第24話 クレイグ・ダウジットの志
この世は金で出来ている。
持っている者は勝ち、持っていない者は負ける。
非常にシンプルな構造で形作られているのだ。笑ってしまうぐらいにくだらない。
「あれから7年か……私も姫君に相応しい男になれたのだろうか」
生まれながらにして勝利すべき道が敷かれていた。鬱陶しい王権も私には猫なで声で触れてくる。いわんや貴族をや。
齢12歳にて、私の敵はこのジルドニアにはいなくなった。
何をしても、誰とつるんでも、どんな馬鹿な話をしても。すべて見て見ぬ振りをされ、坊ちゃまは上昇志向が強いお方ですねと、丁寧に包装紙までつけて持ち上げてくれるのだ。
これで世の中を舐め腐らないわけがない。
「馬鹿どもが。今日もはしゃぎやがって」
いつもの悪童たちを冷めた目で眺める。今ここで私が○○を殴れと言えば、きっと彼は滅多打ちにされるだろう。くだらないからやらないが。
「なあクレイグ君、今日も行くんだろう? 教会で遊ぼうぜ」
「だからお前は馬鹿だって言うんだよ。いいかケイン、あそこは最後のとっておきなんだ。少しずつ、少しずつ内部に入り込んで、ゆっくりと崩壊させるんだよ。この前みたいに火をつけたら……わかるよな」
「あ、ああ。ごめんクレイグ君」
人前では決して見せない、策謀の顔。私は飢えていたんだ。何でもいいから人を取り返しのつかない破滅に追い込みたい。そのときの絶望顔が見たい。
「家はだめだな。せっかくの勝ち組人生がつぶれる。関係者もよろしくない。家にせっせと金を運んできている親鳥だ、搾り取らなくてはな」
唯一クレイグに屈していないのが、教会関係者だ。
ここは神鉄の砂時計を祀る場所で、新しく認定された聖女を擁する組織だ。
「あいつらが私に跪いたら、それは愉快だろうな。しかしそんなものは一瞬の快楽か。はあ、つまらないかもしれないな」
一度始めた計画を途中で頓挫させるのは、クレイグの望むところではない。
今度の洗礼式の日。そこで教会の権威を徹底的に叩き落す。金を渡してある人間を一斉に蜂起させ、洗礼式事態をぶち壊しにしてやるのだ。
そんなただの暇つぶしにも、労力はきちんとかける。
遊びは本気でないと面白くないからな。
誰も知らないクレイグの素顔。疑いの目を向けられる余地はほとんどないだろう。
――
洗礼式当日になった。
中にいる信者の半数は、我がダウジット家の財に目がくらんだ者ばかりである。
神鉄の砂時計とやらをこの目で見て、値札でもつけてやろうか。何にせよ、今日で教会の権威は失墜する。あとは特等席で鑑賞するだけだ。
「マリーベル・エステリオン、属性は『風』なり」
「やったな、マリーベル。これでお前も胸を張って魔法学院に通えるぞ」
「ありがとうございます、司祭様、お父様!」
大聖堂は喜劇半分、悲劇半分といったところだ。もう少し喜劇が上回ってくれると潰し甲斐があるというのに。
「あれは……」
私はその子を知っている。2つ下の、くすんだ金髪の少女。
あの聖女アーデルハイドの妹だ。
「いいタイミングじゃないか。これだよ、これ。最高の結果を得た瞬間に、どん底に叩き込んでやるさ」
自分の胸がサディスティックな感情で満たされているのに気づかなかったのは、まだ未熟だったからだろう。今にして思えば、これこそが神の差配であったというのに。
「お待ちしておりました、リーゼロッテ様。今や王国はおろか、大陸全ての民が二人目の聖女の誕生を待ちかねております。どうぞ、こちらの水晶球の前にお座りください」
進行役の司祭がうやうやしく案内をしている。
くだらない役目に縛られる人生とは、悲しい奴だな。まあいい。遊ばせてもらうさ。クレイグは合図の白いハンカチを準備した。
「では、こちらに手を添えて……参りますぞ」
「はい。お願いします」
王都が、大聖堂がこれほどに静かになることなど、初めてのことではないだろうか。唾を飲み込む音や、呼吸音すら聞こえない。
「リーゼロッテ・フォン・マールバッハ様……や、闇属性」
その時、私は本物の失意という感情を、形で見えた気がする。
刺すような針の視線。汚物を見るような軽蔑しきった顔。
「やはり……司祭様、ありがとうございました。それでは失礼します」
「あ、ああ。神の祝福が……あらんことを」
何も気にはしていない。リーゼロッテという令嬢は堂々と退場していった。
「クレイグ君、どうするんだい?」
「作戦中止だ。私はちょっと用事が出来た。後で駄賃をやるから先に帰ってろ」
「うん、それじゃあ俺はこれで」
どうしてリーゼロッテ嬢の後を追ったのかわからない。ただ話がしてみたかっただけなのかもしれない。純粋な興味がわいたのは、多分今まで生きてきてこれが初めてだったのだろう。
「あの、君」
「あら、初めまして。貴方も洗礼式に参加されましたの?」
茶色い瞳は信じられないほどに真っすぐだった。内心では捻じれに捻じれている私の心を戒めるように、どこまでも誇らしげに。
「参加はしてないんだ。野次馬としてきただけなんだけど、その、残念だったね」
そう言った時の顔がどういう風になるのか、まだこの時は暗い気持ちで楽しんでいたのかもしれない。言葉に棘があったのを、彼女は見抜いたのかもしれない。
「いえ、気にしておりませんよ。逆に聖女と言われなくてよかったと思っています」
「なんでさ。聖女になれれば、もうこれから安泰な人生じゃないか。誰からも一目置かれて、厳重な警備と裕福な暮らしが約束される。君はそれになれなかったというのに」
ふふふ、と淡い桜色の唇が優しい声を放出した。
「だって我が家にはもうお姉さまがおりますもの。マールバッハ家だけで独占してしまっては、他の国の皆様にとって不幸だと思いますから」
「他の奴らがどうなってもいいじゃないか。一人よりも二人のほうがより格も上がるだろう? それにその、闇属性だなんてあんまりじゃないか」
なぜこんなことを言ったのか、自分ではそのとき理解していなかった。
でもリーゼロッテ嬢は分かっていたに違いない。私の乾いた心の内を。
「幸せは独り占めしても退屈だと思いませんか? だってお祝いしてくれる人が減るのですよ。そして私自身が誰かをお祝いする機会も少なくなってしまいます。長い人生で、一緒に楽しむ時間を削ってしまうのはとても寂しいことだと思います」
「富や力は独占してこそより強くなれる。君は残念だけどその真理をわかっていない。聖女じゃなくてよかっただなんて、負け犬の遠吠えだと思うけどね」
「あるいはそうかもしれません。でも私はオンリーワンっていう言葉が好きなんです。すべてを手に入れた人はナンバーワンと名乗れるでしょう。でもその人のことを心の底からお慕いする人が出てくるでしょうか? 強すぎる光の中では人は生きていけませんし、澄み切った水の中では魚は死んでしまいます」
オンリーワン。なんだ、その発想は。
どう考えたってナンバーワンのほうがマシだろう。
「あなたは何かできないことってありますか? 苦手な食べ物もあると思います。でもそれはあなただけのもの。他の誰にも真似できない、あなただけの個性です。世の中に同じ人は二人といません。だから私は私のままで生きていけて良かったと考えているのですよ」
欠点が取り柄だって? 欠点なんてないほうがいいに決まっている。無能な者は淘汰されるのが人生の定めだ。世の中の弱者は負けた者なんだ。
「きっとあなたはご自分が好きではないのですね。でも大丈夫、必ずあなたをあなた以上に好きになってくれる人が現れますよ。それまでに多く学べるといいですね」
心臓を刺されたような衝撃だった。
知っていた。誰もクレイグ本人を好きではないということを。周りの連中が好きなのは、俺の家が持っている金であり、政界とのパイプや新たな商業ルートだ。
誰も私のことを愛してはくれない。そんなこと、物心ついたときから知っていた。
「人に好かれたいのでしょう? わかるんです、私闇魔法使いです。魔女ですから」
「好かれていないことは、取り柄になるのかな」
「なりますよ。私がいい見本になりますから。それはもうこれからは蛇蝎のごとく忌み嫌われますよ。私が先に歩んでみせますから、ちゃんと後ろで見ていてください。そして発見してくださいな、自分が好きになれる自分を」
それがオンリーワン……か。
人は必ず死ぬ。病にもなる。四肢が欠損することもあるし、家族を失うことだってある。世の中は弱者で満ちている。
「君は本当に……10歳なのか? まるで」
「ああ、よく言われます。リズは本当は老人なんじゃないかって。でも私は私を曲げません。せっかく素敵なお姉さまと姉妹でいられるのです。お姉さまがつつがなく活動できるように、私は一生懸命頑張りますわ」
ちくりと胸が痛む。彼女はもう自分の道をみつけていて、すべてを持っていると自負していた私は、その実まだ五里霧中だ。
「クレイグ。クレイグ・ダウジットだ。今日はとてもいい話が聞けてよかった。本当によかった。君と会わなければ、私は志を見つけることなく死んでいたに違いない」
「何かのお役に立てたのであれば、それは嬉しいことですわ。強い力は様々なものを引き寄せます。どうか審美眼を養ってくださいませ。貴方の瞳に正義の火がある限り、きっと世界は味方であり続けるでしょう」
靄が薄くなってきた気がした。
「また会えると……いいんだが」
「よく教会に来ますので、時間が合えばお話し相手になっていただけませんか? 立場が違えば、お互いに高め合えるかもしれませんよ」
そう、かもしれない。
「ああ、必ず来るよ。リーゼロッテ嬢、最初に無礼な真似して悪かった。私は今やらなくてはいけないことがたくさんできてしまった。いずれ、君の前にまた立つよ」
「はい、楽しみにお待ちしておりますね」
ダウジット商会は、すべての力とは『ツール』だと気づいた。
そして人間は、オンリーワンの何かを成し遂げるために生きているのかもしれない。きっとそれを見つけたときには、誰に憚ることもなく、彼女と顔を合わせられるだろう。
ならばこの人生、彼女のために捧げるのもいい。
クレイグ・ダウジットはこの日、秘めたる想いと、不屈の志を得た。
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