第9話 帝国への招待

 机に突っ伏して、しくしく泣きながらマリーやカイルから報告を聞いています。


「で、まあ。聖女様を皇太子殿下の嫁にーって話はなくなったそうっすよ」

「陛下から非公式にですが慰労のお言葉が届いております。目先の面目よりも、両国間の対立を起こさなかった手腕を評価する――だそうです」


 カキカキカキカキカキカキ。

 両親からの罰として、聖典の書き写し五十回を命じられております。


 うううう、うううう。


「お嬢、そんなべそかかなくもいいじゃないっすか。どうせ結婚する気がなかったんでしょ? マールバッハ家に来てたお見合いの取り下げだなんて大した問題じゃないのでは?」


 そう。私に来ていたお見合い話のすべてが撤回されていた。その数三十七件。


 曰く「酒乱の女性はちょっと。ワインをラッパ飲みとか無いわ」

 曰く「リーゼロッテ様を見るグレイル殿下の目が怖かった」

 曰く「二つの国の王子を手玉にするような魔性の女だ。手に負えません」

 だそうで。


 結果的に欲しかったものは手に入ったからいいのですけれども、やっぱり傷つくといえば傷つきます。


「それでお嬢、本題忘れてませんか? いい加減に決めてくださいよ、『黒犬』としても準備ってのがありますから」

「わかってるます……」


 グレイル様がおっしゃっていました。

『リーゼロッテ嬢、貴女とはもっとゆっくりとお話をしたい。ぜひ今度は帝国に招待させてほしい』と。


「だからってスピード感ありすぎでございましてよ!」

 竜皇子様は国に戻られる道中で、私たち姉妹宛てに帝国への招待状をお書き遊ばれました。


 内容は王国では『世話になったから』、帝国で『おもてなし』をしたいとのこと。シンプルかつ礼儀正しく威圧感たっぷりにしたためられております。


「お嬢様、この度の宴席では王国の方が火種を持ちだしたのは事実。ここは帝国との完全和解のためにお骨折りをなされた方がよろしいかと」

「ですね……」


 カキカキカキカキカキ。


 男同士はお相撲で仲を取り持ったが、それではい終わりといかないのが政治の難しいところです。どこかで均衡を保ったり、相手に花を持たせたりしないといけません。それが外交です。


「お姉さまは帝国行きについて何かおっしゃってますか? 今何をなさってるのでしょう」


「聖女様は早朝より、帝国のグルメブックを読みふけっておいでです。尋常じゃない数の付箋がついておりましたので、体調を崩されぬよう見守る必要があるかと」


 お姉さまはやはり変わりませんね。聖女モードの時とプライベートの時に差がありすぎるのが怖いところですけれど。

 どうせグルメだなんだと考えていても、目の前に病人がいればすべてを投げうってでも救済に行ってしまわれるのでしょう。


「それで帝国は無料でご飯をご馳走してくれるわけではないのでしょう? 目的は何です?」


「聖女様に『神鉄の砂時計』を戻してもらうんじゃないっすかね。まだ帝国は時間があると思いますが、念のためにってことでしょう。表向きは」


『神鉄の砂時計』は各国に存在しています。当代の聖女は乞われる形で国々を回り、聖油と香料の匂いの中で砂時計をひっくり返すのです。

 ちなみに私も見たことがありますが、人の手には負えないほどに大きいものでした。平民の一軒家ほどの高さといえばイメージがわくでしょうか。


『神鉄の砂時計』の砂が落ち切るのは死活問題です。以前砂が無くなったことによってモンスターの暴走が起こり、滅びた国もあったといいます。当然各国は聖女や候補を血眼になって探していたのです。だからお姉さまが見つかった時は相当熾烈な暗躍活動があったそうですよ。


 お姉さまは性格上危機を放っておけない気質なので、各国に乞われては砂時計を回しに行こうとされるでしょう。だがジルドニア王国としてはそれは大きな外交的損失になります。


 聖女はその存在自体が国家の戦略兵器であり、他国に対する大きなアドバンテージなのです。王国に対して聖女の派遣を要請する国は、なにがしかの『寄進』を用意する必要があります。


 同時にジルドニア王国も寄進の扱いは繊細にする必要があります。他国との軋轢は可能な限り生むわけにはいきませんし、無体な条件を課して『反ジルドニア連合』でも組まれた日には、小国である私たちはあっという間に滅びてしまうでしょう。


 一番王国が頭を悩ませている案件は、聖女本人の状態です。神殿にて聖女と認定されてから、お姉さまは半分は人で半分は神籍となっています。マールバッハ家の娘という事実は一応残りつつも、ジルドニアに平伏する臣民ではないのです。ゆえにどこに居住しようとも、お姉さまの自由ということになっています。


「王国のことを考えれば、お姉さまはきっと帝国行きをご決心されるでしょうね」


 お姉さまはジルドニアを愛していらっしゃいます。だからよほどのことがないと国を捨てないかもしれません。


「はい。聖女様のご気性から、砂時計を巻き戻すことに関してはすぐに腰を上げられるでしょう。問題はしかるべき護衛が用意され、きちんと王国へと戻ってこれるかどうかにあります」


 マリーの言葉は正しいと思います。『聖女が帝国を気に入ってしまって帰らないと言っている』なんていう風に、身柄をおさえられた上で強弁されてしまったら、いくら弱小国とはいえ開戦待ったなしになります。


 不幸な『行き違い』をなくすためにも、護衛には精鋭を選抜しなくてはいけません。

 さて、どの騎士団にお願いしようか、悩みどころですね。

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