丁寧な先生

「まずはここに手を置いてください、こっちの手で……そうです」

 白噬明ハククウメイが丁寧に一つ一つ教えていゆく。

「次はここまで弾いてみましょうか。もう一度ゆっくり弾きますから、見ててくださいね」

 彼は朱玲叡シュレイエイの隣へ身体を詰めると、ゆっくりと短めの旋律を弾いた。弾き終わると、そっと離れて、ぎこちなく弾き始める朱玲叡シュレイエイを見守った。

「あ、そこの音はそれじゃないです。それはもう一個下の弦がそうです」

「兄さん厳しいね……えーと」

  一音ずつゆっくり覚えていき、その部分をなんとか引き終えた。褒める白噬明ハククウメイ、喜ぶ朱玲叡シュレイエイ。穏やかな時間が二人の間をすっと通る。次の旋律を教えようとした時、こちらへ向かう一つの足音が聞こえた。二人が振り返ると、おぼんに何かを乗せた瑶晩ヨウハンが歩いて来ていた。

「あれ、ヨウ公子。どうしたんだ?」

 彼が尋ねると瑶晩ヨウハンは卓におぼんを置いて答えた。

朝餉あさげ油条ヨウティアオと豆乳です。師兄しけいに頼まれて取りに行っていました。シュ公子の分もありますよ」

「本当か⁈ ありがとな」

 油条ヨウティアオは小麦粉の生地を油でカラッと狐色になるまで揚げた物で朝食の定番だ。縦長でふわふわに膨らんだ油条は一口かじると香ばしさと共にサクッという音が聞こえる。

 朱玲叡シュレイエイは二人にお礼を言うと朝餉をもぐもぐと食べ始めた。

「この油条、美味いな!」

「そうですね。シュさんはそのまま食べるんですか?」

「うん……なになに? 美味しい食べ方があるのか?」

「美味しいかはわからないですけど」

  瑶晩ヨウハンから豆乳の入った器と匙を受け取ると白噬明は手で油条ヨウティアオを一口で食べられる大きさにちぎり、その中に入れた。

「私はこうして食べるのが好きなんですよ」

 そう言うと、白噬明ハククウメイは長い髪を耳にそっとかけ、匙で豆乳と油条を口に運んだ。

「へぇー……」

 彼にしては、歯切れの悪い様な曖昧な返事が返ってきた。

「……どうかしましたか?」

「あ、いや。何もないよ」

 そう言っていつもの様に彼は笑った。しかし。

(何か今、壁を作られた……?)

 そうは感じたものの朝餉を摂るとまた練習へ戻りそんなことを考えるよりも朱玲叡シュレイエイを見守った。

「ひ、弾けた! 一番だけだけど……」

「いえ、そんな。弾けただけでも凄いですよ」

「ははっ、そうか?」

 照れくさそうに視線を逸らすと朱玲叡シュレイエイは口をすぼめた。澄んだ鐘の音が木漏れ日の揺れとともにやって来る。

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