第二章 闇の妹と竜皇子

第6話 新たな影におびえる

 アラン王子は菜種よりも酷い有様に、陛下に絞られたらしい。


 アーデルハイドお姉さまとの婚約は破棄。私との婚約は無効、ついでに慰謝料も出ました。手籠めにされそうになった悲劇の令嬢として、あちこちで優しくされたのにはちょっと驚きました。いつもは闇属性使いだということで敬遠されてきたので、人の親切はこそばゆく感じてしまいます。


 私の家であるマールバッハ侯爵家は第二王子派に鞍替えしたようですよ。白昼堂々娘が襲われそうになっていたのですから、父が魔王も目をそらすほどの形相をなさっていたのも無理がないでしょう。血管が数本は切れてそうな父の怒りが去ったあと、我が家はより安泰な方へと航海していくといいですね。


 これでひとまずは危機は去ってくれましたね。


 腹心であるメイドのマリーが淹れてくれた南部の国であるベルセン産の紅茶を飲み、王都新聞に目を通していると、私の部屋のドアが六回ノックされます。


「マリー、大丈夫です。ナイフをしまってください」

「かしこまりましたお嬢さま。カイル、早く入りなさい」


 音もなくドアが開き、豹のようにしなやかな動きで、細身の青年が私の前まで進んできた。赤銅のような髪が荒々しく揺れています。


「ご機嫌麗しゅうっす、お嬢」

「おはようカイル。こんな時間に『黒犬』のあなたが珍しいですね」


『黒犬』は私が支援をしている隠密組織です。

 絶賛衰退中の我がジルドニア王国において、マールバッハ侯爵家はかなりの金銭的余裕を持っています。魔法工学、運送業、加工貿易、希少金属の採取などなど、手広く事業を広げており、幸運にもどれも軌道に乗っております。


 お姉さまが聖女ということも重なり、信用値は爆上がり。誰彼問わずに『寄進』という名の投げ銭もされる状況です。


 実は私は、この事業を継ぐので忙しいのです。なので結婚というものを諦めていたのもそのせいです。お姉さまは現役聖女ですので、いずれは王家やそれに近い家柄に嫁いで家を出ることになります。なので残る私がマールバッハ領の安泰を図らないといけないのです。


 それにはある程度の実弾――つまるところ自由にできるお金が必要です。


「お父様、リズお友達がたーっくさんほしいの! だからもっともっとお洒落したいなぁ……ねぇ、ダメ?」

 背中に抱き着き、父が糖尿病になりそうなほどの甘え方をした結果、月々のお小遣いの金額がガッツリと二桁ほど上がりました。


 渡る世間は闇ばかりではなかったようですね。

 もらえたものは有効に活用しなくてはもったいないと思います。


『マールバッハ産業振興会』『王国中央銀行交流会』『魔道工育成組合』『運輸業広域化計画』『黒犬支援金』『聖女支援金』『お姉さま保護基金』『お姉さま生誕祭基金』『黄金像建立計画』


 後半は割と私情も入っておりますが、様々な分野に気前よく投資をしていくことで、より多くの利益をもたらそうと頑張っています。雇用を増やさなくては景気も上がらないですから。


 聖女支援金は孤児院への寄付や炊き出しの費用、町の清掃や医療分野への手助けも含まれているので、そこまで悪い使い方はしていないはず。もちろん良いことの名義はお姉さまになっています。


「お嬢、ニヤニヤしてるとこわりぃんすけどね、実は隣国のグランゼリア帝国からお客さんが来るようでして」


「グランゼリアが……? ジルドニアとは仲がよろしくないでしょうに」


「一応は友好親善の使者っていう名目です」


 聖女であるお姉さまに面会に来る賓客は珍しくない。だが今回は過去数回において国境で紛争を起こしたことがある、ジルドニアの敵国なのですが。


 皇帝は伝説の古竜の血を引く一族で、戦場においてはその身を凶暴な竜に変化させて戦う。民少なからず竜の一族の者で、戦闘力は純粋な人間よりもはるかに高いと聞いています。


「ふむ。それでどのような方がお見えになるのかしら。もし直接お姉さまに面会されるとなると、よほどの――」

「帝国の皇太子だそうです」


 ぶっふーーっ!


 お紅茶吹きましてよ。


 ええええ、敵国に世継ぎが直で来るんですか? それは大胆にすぎませんか。何か問題があれば即開戦になってもおかしくないのですが……。

 もっともグランゼリアの皇太子と言えば、竜の皇子として勇名を馳せているとか。個人の武勇を頼むのもそれは一つの手だけれども、国際的な親善関係を向上させるにはあまり歓迎できる打ち方ではないでしょう。


 ん、ということは親善ではない?


「え、まさかお姉さまを……」

「まあ、その可能性が高いっつー分析っす」


 嫁取り! しかもまさかの敵国! なんでこの世界の高貴な方々は無節操なのか。


 いやしかし参りました。ジルドニア内部の貴族なら、実弾を打ち込めばどうにかなるかもしれませんが、帝国かぁ……。


 グランゼリア帝国はジルドニア王国なんて簡単に踏みつぶせるくらいの、恐ろしい軍事力を持っています。それは王国も理解しているから『国境紛争』程度で今までどうにかすませてきたのが実情なのです。

 つまり帝国には脅しや牽制は一切通用しません。


「俺ら『黒犬』の見立てとしては、優先順位の一位が婚姻。二つ目が帝国への巡幸要請。三つめが帝国に移住させようって腹ですかね」


 非常に困りました。グランゼリアの皇太子が私の『破滅回避の魔眼』で黒判定が出た場合、かなり無茶なことをして追い返さなくてはいけなくなります。


「お嬢どうします? 流石にグランゼリアの護衛は質が高すぎて、『黒犬』では近寄れねーです。暗殺は諦めてほしいトコですが」


「最初から暗殺はオプションに入ってないです。仕方がありません、お姉さまと私で会いましょう。皇太子が来るとなれば、流石にジルドニアも王家主催で晩餐会を開くと思います。まずはそこで見極めてみましょう」


「お嬢様、あまり無茶はなさらないでくださいね」

「ありがとうマリー。大丈夫、私はお姉さまのためならどんなことでも苦にならないわ」


「ほいじゃあ俺たち『黒犬』は皇太子の情報をまとめとくよ。あとで誰かに持ってこさせるから、よろしく」

「ご苦労様でした、カイル……ふぅ」


「んな顔すんなってお嬢。俺たちは飢え死に寸前の身をお嬢や聖女様に助けてもらったんだ。知ってるか、犬ってのは三日餌をもらえれば一生恩を忘れないんだぜ。じゃあな」


 するんとスライムが抜けるように、ドアからカイルは去っていきました。足音すら聞こえないのは流石です。カイルが率いる『黒犬』には工作活動を多く受け持ってもらっているので、いつか彼らの働きに報いることができるようにならなくては。


 紅茶にミルクを加えて二杯目を飲む。報告を聞くだけで胃が痛くなりそうです。

 お姉さまと帝国の皇太子か……まとまれば外交懸念はかなり解消されるのだけれども、艦艇の結果次第なのが辛いところです。


 絹を裂くとまではいかないが、相応に鋭い使用人の悲鳴が聞こえてきました。

「きゃー! 誰か聖女様をお止めしてっ!」


 ぶっふっ!

 もう! またお紅茶吹きましてよ!


「いけません、それは使用人の下着ですぞ。え、洗濯のついでに……? うむむ、使用人とはいったい……」

「お待ちください聖女様。聖女様!」


 中庭は選択の晴れ晴れしいシャボンが漂っています。バサバサと干していくお姉さまは心なしか誇らしそうでした。


 うん、今日も平常運転ですね。お姉さまは一人にして放置しておくと無限に世界を浄化し続けるお人です。ことの大小はあるけれど、お姉さまはどこに行ってもなされることは変わらないのだと思いました。

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