第54話 裏切り
—シェクタ国のハクアの命令によりソルケが王都フェルナンに派遣されたのは事実だった。しかし、ソルケの真の使命がラヴィエを守る事だと知るものはほとんどいない。
今回、行商人の密告によりラヴィエの潜伏場所が明るみになったのはソルケにとって思わぬ幸運だった。ラヴィエを守る最善の方法は、この王都フェルナンに連れ帰り、幽閉しておくことだったからだ。
ソルケから捜索命令を受けたバンクは、いつものように結月を連れ、プレシャ村へ向かった。
プレシャ村とは、かつてロウゼが住んでいた村だった。しかし、アカネとリュウセイとの闘いに巻き込まれた村民は、ミゼの陰謀によって毒殺されてしまったのだ。
そのような陰惨な事件が起きた村に、誰が足を踏み入れようとするだろうか。
ラヴィエはひそかに、そのプレシャ村の海岸に造船所を建設していた。造船所には、ギプス国から引退した技術者たちを呼び寄せていた。彼らは高齢であるため、実際の作業は衛兵たちが行い、彼らは技術指導に徹していた。
警備は近衛兵隊長マジムが指揮を執り、そして愛しきラヴィエを守る者としてアコウは常に彼女の近くにいるのだった。
街道に配置した警備兵からの連絡もなく、襲撃は突然やってきた。
—まだ日が昇らぬ朝
マジムは兵士たちに指示を出そうとするが、凄まじい脚技で猛攻するバンク、白亜隊の乱入で混乱が広がる。
もはや兵たち個々の力量に頼るほかなくなった。
『時の加護者』と『運命の加護者』の恩恵は失われてしまったが、シュー族に匹敵するスピードと腕力を持つアコウがバンクに立ち向かう。
「お前たちの勝手にはさせない! 」
「ハクア様から聞いた話では、勝手なのはお前たちだという話だぞ」
「何を訳の分からぬことを! 」
砂煙が上がるとアコウの姿が消えた。次に見えた時、バンクは吹っ飛んでいた。
決まった。
並みの人ならば、今のアコウの一撃で内臓が破裂してしまうだろう。だが、血を流していたのはアコウの拳だった。
「お前は拳が自慢か? 残念だったな、私は脚が自慢でな」
バンクはアコウが拳を当てようとした瞬間、膝でその拳を受け止めたのだ。
「 …く、まだだ」
アコウは『アリアの剣』を抜いた。昔ならば、アコウの髪は銀色に輝いたのだが、今はその力も失われている。
アコウが速さ任せに剣を振る。バンクはしなやかに剣をよける。
「ふん。剣技は中の上くらいか。私の『禁言』を使うまでもないが、今回ばかりは失敗を許されない。悪いが使わせてもらうぞ」
アコウの脚に力が入る。最大出力でバンクの間を詰めるつもりだ。
恩恵の力が無いとはいえ、アコウの速さに付いていける人間などそうはいない。
アコウが突進する瞬間、バンクが言った。
『私の目に見えない速さを認めない』
するとバンクの脚と共に半径2mの円が白く光りだす。
アコウが地面を踏み込むと同時に雑草が粉々に弾け飛び、その姿を消した。
突風のようにバンクに迫るアコウ。
だが、その白い円に足を踏み入れた途端、アコウはぬかるみに脚をとられたように転がってしまった。まるで田んぼのようだ。
バンクが追い打ちをかける。鋭い踵が容赦なく落ちる。
だが間一髪で、マジムの剣が割って入った。
バンクはとっさに身をねじらせ飛び上がる。
それは鉄棒選手のような華麗なひねりを伴った跳躍だった。
「ふむ。躊躇しない太刀筋はよかったな」
あの一撃を回避するバンクを前にマジムは勝てないと思った。
変幻自在な身のこなしはシエラのものとはまた異質。
しかもまだ本気を出していないことを感じ取れた。
ラヴィエは既に白亜隊に囚われ、他の兵は容赦なく殺されてしまった。
「御免! 」
ふらつきながらも立ち上がろうとするアコウを岸壁から海へ突き落とすマジムは、ラヴィエの目を見ると、自らも海へ飛び込んだ。
「ふん。あのマジムという男、あきらめて身を投げたとは思えんな。お前たち崖下へ行って探してこい」
釣り好きのマジムはこの海岸のことを良く知っていた。丁度この下の海は深く、地形のつくりから、波も立たない場所だった。
「ぶはっ… はぁ… はぁ… アコウ! どこだ! 」
「マジムさん、ここです」
「大丈夫か。岩に打っていないか? 」
「大丈夫です。でも、なぜです! なぜラヴィエを見捨てたんですか! 」
「あいつらはラヴィエを捕らえに来ただけだ。命までは奪わない。それにラヴィエが連れていかれる場所はわかっている。フェルナンだ。生きてさえいれば助ける機会はある。それまで我慢しろ」
「冗談じゃない! 俺は今すぐ助けますよ! 」
「まぁ、落ち着け! 取り敢えず、今は第2造船所の方へ身を隠そう。あっちはまだ奴らにバレていないだろうからな」
マジムの言う通り、追っ手は第1造船所の桟橋を探していた。
海の中からそっと顔を出しマジムは第2造船所の様子を窺う。
「くそ、こっちにもいるじゃないか」
「でも、マジムさん、敵3人なら行けますよ」
マジムはうなづいた。
そして静かに桟橋から上がり、白亜兵の背後を取ろうとした時だった。古びた木の桟橋が軋んだ。その音に振り向く白亜兵!
「奴らだ! お前ら、結月様を守れ!! 」
白亜兵が斬りかかってくるよりも早くアコウの拳がさく裂した。
「驚いた! この白亜兵士、しゃべりましたよ」
「ああ、たまに混じっているんだ。それより油断するな。そいつ『様』付けしていたぞ」
残りの敵は建物の中へ駆けこんだ。マジムはアコウに裏から周れと合図を送る。
マジムが正面から建物に入ろうとすると、早速、裏の方から激しい打撃音が聞こえてきた。アコウが暴れているようだ。
と、勢いよく飛び出し、マジムにぶつかって膝を着くのは、黒髪の女の子だった。
「誰? …バ、バンク…? 」
アコウがもう一人の敵兵を倒す音がした。
マジムは考えた。この女の子がさっきの兵が言った『結月様』なのか? だが、まだ12、13歳の子供だぞ。しかも目が不自由なようだ。
女の子は力なくマジムを見上げたが、すぐに意識を失ってしまった。
マジムは動揺を隠せなかった。その少女を見た時、マジムは幼くして亡くした娘の顔を重ねてしまったのだ。
『ダメだ、こいつは敵だ』マジムは自分の心に言い聞かせた。
「マジムさん、さっきの奴が言っていた結月ってのは… 」
「ああ… この子の事だよ」
アコウは拳に力を入れた。
「おい、何をする気だ? 」
「こいつは危険だ。どんな能力があるかわからない! 」
「落ち着け、そんな様子はない。それにまだ子供だ」
「でも、こいつらのせいで世界は無茶苦茶になったんだ!」
「わかっている。だがまだ年端もいかない子供だ」
「マジムさんは甘い! さっきだってラヴィエが殺されない保証なんかない。敵を信用してどうするんですか? 俺はこいつをぶっ殺してから、ラヴィエを助けに行きますよ」
「馬鹿野郎!! 今の言葉、ラヴィエ様の前で言えるのか? お前は子供を殺すって彼女の前で言えるのか? 」
「それは… 」
「まぁ、待て。うまくいけば交換条件が作れるかもしれない。この子とラヴィ— 」
「ヴリャア!! 」 殴り倒した兵が目を覚まし、アコウの背中に短剣を突き刺した。アコウはふらつきながら海に落ちた。
「ぎざまらぁ~、結月ざまをかえぜぇ。誰にも手を出じざせるかぁ」
その気迫にマジムは気圧された。兵は短剣を構えて身体ごとマジムに突進した。短剣はマジムの腕をかすったが、兵はそのまま前に突っ伏した。
マジムは剣を構え兵に近づくが、既に息は絶えていた。
それどころではない! マジムは海に落ちたアコウを探すが見当たらない。
潮の満ち引きが激しいこの場所。
アコウはもう流されてしまったのだろう。
マジムはどうすればいいのかわからなかった。
アコウを助けに海に飛び込めば、流れに飲まれてしまうことは目に見えていた。
だが、このままここにいても、バンクに殺されるのは時間の問題だ。
倒れている兵を見てマジムは思いついた。この全身を隠す白い防具を身に着ければ、敵に気づかれることはない。この男は声を出す兵だ。
うっかり声を出してしまっても怪しまれることはない。
「結月様」とよばれる少女を見ると、まだ気を失っている。
この男、あの子を守る事で必死だった…それなら、しばらく男に代わり、あの子を守るのもいい。
しばらくしてバンクの兵がやって来る。防具を付けたマジムは白亜隊に紛れ、結月を守る護衛兵となった。
だが、時々、マジムは自責と本心に悩まされることになる。
本当にそうだったのだろうか。自分は敵に紛れるためだけに白い防具を身につけたのだろうか?
いや、違う。本当はこの娘を守りたくなったのだ。
今はいない娘の姿が重なるこの「結月様」を。
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