第18話 聖女の宣言 竜の逆鱗
血痕をふき取ったあとがあると、帝国第一師団に情報が送られてきた。早速グレイルはアーデルハイドと共に現場を検証しに行く。
帝都でめいめいに日常を過ごしている者にとって、完全武装の騎士団が二つも通過していくのは相当の圧迫感だろう。
「こちらです、ご確認ください」
「血液の飛び散り方が少ない。鋭利な――それも細い刃物だな。脅しのために軽く刺した程度かもしれん、恐らく致命傷ではないだろう。それと地面の焦げ跡から、電撃魔法の使い手でもある可能性が高いな」
リズが刺されたという事実に、アーデルハイドは意識を失いそうになった。妹は自分が至らぬばかりに率先して気を回してくれているのを知っている。彼女の我儘は額面通りの意味ではない。それは常にだれかを思いやっての行動と発言だったからだ。
「これは……」
アーデルハイドは気づく。地面の焦げ跡や血痕に紛れて、マゼンタのバツ印が書かれていることに。淑女の目印と共に、追跡用に闇魔法の残滓がある。これを追っていけばリズのもとにたどり着けるだろう。
リズはここで襲われた。さぞ怖かったことだろう。どんなに心細かっただろう。どれほどいたかったのだろう。
アーデルハイドは自分の産毛が総毛立っているのに気づいていなかった。
聖女は負の感情を見せてはいけない。なぜなら怒りや脅迫は神の代弁となり、民衆に恐怖を伝播させてしまうものだから。心を水平に保つ修練のなかで、アーデルハイドは次第に感情が薄れていった。
だが今、聖女の体を駆け巡っているのは憤怒の業火だった。
「皇太子殿下、ご報告があります」
「はい、何かつかめましたか?」
「妹の魔法痕跡を発見しました。これより追跡に移ります。おそらくは刺された後に誘拐されたものだと思われます」
「そう……ですか」
グレイルの声に動揺が混じる。日中での堂々とした凶行に、もはやどのように責任と取っていいものか考えつかない。
「これより捜索に移ります。殿下もご協力ください」
いうや否や、アーデルハイドは今までの態度からは想像もできないほどの声を張り上げて、人生初の命令を下すことになる。
――
「聖アガサ騎士団、終結しなさい!」
怒気をはらんだ空気の震えは瞬時に団員を集結させるに十分な迫力だった。
「私の大切な妹、リーゼロッテがここで誘拐された可能性が高いです。聖アガサ騎士団に命じます、『敵』を追跡して補足してください。我が妹に狼藉を働いた者どもを『神敵』と断定します」
カチリとスイッチが入る。それは機械ではなく、人として捨ててはいけない何かを投げ捨てた音だ。
聖アガサ騎士団は正式に神罰の代行者として覚醒した。もはや彼らにとって相手が帝国だろうが賊だろうが関係ない。場所がどこであれ、正体がなんであれ、ただ神の敵を滅ぼすのみ。
宗教的権威というものは、一度発動するともはや誰にもとめることができないのだ。アーデルハイドが頑ななまでに抑えていた憤怒。こうして口にしてしまえばもう後戻りはできない。
一方グレイルは震えていた。
それは決して恐れではなく、恥じらいでもない。
やってくれるじゃないか。
至純の怒りだった。
まさかこの帝都で、皇帝のお膝元で、自分の腕が届く中で。リーゼロッテを襲撃する愚か者が存在しているとは驚きに値する。
グレイルはぶるりと身をよじらせる。それは竜の逆鱗が血の衝動を解放する証だった。湧き上がる殺意と破壊衝動に耐え兼ね、体は烈火のように滾っている。
舐められたものだ、とグレイルは色彩の消えかけた目をしながらつぶやく。
「殿下、お待たせいたしました。第一師団、終結しました」
「ご苦労。これより賊徒の討伐を行う。全員、必ず、俺の前に引きずってこい。誰一人として逃がしてはならん。これは命令だ」
「しょ、承知いたしました。では魔法痕跡を追う聖女様に続きます!」
グレイルは今まで戦った相手に苛烈な罰を下したことはない。むしろ手ぬるいと皇帝である父に叱られたこともある。
だが今回はどうしても自分を抑えられそうにない。気を抜くと街中で全力で竜化してしまいそうだ。
聖女と竜皇子。この大陸で敵に回してはいけない二大候補が、共通の敵を発見した。止めるものは何もなく、諫めるものも一人としていない。
この場にいる誰もが怒りと恥辱で燃えているからだ。
季節外れの雷が帝都に発生した。住民は天の怒りに怯え、誰言うでもなく家の中へと身を隠していく。
「こちらですね。ついてきてください」
「聖アガサ、進軍せよ!」
「第一師団、戦闘開始!」
誘拐犯はまだ理解していないだろう。世の中には絶対に触れてはいけないものがこの世にはあるということに。
決して穢すべからず。その憂き姫君に手を出したのは、死刑執行の同意をしたのと同義である。
聖女と竜皇子。
その両者に小便をぶちまけるが如き行動は、如何なる結果になるのか。
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