第19話 ざまぁですわ(物理)

「私の名前はリーゼロッテです。リーゼロッテ・フォン・マールバッハ。聖女アーデルハイドの妹で、王国からの使者です」


「んがあっ!?」


 白髭と呼ばれていた奇怪な男の顔が面白いぐらいに青ざめていきました。さすがに状況は伝わったでしょうか。


「マールバッハ家……聖女の……。て、帝国に何用だ!?」


「ジルドニア王国からの正式な使者です。内容は外交機密につき申し上げられませんが、恐らくは白髭様にとってよろしくない事態に動くかと」


 白髭は口を酸欠金魚のようにパクパクと動かしておられます。


(カールッ!! このガキ、こいつ! とんだ大馬鹿野郎めが!! よりにもよって聖女様の身内をさらってきやがった! 死ぬ。今すぐに逃げないと必ず死ぬ)


 逃げようと足を動かそうとして、白髭は自分の腰が抜けていることに気づいたようです。


「まさか、聖女様も帝国に?」

「お教えできません。もう一度言いますが、早めに今の状況に対応されたほうがよろしいかと。白髭様が私の今想像している事態をお望みでなければ、ですが」


 このような小娘に負けるわけにはいかない、という思いがあるのでしょう。だがそれ以上に命の危険を感じているはずですが。


「カール、こいつは返品だ! 元居た場所に捨ててこい。いいか、誰にも絶対に見られるなよ」


「ちょいと困るよ。なに、セージョ? それがそんなに偉いわけ? でも妹なんでしょ。売れるものは家族でも売るのが人間ってやつじゃん。別にいなくなっても誰も気にしないんじゃない?」


「お前に貴族社会の説明をしている暇はない。吾輩はこの家を捨てる。もう貴様らとの取引は無しだ。いいか、以前のやりとりも全部無かったことにしろ!」


 はぁ、とカールはため息をつく。今回の白髭の代わり身に少なからず驚いているようだが、いい取引先が消えてしまった程度にしか、ことの重大さを受け止めていないのかも。


「白髭様、どちらに?」


「知らん。吾輩はお前など知らん。吾輩は今日誰にも会わなかったし、今後はしばらく誰とも会わん。そういうことになっているのだ」


 駄目な貴族の見本のような考え方ですね。自分にとって都合のいい結果が出るべきであり、周囲の人間は自分の我儘を受け入れるべきと思っているのでしょう。


 こればかりは、前世の記憶を持っている私には受け入れられないものです。


「だ、旦那さま! 大変です! で、殿下が」


「ええい、なんだ。殿下がお倒れにでもなられたのか? そんなことはどうでもいいから、荷物をまとめろ。テーベ王国にはツテがある。ひとまず金目の物をもってそこまで……」


 ダンという重い音と共に、革靴が奏でる硬質な響きがあちこちで鳴り始めました。カールが慌てて私に猿轡を噛ませ、体に穴の開いた毛布を掛けて隠しました。


 割とボロボロの毛布だったのできちんと視界は確保できていますね。これから何が起きるのか、きちんと見届けることができそうです。


 私はトドメとばかりに足元にタリスマンを隠して挟んでおくとしましょう。これを見せるときが間もなく来るだろうから。


 やがて私がいる地下室の扉が開けられました。雪崩れ込んで来るのは帝国の兵士。そして彼らを率いている黒曜石の君は、グレイル皇太子殿下でした。


「ほう……。ふむ……」

「こ、これは殿下。当家に御自ら足を運ばれるとはどのような御用で」


 揉み手をしながら白髭は不気味な笑顔で殿下に近づいていきます。

 無理だと思いますよ。これはもう言い訳できないですって。


「タレーダン伯爵……いや、実は人を探していてな。そこのお嬢さん、お手数をかけてすまないが、そこの毛布をかけられている人の顔を見せてもらえないだろうか」


 慌てて白髭――タレーダン伯爵が間に割って入る。


「人……でございますか? 皇太子殿下、こちらは吾輩が購入した石膏像ですが」

「そうか。ではもう一つ聞きたいのだが。像の足元に女性用の靴が見えるのは私の見間違いかな」


「女性ものの服をつけてますからね。殿下、大変言いにくいことですが、吾輩の顔をご覧ください。生まれてこの方女性に縁というものがなく、寂しい日々を送っております。殿下に恥部を晒すのは無念ですが、このように石膏像を着飾らせては自らの慰めとしているのです」


 涙を交え、時には悔しさに歯噛みし、身振り手振りを交えて己の苦境をかたる白髭さま。うーん、アカデミー賞いけますね。助演男優賞は狙えるかもしれないでしょう。


「そうか、それは辛いことを聞いてしまったな」

「できうるならば普通の容姿に生まれ変わりたいと……吾輩は……グスっ」


 茶番はもういよろしいでしょうか? ではダメ押しいきましてよ。


 コトン、と足元にタリスマンを落とします。竜皇子殿下の顔色、いや、威圧感が完全にドラゴンのそれに変わりました。


「ふむ、宝飾品が落ちたようだな。見てみよう」

「ああ、そんな安物に触れるなど、栄えある帝国の殿下に相応しくありません。ささ、こちらでお預かりをいたしましょう」



「—―貴様、安物と言ったか」



 あっ、これはしくじりましたか。いや、もう死亡フラグは散々立っていたのですけれど、回収シーンにまでは想像が足りていませんでした。


「いいことを教えてやろう、タレーダン。このタリスマンは私が聖女の妹君――リーゼロッテ嬢と交換した、この世で唯一無二のものだ。説明してもらいたいものだな。なぜ、これがここにあるのか」


「ほああっ!? な、いや、それは……。そう、このガキです。こいつがきっとスリでも働いたんでしょう。吾輩には何が何やら」


「えー、ボクはそんなチンケな商売なんてしないのに」


 グレイル様は問答無用とばかりに沈黙し、私の毛布をはぎ取ってくれました。


「待たせたねリズ」

「おふぁふぃふぃふぇふぁふぃた(お待ちしておりました)」

 猿轡の下だと非常に間抜けな構図です。


 兵士の手によって解放された私は、体の埃を払おうとして――グレイル様に強く抱きしめられました。


「君がいなくなったらどうしようかと思った。きっと私は……渡井sは悲しみのあまりに乞われてしまうかもしれない。ああ、リズ。無事でよかった」


「必ずお助けに来てくれると信じておりました。またお会いできてうれしいです」


「リーゼロッテ。我が姫君。もう二度と離しはしない」


 心がぽかぽかします。大変な災難にあったけれど、とにかく色々失わずにグレイル様に会えて本当によかったです。


「ではリズ。少し待っていて」


 ものすごい笑顔。それは一目で作り笑いとわかるような。

 んっ!? グレイル様の目の瞳孔が竜族独特の縦長に変わる。これ……あんまり洒落にならない次元でキレて……。


「ターレダン。そしてそこの業者君。お前たちは今から私にどうしてくれるんだ? 教えてほしい、私は何をすればこの怒りを抑えられるのか、是非とも知りたいんだ」


 殿下の手が竜の形に変わり、石壁をバターのように切り裂く。こう、さくーッと。


「殿下、すべてはこのガキが勝手にしでかしたこと。このタレーダン、必死に止めようと」

「石膏像と言い張ってなかったか。ふっ、まあ構わんぞ、言いたいことは言え。今のうちならば口はきけるからな」


「あ、それ……は。くっ、おのれ。こんなところで破滅するわけには!」


 タレーダンが剣を抜いてグレイル様に斬りかかりました。だが勝敗は一瞬。グレイル様は腕を一閃しただけで壁際まで吹き飛ばしてしまった。


「おい、忘れものだぞ」

 威圧感に殺意でラッピングして、タレーダンに何かを投げました。


 う……で、でしょうか。


「ひぎああああっ、吾輩の、吾輩の腕がっ! た、たしゅけ、たしゅけてくださ」


 ドン、と壁に吹き飛んだタレーダンの頭の真上に、グレイル様の足がめり込みました。そして指から炎を出して、傷口を焼いています。


「帝国は法治国家だ。貴様の処分は法にゆだねよう。だが一つだけ先の未来を予測しておいてやる。『楽に死ねると思うなよ』」


 最低限の理性を残していてくれてよかったです。てっきりこの部屋がトマトジュース祭りになるのかと思ってました。


「はーい、動かないでね」


 いつの間に回ったのでしょう。仲間が次々と取り押さえられている中、カールは私の首筋にナイフを押し当てていました。


「小僧、それは何の真似だ?」


「何って逃げるための人質を取ったんだけれど? そんなにビキビキ怒ってるところ悪いけれど、状況はボクのほうがいいんじゃないかな。ボクはこのお嬢さんがどうなろうと興味ないけれど、殿下はそうじゃないでしょ」


「状況がいい、か。気に入った。お前は中々に冗談のセンスがある。いいだろう、好きにしてみるがいい」


「へぇ、大切にしてるって本当なんだね。そういうのわからないなぁ。まあいいや、ほらお嬢さん行くよ――あれ……力が……」


『能力値吸収』は、触れると早いのですよ。よくも今までやってくれたましたね。覚悟はいいですの?


 腕をひねり上げ、顎に思い切り頭突きを入れますわっ!

 そのまま足を崩して背後にっっ回るっ!


 私はがっちりとカールの体をグラブして、芸術的な曲線を描かせてもらいます。


「おっりゃあああああああっ!」


 そのまま体をそらせて、頭を地面たたきつけるっ!

 これが! 乙女の! 凱旋門!


 地球ではジャーマン・スープレックスと呼ばれている技です。

 どうですか。まさか深窓のご令嬢がファイター系とは思わないでしょう。


「これが本当の『ざまぁ』ですことよ。ごめんあそばせ」


 周りのポカンとした様子に気が付き、そっとスカートをつまんでカーテシーをする。


「お助けくださりありがとうございます。深い感謝申し上げますわ」


 グレイル殿下もあまりのことに人間に戻ってしまっていました。

 まあ、ちょっとやりすぎ……ましたわね。

 でもね、私は男の人に守られているだけの、世間知らずではありませんことよ。

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