第2話 昭和54年(1979年)12月クリスマス・イブ
② 私は気まぐれではなくポリシー(信念)を持ち部室へ行かなかったのですが、その信念は前年の12月24日、ゼミの(お別れ)コンパの時、既に発揮されていたのです。
このコンパには、教授と私、そして女性7人全員が参加しました。
この教授、某有名大学の有名教授で、わが校に講師として来られていたのですが、4月の初めには教室に入りきらないくらいの学生が押し寄せたらしいのです。しかし、この先生、非常に厳格で且つ露骨に感情を口にする人であるため、実際にこの先生のゼミを履修することができたのは、女性7人と男子学生一人きりでした。
5月の終わりに米国から帰り、初めてこのゼミに出向いた私は、当然のことながら、烈火の如く怒る教授に散々罵倒され、出入り禁止となってしまいました。
しかし、この授業(ゼミ)は必修科目であり、これを落とすと卒業できない私は「授業料は払っているのだから、聴講生としてでも、このゼミに参加させて下さい」なんて「体育会系バカ」にしては上出来な発言で食い下がりました。
まあ、その時はOBに詫びを入れるためにツルっ禿にし、ガラの悪い学ランを着ていた、ということもあったのか、先生もそれ以上何も仰られませんでした。
聴講身分ですから、しばらくは無視され続けましたが、7月の最終授業の時になって、漸く参加を許されたのです。
元々いた一人の男性は、結局、9月の時点でついて行けず(3年生だったので、来年違う教授のゼミを受けると言って)脱落してしまいました。
こういうアクの強い先生故、クリスマス・イブに行われた飲み会であるにもかかわらず、全く盛り上がらず、30分くらいで切り上げることに。しかも、「二次会へ行こう」という教授の提案にも、7人の女性全員が「用事がある」と断る始末。
ところが、新宿駅へ向かう教授の後ろ姿が人混みの中に消えると、7人の女性全員が私に寄り添うようにして取り囲み「本当に大変でしたね。ご苦労様。」とか「5月にあなたが初めて教室に来て、教授に罵られるのを見て、私は授業の後で泣いてしまった。」なんて、同情の嵐。
かの教授は、授業も厳しいが女性を見る目も厳格で、この7人の女性は、全員超が3つ付く位の美女ばかり。ほのかな石けん(シャンプー)の香りに包まれて、私は卒倒寸前。
すると、一人が「これからみんなで二次会しましょうよ。」と嬉しそうに叫ぶと、全員賛同(!)。
キャバレーで(カバみたいな)おねえちゃんに「愛してるぅー」とか「どこでも連れてってぇー」なんて抱きつかれた(要は、商売で言い寄られた)ことはあれども、こんなハッピーな体験は人生65年間で、この時ただ一度きりでした。
ところが、ここで私は「じゃ、僕はこれで。」とだけ言い残すと、スタスタと駅へ向かって歩いていきました。
後ろを振り返りませんでしたが、彼女たちの呆れた顔が脳裏に浮かびました。
「なによ、あの人ったら、女性に興味の無い「○モ」よ」なんて、言われていたかもしれません。
俗に「後ろ髪を引かれる思い」とは、まさにこのことです。
心中私は「あーあ、俺はなんてバカなんだ」という、強く深い慚愧の念に堪えながら「4月から会社に行くんだ」というフレーズを念仏のように繰り返していました。一世一代のチャンスを自分で潰したという罪悪感を、会社で頑張るためという決心というか・燃えるような意気込みで塗りつぶしていたのです。
(ところが、ここが勉強嫌いの私の悲しさ。入社までの4ヶ月間、ついに一つの英単語を覚えることもせず、何の勉強もしませんでした。ただただ、働くぞーという気力を充実させ、頑張るぞーというガッツを蓄積していただけ、ということです。これが本当の体育会バカですね。)
もちろん、根っからのノー天気というか楽天家である私故、クリスマスの幸運を逃したことも、卒業式の日の暗い気持ちも、共にそれぞれ翌日にはすっかり消えていましたが、「思い出」としては、あれから40年以上経った今でもはっきりと覚えています。
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