第16話 妹、誘拐される
グランゼリアの帝都に来て、心地よい日々を過ごす中、私の心は少し緩んでいたのかもしれません。事件はジルドニアに帰国する前日に起きました。起きてしまったのです。
――
一週間。同じ場所に居続ければ、人は少し冒険もしてみたくなるもの。
『貴女って子は人の言うことをきちんと聞きなさい。自分だけの問題ではないのよ』と前世でも今世でも母に言い含められていたような。
それでも、お気に入りのパン屋にクロワッサンを買いに行くぐらいは、特に問題ないと思っていたのです。
「おねーちゃん、お花買いませんか」
裏路地に伸びる通路にぽつんと立っている、少女に呼び止められます。
年は12~14歳頃でしょうか。
伸びに伸びてしまった茶色の髪によれよれの服。帝都の、それも城下町の区画では珍しいお花売りの女の子です。私の国ジルドニアでは王都にも貧困層が集まってきているので、珍しい光景ではないのですが……。
むしろたった数日を過ごしただけで、私はこの世の理不尽をすっかり忘れてしまったのかと自分が恥ずかしくなりました。
「素敵ね、おいくらかしら」
「うんと……ええと、この白いお花が銅貨一枚です。こっちの青いお花は珍しいから銅貨二枚になります!」
たどたどしく答える姿に、保護欲がわかなかったと言えばウソになります。そしてそれは貴族という恵まれた環境に転生できた自分の傲慢だということも。
一歩間違えれば、今いるこの女の子の姿が自分だったのです。他人事とは思えません。そう、思ってしまいました。
「可愛いわ。そちらの青いお花を二本もらえるかしら」
「はい! ありがとうございます、おねーちゃん! ええと、銅貨二枚が二つだから……」
指折り数えている姿が愛らしいですね。でもよく見るとやせ細っており、きちんとした食事を得ていないだろうということがわかってしまいます。だったら一緒にパン屋に行けばいいのかも。そう思った私は人生最大の隙を晒してしまいました。
「はい、銅貨四枚です。どうぞ!」
サクッ。
え、え……?
お腹に短剣が刺さる。
ぽたり、ぽたりと血が路上に落ちていって……。
幸いにしてマリーの言いつけ通り固い繊維の肌着を着ていましたので、深手ではなさそうです。ですがこれはしばらく痛みで行動ができないかも。一瞬で自分のダメージの把握を試みたときに、第二撃を喰らってしまいました。
バチンという高音。
「あがっ!!」
電気……ショック……?
「身なりで判断しすぎだよ、おねーちゃん。さあさあ、運んで。
朦朧とする意識の中、私は手枷と猿轡をかまされて、荷車に積まれます。上に分厚い毛布をかけて、簡易的な偽装工作をされた時点で手遅れだと悟りました。
だめです……もう……落ち……。
ごめんなさい、お姉さま。ごめんなさい、グレイル様。
こうして愚かな侯爵令嬢のリーゼロッテは虜囚の身となったのでした。
終わりませんよ?
◆
「え、リズが戻らない?」
アーデルハイドの声は微かに震えていた。確か妹は近所で行きつけのパン屋に行ったはず。こんなに時間がかかるはずもない。
アーデルハイドは頭の中で事件の可能性を真っ先に採用した。
油断していた、とアーデルハイドは臍を噛む。無論リーゼロッテの瑕疵は大きい。護衛もつけずに貴族令嬢が外出するなど、誘拐してくれと言わんばかりの行為だ。だが帝国での歓待ぶりと、人々の友好的な態度にすっかりと警戒心を解いてしまっていた。
「イグナティウス隊長を呼んでください、マリーさん」
「かしこまりました。すぐに!」
まずは現状把握。目撃証言やリズの痕跡を探して、必ず実情を掴み上げる。
アーデルハイドは今静かに燃焼し始めた。
◆
ばしゃり、と水をかけられました。寒冷な気候にある帝国での水浴びは非常に辛いです。
「やあおねーちゃん。目が覚めたかな」
「貴女……一体どういうつもりですか!?」
「自分の迂闊さを呪うんだね。ボクのこと、可哀そうな女の子だと思って油断したのは誰かな。ああ、傷は大丈夫かな。君は竜人じゃなかったから、死ぬかもと思ったけど。まあ痛い出費だけどヒールポーションをかけておいたから、ふさがってるはずだよ」
慌てて腹部を見ると、白いウィンターニットに赤いシミが広がっていました。だが少女……いや少年の言うとおり痛みはもうありません。
「目的は何ですか? こんなことをしてタダで済むとは思っていませんよね?」
「言う言う。ボクたちに売られていく少女やご令嬢たちは、みんなそう言って強がるんだよね。目的? 決まってるじゃないか。奴隷売買以外にあるの?」
「つまりはお金目当てということですね。身代金を……」
「それもよく聞くから飽きてるんだよね。身代金? そんなの捕まりに行くようなもんじゃないか。それに大抵の場合、変態趣味を持っている馬鹿どもの方が金貨を高く積んでくれるんだよ、世間知らずのお嬢さん」
こんなイージーなトラップに引っかかるとは、情けなすぎて泣きたくなります。
「ちょうど君みたいな高慢で我儘そうな、汚れ知らずのご令嬢を求めてる人がいてね。可哀そうに、たぶんぶっ壊れるまで遊ばれると思うけど、悪く思わないでね」
ゴロツキの人数は割と多めの二十三名。使いっぱしりだと当初考えていた少年は、どうやらこの誘拐組織のリーダーのようです。おそらくは過去に何名もの密売に手を染めているのでしょう。
手口が慣れすぎています。そして売り先から信用がありすぎです。
治安のいいと噂される帝都でこのような犯罪者たちが、まともに息をしていけるはずがない。まあ人の目は神の目ではないのだから、必ず抜け穴はあるのですけども。
白昼堂々の誘拐に、ためらいのない刺突。死なない程度の電気ショックに運搬用の荷車の待機。このように鮮やかな手段で犯行を繰り返しているとすれば、必ず官憲の目に留まるでしょう。そして討伐部隊が編成されることになるに違いないです。
それが未だに組織として動けているということは、必ずバックに大物がついているということでしょう。
ああ、お姉さま。申し訳ありません。もっと自重というものをすべきでした。
私は謝りつつも自分の状態をチェックします。
手枷は布製。とがったもので切るか、最悪関節を外して抜けられますね。こちとら伊達にマリーと、ロイヤル・アーツの訓練はしているわけではないですよ。
足枷は無し。どうも私を貧弱なご令嬢だと思っているのか、それともこれだけの男を集めれば竦みあがると思われているのか。一応は立って歩けて蹴れる状態にあるようで安心しました。
相手の装備は中程度……でしょうか。一般的な兵士が持つだろう長剣を腰に
目の前の少年に関しては未知数ですね。いくら無防備とはいえ、私にナイフを差し込む手腕は最大限の警戒に値します。
「お願いです、私を帰してください。後悔はさせませんから!」
「へっへっへ、このお嬢ちゃんまーだ言ってるよ。売りモンじゃなかったら、この場で躾してやってるとこだなぁ」
誘拐犯の一人が余裕しゃくしゃくな態度で私に下品な笑みを向けてきます。ああもう、歯ぐらい磨いてくださいな。まっ黄色ですわよ。
しゃくられた顎の先を見ると、薄汚い人一人が入れる程度の檻がある。どうやらあれで出荷されるのでしょう。
どこの貴族か富豪かわからないけれど、ご愁傷さまです。
まさか私のような特大の可燃物を運んでくるとは夢にも思わないでしょうね。
「最後の交渉です。私を解放してくれれば追手は放ちません。お願いですから誘拐した場所にそっと戻してください」
お願いします。ほんともう、これから起きるだろうことを想像すると、胃が過労死しちゃうのです。
―――
「聖女様、今聞きました。リズがいなくなったと」
「皇太子殿下、このあたりで同様の事件が起きたことはありますか?」
「警備局に尋ねてみよう。何か知っているかもしれない。聖女様、一応のところ伺っておきたいのですが、リズが悪漢の手に落ちていた場合、どうされますか?」
その質問はアーデルハイドにとって無意味なものだった。
どうするか?
「そのお顔で十分伝わりました。まだ道に迷っている可能性もあります。確定した情報をお持ちしますので、もう少々お待ちください」
たしなめるグレイルだが、彼自身もすでにこれが事件だと理解している。
グレイルは小耳にはさんだことがあった。帝国宰相の妾腹の男に黒いうわさが立っていることを。帝都のはずれにある屋敷には、怪しい商人が来訪していたり、時折女性の悲鳴のようなものが聞こえたりするという。
「国賓に手を出すほどの馬鹿ではないと信じたいが、その手下までに薫陶が行き届いているとは限らないな。ラウル!」
「はい殿下」
竜皇子グレイルが指揮する第一師団の副将、ラウル・グリューンバルトは既に準備を進めていた。彼にとって帝都であれども常在戦場の気構えでいる。命令があれば即座に展開できるのが第一師団の役目だ。
「帝都内の情報を統括し、リーゼロッテ嬢の痕跡を探せ。多少手荒なことをしてもかまわん」
ほう、と副将は目を見張る。常に冷静なグレイルが我を失ったかのような命令をdすのは恐らく初めてのことだからだ。
「承知いたしました。第一師団の名誉にかけてでもリーゼロッテ様の身柄の安全を確保致します」
「取りうるあらゆる手段を用いてよい。行けっ!」
「はっ!」
「リズ、どうか無事でいてくれ。君に万が一のことがあれば……俺は……」
胸に下げたタリスマンを握って、グレイルは神に祈る。どうかこの護符が彼女に幸運を授けてくれますようにとの思いを込めて。
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