転ノ章:友情


涼しい風が、そわそわとワタシの羽根を揺らしていた。トロリと甘いものを、誰かが口に流してくれている。


「ねえ、君、しっかりして」


かわいらしい声に目を開くと、ちっぽけなミツバチがのぞきこんでいた。

ずっと上の方に桜の木があり、蜜が滴っていた。ミツバチはそれを運んでくれていたのだ。

隣には、羽根をもがれ、小さく縮こまったハイバネのからだがあった。あちこちに、冷たくなった仲間たちが転がっている。


「ああ、ハイバネ。それにみんな・・ワタシのせいだ。もっときちんと作戦を立てておけば、こんなことにはならなかった」


「君のせいじゃないよ」

砂粒を噛んだワタシの横で、ミツバチが優しくささやいた。


「アタイたちは日本ミツバチ。麓で、人間に飼われているミツバチと違って、君たちとの戦い方を知っている。君たちは、アタイらが取り囲んで作った熱にやられたの。これまで何度も、スズメバチに襲われたけど、そのたびにそうやって戦ってきた」


「おなぐさみなんていらない。ワタシはおまえさんたちの敵の大将だ。ひと思いにやっておくれ」

そう言って、ワタシは首を突き出した。

でも、ミツバチは頭を振り、足の股についていたコスモスの花粉を、ワタシの口に入れてきた。


「だめだよ、そんなこといっては・・。戦いは、もう終わったんだ。だから、お互いに命は大切にしなくては」


「格好をつけて!」

ワタシはろくな言葉もかえさなかったが、少し離れたところから聞こえる騒がしい足音に目を向けて、息を飲んだ。


仲間たちのからだの向こうに、山ほどのミツバチのからだがあった。

こちらがやられたのは数十匹。それに比べて、ミツバチは、百匹どころではなかったのだ。

騒がしい足音は、軽いミツバチのからだを運んでいくアリの大群のものだった。


「アタイたちはそれぞれに戦いを生きのびた。死んでしまった仲間のためにも、それぞれの命は大切にしなければならないんだ」

ミツバチが言った。ほろ苦い涙が、ワタシの口にこぼれてきて、胸の奥でじーんと広がった。



・・ ・・ ・・


蜜と花粉のおかげで、ワタシのからだはしゃんとしてきた。

羽根の先が少し欠けているが、飛ぶのには問題はない。起き上がりながら、目の前のミツバチに、頭を下げた。


「ワタシは、キヒカリという。黄色の光にちなんで名づけられた。おまえさんは?」

世話になったと思ったら、まず自分から丁寧に名を名乗る。そして 相手の名を聞いて、礼を言うのだ。


「アタイはトオハチ、巣のなかで十番目に生まれたの」


「ありがとう、トオハチ」

言いながら、空中に軽く飛び上がった。


「うわー大きい。やっぱり、君は強そう。迫力満点だね」

ワタシのからだの半切れほどもないトオハチは、目を見張って息をもらした。


「まあね。だけど大きさは、強さには関係ない。仲間を大切に思う気持ちがあって、それでもって、頭を使わなければならない。それを、おまえさんたちが教えてくれた」

トオハチは嬉しそうに、大きな尻をプルンと振った。


ああ、なんておいしそう・・ワタシの牙が、カチカチと鳴った。


「いけない!こんな近くで、おまえさんを見ていると、世話になったことを忘れてしまう」

ぐいと上を向き、あふれそうになった涎を飲み込んだ。


「それはよかった。元気になったということだもの。キヒカリさんとアタイは敵同士。こんなふうに話ができただけでも奇跡なんだね」

トオハチは笑いながら遠ざかり、くるくると回りはじめた。


「それはなに、お別れの挨拶?」

「うん、似たようなもの。お別れの前に、おいしい樹液が染み出ている木があるところを教えようと思って。よく見て、アタイの回った二つ丸の 重なった線の先にあるからね」


ワタシは、目をしぱしぱさせながら、じっと見て、木の生えている場所を覚えた。


「けど、トオハチ。おまえさんは、どうしてそんなに親切なんだい」

「アタイ、また君に会いたいような気がするの。その時に、君のお腹が減っていたら食べられてしまう。そうならないようにね」


なんてやつ・・


ワタシらは、トオハチにこれっぽっちもいいことをしていない。それなのに、また会いたいなんて・・涙があふれてきてしまった。


「ワ、ワタシ、もう、帰らなければ・・。若い仲間が、巣を守ってくれているけど、少し、頼りなくてな」

背を向けたままいい、高く飛び上がった。


「さようなら、キヒカリさん」


「さようなら、トオハチよ、仲間たちよ」


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