第6話 大学日本拳法部時代の暗い思い出
職業に貴賎はない。これは当然です。
大学時代、半年間の休学中、土方として飯場で生活したり、英会話の教材のセールスマンとして新潟の山村を歩き回ったり、様々な職業を経験した私には、どんな仕事でも貴重です。
しかし、私の大学時代とは、ヤキを入れ(私的制裁を加える)たり、無謀な練習で新入生に怪我をさせたりしていた先輩や、たまにフラッとやってきては、自分の仕事上に抱えたフラストレーションのはけ口のようにして新入生をしごいていたOB、そんなむちゃくちゃな日本拳法部を放ったらかしにしていた監督といった世界でした。
勢い、私たちは「大した会社(仕事をしているわけ)でもないくせに、OB面(づら)して威張りくさりやがって」と、彼らの人間性の低さを、彼らの会社や職業に投影させていました。
「うちの大学(の日本拳法部)を卒業しても、彼らのようにろくな会社に入れないだろう」という劣等感ばかりが、特に私たちの世代には育っていったのです。
私もそんな気持ちがあったので、オレは有名な会社へ入り、後輩を呼び寄せる、というのが(実現性の薄い)夢でもありました。
しかし、き〇がいのように働き6年目に会社に認められ、その私を慕って後輩(同じ学部学科)の女性が入社してきてくれたわけですから、その時点で「点が2つとなり線となった」ことで、私の「会社で大学の存在感を高める」という目標はなんとか達成できた、といえるのです。
残念ながらこの会社は、私が米国へ行って3年目に、かの社長が退職されてから、かつての勢いをなくしてしまいました。私自身も日本へ帰国して、すっかり変わってしまった会社に幻滅し、帰国1年後に退職しました。
実際、その数年後、倒産ではありませんが、別の会社と合併して、○○ハイテックという名前はなくなってしまいました。
(その女性は非常に有能な方でしたので、もっと条件のいい外資系の会社に就職できたようです。)
なんにせよ、無学な私が、当時、世界をリードする日本の半導体・コンピューターメーカー大手10社や沢山のハイテク会社の優秀なエンジニアやビジネスマンを相手に入社後の5年間、き○がいになって(なりふり構わずに)戦うことができたのは、大学時代に鍛えた体力と気力、そして、卒業式の日の慚愧の念というエネルギーのおかげでした。
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