第23話 ウェイン・マーベリー子爵の本音
雷鳴騎士団の柱石。そう呼ばれ始めたのはいつからだろうか。
最初に配属されたときは、随分と失望したものだ。団員に向上心などかけらもなく、ただ漫然と日々を過ごすことだけを考えている。
そんなことで国王陛下やあまねく臣民を守れるのか。聖女様を守れるのか。
日増しに鬱憤は溜まっていった。
「ラウエル団長、いい加減に私の意見書をお読みください。平和がかろうじて維持できている今こそが能力向上の好機なのです! 平和は戦争のための準備期間という格言をお忘れですか!」
「よいよい、そこまで言わなくても構わんよ。肩の力を抜き給え、ウェイン・マーベリー子爵。わざわざ軍籍に身を置くほどの君が言うのであれば、それは有益な内容なのだろう。だがね……」
何をためらう必要があるというのだ。国境付近ではあの忌まわしき竜族である、グランゼリア帝国とたびたび諍いを起こしている。本格的な侵攻ともなれば、今の雷鳴騎士団では立ち向かえる術がない。
「我が国には聖アガサ騎士団がおるじゃろう。彼奴等に任せておけばよいのだ。この大陸で一線級で戦える、指折りの騎士団ぞ? 我々が出向いては足を引っ張るだけとは思わんかね」
「また聖アガサですか……そうならないための提案です。彼らが出払ってしまえば、誰がジルドニアを守るのでしょうか。雷鳴騎士団こそがその任を受けるに相応しい位置に上がるべきなのです」
自分が言っていることは、聖アガサに対抗しているだけの反骨心と嫉妬心からなる、ただの感情論であることは十分承知している。
しかし私は騎士だ。一度国体を守るために剣を執った以上、その使命を全うして然るべきというのに。
「とにかく却下である。少し休暇をあげるとしよう。実家に戻ってゆっくりと心身を休めてきてはどうかね?」
「疲れてなどいません! 失礼します!」
鎧姿でそのまま王都に向かう。もう体裁などどうでもいいことだった。
これではただの子供だ。上手くいかないことに地団太を踏んで暴れるだけの、体が大きいガキそのものだ。
「くそ、私は何をしているんだ。必ず改革をして見せると誓った剣に背くのか……ああ、無力だ。こんなにも遠回りを繰り返している」
詩的にぼやこうとしても、まったく優美ではない表現しか出ない。所詮これが自分の限界なのかと、あきらめに天秤が傾いたときのことだった。
「きゃあっ!?」
跳ねる水音に、反射的に体が動いた。
「お嬢さん、大丈夫か」
「ええ、急にヒールが折れてしまいまして……水たまりに足を入れてしまいました」
悲しそうに見上げられた。
深い茶色の瞳が私を射抜く。まるで雨に濡れた子犬のように儚く、存在を主張する泣き黒子が娼婦のように妖艶で。
気がつけば私は手をしっかりと握っていたようだ。
「あの、このまま靴屋に行きますので、その、お手を放していただけると……」
「ああ、これは失礼した。しかし片足では大変でしょう、よろしければお送りしますよ」
眉根を寄せて恥じらっている姿が、私に手放したくないとの欲求を産まれさせた。
「大丈夫ですわ、こうしてケンケンで……ととっ、うん、そうですわ、いっそ脱いでしまえばいいのですね」
片足で跳ねていこうとする彼女はとても子供っぽくて、裸足で町を歩こうとする思いは大人びて見えた。
「そんな姿、卑怯ですよ」
「えと、今何を……?」
「失礼、レディ。どうぞ出向かれる先をお申しつけください。騎士ウェイン・マーベリーが責任を持って送り届けましょう」
「んなっ!? あうあう、その、周りが見ていますので、降ろしていただけると……その、嬉しいのですが」
抱き上げたからには、これから先は男の責任だ。私はこの女性を誠心誠意お守りする。恥ずかしがる彼女に謝罪をしつつ、私はとっておきの靴店まで走ることにした。
「強引ですわね、騎士様。えと、ウェイン様でよろしかったでしょうか」
「すみません、自分でも勝手に体が動いてしまって……名家のご令嬢に恥をかかせてしまい、汗顔の至りです。なんとお詫びをしていいか」
冷静になって、自分がどれほどの過ちを犯したのかに気づいた。
これほどの立ち居振る舞いをする女性だ、きっと伯爵……いや侯爵家ということもありうる。男に抱えられて王都を疾走など、暗殺者を送られても文句の言えないほどの侮辱だ。
そして店選び。彼女がこの店を贔屓にしているかどうかに、考えが至らなかった。
私はどこまで浅慮だったのだろうか。
「くすくす、いえ、お顔をあげてください。申し遅れました、私はリーゼロッテ・フォン・マールバッハでございます。流石騎士様ですね、まるで風の一部になったかのように早かったですよ」
「マール……バッハ……。聖女様の……妹様でしたか。これはこの身の首一つで贖えるようなものではなかったですね。後日正式に謝罪に伺います。如何様にも処罰をしていただいてもお恨みはいたしません」
リーゼロッテ嬢、というのか。
私は自分の愚かさによって、これからの出会いを一つ台無しにしてしまった。
だがそんな私を蠱惑的に、そして心に浸透していくように、優しい言葉が届けられる。
「ウェイン様、実は私も家の名前の大きさに、少々窮屈さを感じていましたの。今日は爽快な経験ができて楽しかったですわ。それにこんな素敵な靴のお店も紹介してくれましたし。今度は修理ではなく、じkっくりと商品を選びたいと思いますわ」
「恐縮です。しかしご令嬢の名誉を汚したとなれば、侯爵様のご不興を買いましょう。然るべき処置をなさるのがよろしいかと」
「無用ですよ。私、遊びすぎてよくお父様やお母さまに叱られてますから。もう慣れてしまいました。王都の人間も、またリズが何かやってる、不吉だって思うだけですわ」
聞いたことがある。聖女様の妹君は人の負の思念を呼び込む、闇属性の魔女だと。だが目の前にいるリーゼロッテ嬢は、心の底から私をかばってくれているようだ。人のうわさというものは案外当てにならないらしい。
「次に同じことがあれば、抱き上げる前に断りをいれてくださいましね。私がいくら『あのリズ』でも、心の準備は欲しいものですから」
「ええ、次は必ず。何かを始める前には、一言申し添えま……す……」
稲妻が落ちたような衝撃を受けた。雷鳴騎士団に所属していながら、このように感電することもあるものだと、冷静に感動してしまった。
「私は……誰の意見も聞かずに、一人で計画を……。それが皆のためになると信じ切っていて、私ひとりの正義を押し付けていた……」
「何か心に憂いがございましたのですね。ですが、一筋の光明を発見されたような瞳をされていますわ」
人は誰でも一人で生きられない。共存し、共同し、協力する。それが大きくなったのが国家という集団だ。
騎士団とて同じことだ。私はどこかで団員を見下していたのだろう。努力をしないものは必要ないと、計画書に書いた。その思い上がり、その傲慢、どうして人が賛同してくれようか。
「答えは遠く。ですがきっかけを掴んだ気がします。私は孤高ではなく、孤独でした。人に認められるには、人のことを思いやらなければならない。騎士の誓いを忘れていました」
「その想いがあれば、きっと正しい道を歩めると信じております。どうか民のために強く勇敢で、優しき騎士とおなりくださいませ」
「約束いたします。必ず私はこの国を……貴女を守ってみせます」
ウェイン・マーベリーは人が変わったと言われるようになった。
兵士の宿舎で寝泊まりし、それぞれの気持ちを聞く。
騎士の同僚と飲みに行き、日頃抱えているものを語り合った。
上官の命令には必ず従い、最小限の犠牲で最大限の結果を出すよう、自分を戒めて任務に取り組んだ。
「ウェイン君、君の計画書を読ませてもらったよ。今度の騎士団会議で検討したい。君も参加してくれるね?」
「喜んで参加させていただきます。しかし、どうしてまた……」
「ええい、皆まで言わんでよろしい。以前の君には危なくて部隊を任せるに足りなかったのだよ。だが今の君は十分な信頼を得ている。これ以上私に美辞麗句を述べさせんでくれよ」
雷鳴騎士団の柱石、悪くないと思う。
私の運命。私の覚悟。私の想い。
きっと貴女に捧げることこそ、この人生に意味があるのだと信ずる。
我が灯火の女神、リーゼロッテ嬢。
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