第7話 荒ぶる魔眼と竜皇子殿下
ジルドニア王国でもよほどの慶事でしか使われない『麒麟の間』で、隣国の皇太子を迎える宴が催されています。いくら禍根はあれども善隣友好の使者をぞんざいに扱うわけにはいきません。ましてやそれが大陸最大の武力を持つ、古の竜の帝国。グランゼリア帝国であるならばなおさらです。
螺鈿飾りがふんだんに使われた什器が次々と運ばれ、目にするものを魅了していきます。職人が十年の歳月を経て織りあげた、麒麟のタペストリーが威風堂々と翻っていて壮観ですね。
前世の庶民の視線で考えると、このような者は無駄な出費では? と思うことがあります。だが王政の権威というものは私が考えているよりもとても強くて脆いものです。
『あの王家は礼儀がなっていない』
などと噂されれば、周辺諸国はこの国を一段下に見てしまうのです。通商で譲歩を迫られたり、領土問題で踏み込まれたりと、弱みを見せればすぐさま齧りに来るのが今のこの世界です。
豪奢に飾りたてることとは、王権はこれだけの税を取っても民に支持されているぞ! 他国よりも資金が潤沢にあるから、戦争をしかけてくるなよ! というアピールでもあるのですよ。
だから今回のグランゼリア帝国からの表向きの親善外交は、ジルドニアにとって大陸内の力関係を向上させるために、なんとしても成功させなくてはいけません。
私にとってもこれは戦争。確かにジルドニア王国は弱小国に入る部類です。だからといって無条件に聖女であるお姉さまが、現地土産でついてくると思われるのは心外の極みですことよ。
「我がジルドニア王国とグランゼリア帝国の友誼を祈願して、乾杯をしよう!」
「乾杯!」
「王国万歳! 帝国万歳!」
銀の杯がどんどんと傾けられていく。程よく香る酒精を躱し、思わず口いっぱいに頬張りたくなるご馳走を我慢して、私は臨戦態勢をとります。
首をコキコキと鳴らします。さあ、いつでもおいでなさい。
「聖女アーデルハイド様、グランゼリア帝国の皇太子殿下がご尊顔を拝したいと仰せです」
「そうですか……もぐ……リズも一緒に行きましょう……もぐもぐ」
「は、はい。お姉さまの仰せのままに」
踵の音は鳴らさずに、そっとお姉さまの背後につくきます。
「お初にお目にかかります。聖女アーデルハイド様、私はグランゼリアの皇太子、グレイル・ド・グランゼリアと申します。こちらから足をお運びするべきでしたが、本日は賓客の身分を賜った身ですので、ご容赦ください」
「初めまして殿下。アーデルハイド・フォン・マールバッハと申します。お会いできて光栄です」
この人が……隣国の皇子。世間では『竜皇子』と呼ばれている方ですか。
流星のような黒い髪に、深い神秘の黒き瞳。慎ましくほほ笑むさまはさすがの貫禄ですね。だいぶ体を鍛えているのか、それとも竜人の特性なのか、胸板が分厚く腕も太い。それでいて腰が細くてスタイルがいいのが目を引きます。
「そちらのご婦人は……」
「お初にお目にかかります! 私はアデルお姉さまの妹でリーゼロッテと申します。殿下のお許しも得ずに御前に出た無礼をお許し下さい」
「歓迎します、リーゼロッテ嬢。神聖なご姉妹にまみえることができて幸せに思う。これからはグランゼリアとも友誼を結んでもらえると嬉しい」
さあいきましてよ、うなりなさい私の魔眼。
『皇帝の器』『護民の盾』『勇猛果敢』『幸運』『誠実』『女性に不慣れ』『一途』『英雄』『古竜』『士気向上』『人望』—―
な、な、なんですのこれ!
魔眼先生がここまでベタ褒めするなんて信じられません。
お姉さま、この方はSSRですわ。王国とか帝国とかどうでもいいので、この人とくっついてくださいまし。
私の頭の中に住む猫がヨシ! と合図を出しました。
是非ともこの婚活……コホン、親善関係は続けてもらわないといけません。
こうしてはいられない、お姉さまのフォローをしなくては。そう思って私は笑顔で静かにお姉さまたちに近づいて行きます。
そこには全く話が弾んでいない二人がおられました。
あまりに冷えっ冷えで、私もアイスクリーム頭痛おこしそうです。
「よろしければ今度帝国にも祈りを捧げに来てくれないだろうか」
「教会の許しが必要です」
ん、もうちょっと、こう……ですね。
「何か好きな花はおありですか」
「食べられるものなら何でも」
えぇ……。
「王国に訪れる際に、美しい山脈が見えたのですが」
「野鳥は美味しいです」
あっあっあっ。
「……ローストビーフ、召し上がりますか?」
「はい!!(ひょいぱく)」
くぅぅっ、お姉さま! お姉さまっ!!
お姉さまのコミュニケーション能力は、子供のころからまったく進歩していませんでした。化粧や衣装、風光明媚なスポットに夜会へのお誘い。どれも通じません。
だんだん笑顔を作るのが辛くなって参りました。このままでは表情筋が壊死してしまうでしょう。しかしこのご縁を逃してしまえば、お姉さまが……うむむ。
「妹君はいかがですか? 帝国にご興味は」
不意に水を向けられました。だが私は事前勉強はすませてきてましてよ。
「はい、有名な帝国劇場に行ってみたいです。毎月格式高い演奏会が行われるとうかがっていますが」
「よくご存じですね。私もチェロをかじったことがあるのですが、どうにも楽器は不調法で。私の太い指では弦を押さえ辛いのが難点です」
「まあ、でも殿方は少し不器用な方が可愛いと思いますよ。ん、失礼しました。このような砕けた口調で申し訳ありません」
「いいんだ、リーゼロッテ嬢。私も気軽に話したい。よければこちらにかけて私の相手をしてもらえないだろうか」
「私よりもお姉さまのほうが……」
既にお姉さまの姿はそこにはなかった。ああ、山盛りのお肉に釣られたのですね。
竜皇子グレイル様は楽しそうに目を細める。眉がしゅっと切れ長で、繊細です。
「いや君がいいんだ。是非ともお願いしたい」
「それは本当ならうれし……ッ!?」
会話中に異変を感じました。視界が……ブレる。この症状は子供のころにもあったような。
ズキン、と目が痛む。
ああ……また魔眼が勝手に発動して……る。
「大丈夫かい、リーゼロッテ嬢」
「はい、少し頭痛……が」
『一途』→『超一途』
ん、んんん?
「大丈夫ですわ。たまにあるんですの。さあ殿下、王国料理にも絶品はございますわ。ぜひお試しくださいませ」
「先ほどから驚いているよ。このエビの乾酪焼きは絶品だと思う。帝国も少しだけだが海に面していてね、良ければ今度一緒に見たいものだ」
「素敵ですね。帝国では帆船の改良が進んでいるとか。澄み切った海を会場から眺めるのはロマンがあふれますね」
「帝国の事情に詳しいようだね。その知識は書物からですか、リーゼロッテ嬢」
「はい、今宵お会いする高貴なお方のお話に、少しでもついていけるようにと。まだまだ不勉強で恐縮の限りですが」
「いや、帝国自慢の技術を知ってくれていて驚いてるよ。流石は聖女様の妹君だ。それともリーゼロッテ嬢ご自身の力なのかな」
ブン……。あれ、また目が、ブレる……。
『超一途』→『リズ』
ぶーーっ!
ええええええええええええっ!? いや、その変化は……あるんですの?
冷や汗がだらだらと背中を伝うのがわかります。きっとコルセットを外したら滝のように流れてくるのでしょう。
「少し話し疲れてしまったのかな、すまない、俺はどうにも女性の相手は得意ではなくて」
「い、いえ、高貴なお方を前にして緊張をしてしまいました。少し飲み物をいただいて来ようと思いますわ」
「そうか。だがリーゼロッテ嬢とは離れがたいな。それに今日、この場で一人にならない方がいいと思うのだが。例えばあちらの席で貴女を睨んでいる、第一王子殿下とか、ね」
そうでした。王家の催しに第一王子たるアラン様が出席しないわけにはいかないですよね。自分に散々恥をかかせた女が、敵国の竜皇子と楽しそうに話しているのは面白くないでしょう。失念しておりました。
竜皇子殿下――グレイルと呼んでくれと言われ、恐縮しているとウェイターを呼んでくれました。
「私とリーゼロッテ嬢に白ワインを。あとはそうだね、冷たい水を一杯頼む」
「お気遣い感謝します、グレイル様」
「余計なおせっかいだったかな。さあ、もっと寄ってくれていいよ。大丈夫、まさか帝国人がいる前では第一王子殿も愚かな真似はしないだろうさ」
汗を流しすぎて喉がカラカラだったことを見抜かれていました。でも体調を慮ってちゃんと注文してくれたことに少なからず嬉しさを感じているのは事実です。
なんでしょう、この気持ちは。
「ソレイユ種の白でございます」
「ありがとう、下がっていてくれ」
むぅ。実は私はお酒が苦手だ。付き合いで口をつける程度はまだセーフ。けどグビリと飲むと、ちょっと……まずいです。
帝国の書物に関しての話題に花を咲かせていると、ガシャンと食器が割れる音が聞こえました。急いでお姉さまの姿を探すと、最悪の事態が展開されておりました。
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