第3話 愛でも希望でもなく、慚愧の念が原動力
そして、この時の2つの「私にとって大学生活唯一つの嫌な思い出」こそが、卒業後入社した会社で、私を「き○がい染みた、猛烈ビジネスマン」にしてくれたのです。
太平洋戦争で、死地から帰還した人から聞いた話ですが「これから死にに行く、明日は特攻で死ぬという者たちは、会ったこともなければ、恩を受けたわけでもない天皇の為に死ぬ覚悟を決めたわけではなかった。」そうです。
皆「妻子やお母さん」のことを思い、愛する人たちの為に「鬼畜米英」の奴らを殺してやる、という怒り・憎しみといった、いわばネガティブな感情の塊になって死地へ飛び込んでいこうとしていたということでした。怒りや憎しみ以外、人を殺すという狂気を行おうとする自分の背中を押すものはなかった、のだと。
天皇という肩書きや権威ではなく、愛情という優しい心でもない。
戦争における殺人という狂気に人の心を追い込むのは、強い怒りや憎しみといったネガティブな感情である、と言ってもいいかもしれません。
そして、そういう強い感情はまた、逆に言えば、人間の心を超集中状態にし、普通では出来ないような(善い)ことを成し遂げさせることもできる。それが私の場合でした。
一般的な善行とは言えませんが、とても普通の人間には耐えられないような激務をこなすことができたのは、「オレはなんて罪深い人間なんだ」という、クリスマスと卒業式の「強烈な慚愧の念」のおかげでした。
この「人に恨まれている、憎まれている。 → 俺は疎外されている、除け者にされている。」という、罪悪感やネガティブな感情(に由来する発憤)こそ、私を良い意味でのクレージーにさせてくれたのです。
大学日本拳法時代、初段が取れなくて惨めな思いをしていた時は、自分一人の残念・慚愧という心でしたが、「女の子たちの好意を無にした」「後輩たちを裏切った」という感情は、他人に心の被害を与えたということですから、意識の底ではかなり苦痛を感じ、心の重荷となっていたのでしょう。
(もし、クリスマスの日に女の子たちと仲良くし、卒業式の日に後輩たちに囲まれ「ご苦労様でした」と甘い言葉と優しい応対にどっぷり浸っていたら、私の精神は軟(やわ)になって、社会人として使いものにならなくなっていたでしょう。)
これから卒業されようとしている皆さんは、私ほど極端でネガティブな心理的モチベーションを持つ必要はないでしょうが、優勝してよかったね、二段をとれてよかったね、とチヤホヤされたまま社会人に突入する危険というものは、心の片隅に覚えておいていいと、私は思います。
楽しい思い出とは、死ぬときにあればいいのですから。
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