二王子、ヴァルナだ。すまんが作物を少し聖女様たちに献上したい。蔵をあけてくれまいか」

「聖女様に……かしこまりました。少しであれば問題ないでしょう。できれば上に報告をしておいていただけると私たちが助かるのですが」

 心配ないと兵士たちの肩を叩き、俺は紫色の宝石を蔵から六本持ってきた。


「火が使える場所に行こう。お兄さんが美味しいものを作ってあげよう」

 聖女アーデルハイド様の目が、猛獣の眼光のよに光った気がする。

「ではかまど場へ案内しましょう。近くですと屋外調理上がありますが、そちらでよろしいですか?」

 困った顔をしてリズが訊ねてくる。問題ない、外の方が美味しく食べられるに決まっているからな。


――

 管理責任者に許可をもらい、私は枯葉や落ち葉、乾燥した小枝などを集めて足跡の焚火をつくる。

 そのまま中に紫の芋を埋め、じっくりと焼き上げる。


「ふああああ、いい匂いですね」

「じゅるり」

 リズとアーデルハイド様もわかってくれて嬉しい限りだ。この誘惑には邪神ですら勝てないだろう。


「よし、食べごろだろう。熱いから気を付けて」

「はい、いただきますわ」

「はぐ……あづっ……はぐはぐ」

「もうお姉さま……では私も失礼して。まぁ、なんて優しくてまろやかな! こんな美味しいもの初めて食べましたわ!」


 二人とも口の周りを黄金色の実でべたべたにし、一心不乱にほうばっている。

 ああ、素晴らしい。我が国の作物が愛されている姿をみるのは、なんとも誇らしい。これから先、ジルドニアの民衆もこの味を共有できるのかと思うと、先ほどまでの怒りがすうっと溶けていくように感じた。


「本当に素晴らしいお味ですわ。美味しいものに国境はありませんね!」


 その通りだ。

 私の目が曇っていたようだ。

 すべての食物はただ生きる糧としての意義意外に、愛されてこそ作り手は報われるというものだ。

 美味しいものに国境はない。つまりどこの国の民も、口を幸せにする権利があるということだな。


 ふと自分の基本に立ち返る。自分は飢えをなくすために奔走してきたつもりだ。各地の民が腹を満たせればそれでよいと思っていた。だがそれだけでは国が立ち行かない。作り上げたものは販売して利益が出てこそ、農民たちにも還元できるというものだ。


「この芋は……売れるだろうか」

「勿論売れるに決まってます! だってこんなに丁寧に作られて、愛されているんですもの。王国のみんなもこぞって買いに来ますわ!」

「そうだな、ああ、そうだ。その通りだ」

「ふふ、変な王子様」


 きっかけは聖女様の暴走だった。だが私に自信を持たせ、ただ研究者としてではなく宣伝販売人としての自覚を与えてくれたのは君だ。リーゼロッテ嬢。


 世界に愛される食物を創造する。それこそが戦うにふさわしい夢のようだ。


 ありがとう、私に誇りをくれて。

 今日の日は、そしてかまど場の火は決して忘れない。

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