第73話 オオカミ少女と猫見習い




 あたり一面暗いのに眩しい。


「ここは全部フラルでできているの?」

(そうだよ、全ての物質はフラル回路……目には見えない別次元とつながっている。だから昔の人はわざわざ手術なんか受けなくても、いつだってフラルが使えたんだ。ちょっと前までの君みたいにね)


 次々に花が咲いては、一瞬で消えていく中を、スグルと名乗る少年とリリカは歩いていく。


(君の胸にもカラクタはあるけど……君は他の人類より毒されていない。お母さんのお腹の中で形成される間に、二つの世界を行き来したからだ。

 リリカ、君はレトリアに対抗できる特別な存在なんだ……君の獣の耳は大昔の病と恐れられただろう? 奴らは昔からそうやって、自分たちの手段が通じない特別な人間を排除するように仕向けてきたんだ)

「アタシが? レトリアに勝つの?」


 前を歩くスグルは、レトリアのことを酷く憎んでいるようだった。

 それはリリカがいつもレトリアに対して抱いている、フラウシュトラス家=かつてのアタシの人形の分際で偉そう、せっかく遊びに誘ってあげても冷たく断って態度が悪い、もうすぐアタシの方がお姉さんになるのにいつまでも上から目線でムカつく、といった苛立ちとはまた別種のどこか底知れない雰囲気を帯びていた。


(そうだよ、君が皆の中心になって、皆を束ねあげるリーダーになって新たな時代を創るんだ。僕は一番近いところでそれを見たくて、こうして君を迎えに来たのさ)


 アタシが! レトリアじゃなくて、アタシが皆のリーダー!


 その言葉はリリカの無垢な虚栄心をどうしようもなくくすぐる。

 それと同時に安堵をもたらした。


 なあんだ、レトリアの持つ特別な力って大したものじゃないのね。それともアタシが凄すぎるだけ?

 やっぱりレトリアは神なんかじゃなくてただの人形、ううん、人間のアタシでも代われるってことはずっと居眠りしてただけのただの女の子なのかも。


 待って! レトリアみたいになるってことは、アタシもお人形になっちゃうってこと?

 一生、子供のままで、恋愛もできない、愛する人が歳をとっていくのを見てるだけなんてそんなの絶対イヤ!

 条件は事前に確認しておかなきゃ、確かこういうのクーリングオフ?って言うのよね。


「ねえ。アタシも、レトリアみたいにお人形になっちゃうの? もう人間には戻れないの?」

(……君が言うレトリアと人間の違いって、なに?)

「えっと……レトリアはアタシが生まれたときからずっと子供のままで成長しないし、それからケガしてもすぐに再生するでしょ。永遠に若いままって言えばいいことかもしれないけど、アタシどうせならもう少しオトナになってからがいいの。それに、皆が歳を取って死んでいく中で一人きり置いてかれるなんてのも絶対イヤ!」


 リリカの訴えをスグルは一笑に付した。


(アハハ……かわいい悩み事だね。大丈夫だよ、君の役目はそんな時間や年齢や死別の苦しみから皆を解放してあげることなんだから)

「アタシたちが今から行くところって天の国? お母様は天の国にいるんでしょ」

(まあ、天の国へ続く道みたいな場所かな。簡単に言うと、レトリアが邪魔して塞いでしまってるから、君にはその障壁を取り除くお手伝いをしてほしいんだ)


 レトリア……空を飛び回って武器を振り回してるだけの毎日送ってるから、やっぱり性格がすさんだのかしら。

 アタシもあの“鎧”っていうのに乗るのかな?

 アタシの“鎧”は戦闘以外の機能もいっぱいつけて、もっとかわいいデザインにして欲しいなぁ。絶対レトリアよりも良いのにするんだから。

 それでレトリアも誰も教えてくれなかった真実、お母様やお父様がいる天の国を探しに行くんだから!


 あれ、変ね……今まさにお母様に会いに行く最中なのに、どうしてそんな夢を?

 ……何だろうこの道、見えない何かが粘りついて、水たまりみたいになってる。

 こんな道が天の国へ続く道なの……?


(ほら着いた。この向こうで君のお母さんが待っているよ、手を伸ばしてみな)


 そこは相変わらず薄暗闇にところどころ花が咲いているだけの空間だが、リリカが言われた通りに手をかざすと、花の輪郭が強固になり、枝や蔦を一斉に伸ばし始めた。


 ある枝は寄り集まって幹となり白亜の柱に変わり、ある蕾は溶け合って花束となり東屋の円い屋根に成長する。

 そこはリリカにとってあまりにも馴染み深いフラウシュトラス本邸の庭そっくりの光景だった。

 しかし整えられた花垣に囲まれた大理石の通路の向こう、草原と青空はところどころ四角い黒や灰色のノイズが混じり、その光景が虚構であることをリリカに突きつける。


「どうしてこんなところにお家が……? アタシ、夢でも見てるの?」

(膨大なフラルが君の呼吸に反応して、記憶をつかさどる脳内粒子にアクセスして君に記憶の中の光景を見せてるんだ。僕にはほとんど何も見えないから、確かに夢同然だけどね。でも君の記憶に反応してフラルたちが活性化してるのは事実だし、本物の景色もちゃんと混ざっているよ、目を凝らしてみて)


 スグルの話をリリカはほとんど聞いていなかった。

 ノイズと記憶の中の光景がせめぎ合う中で、一人の女性が唇に片手を添えて誰かを大声で呼ぶ仕草をしている。

 リリカと同じ桃色の髪は腰のあたりで緩やかなウェーブを描き、全体の線は細いが肉付きのいい、芯の強いを通り越して時に頑固な性格を表すような風貌。

 顔は見えなくても、リリカは走り出していた。


「……!」


 記憶の庭がノイズに剥がされても、女性のサンダルはノイズ混じりに崩れたりしない。草原も暗闇も踏みしめて近づいてくる。

 記憶は虚構だが、女性は紛れもなく実在している。


「お母様!」

(リリカ! リリカなの!?)


 リリカの声に向こうも気付いたらしい。

 いつもリリカを抱きとめてくれた大きく柔らかい手を振って、リリカに駆け寄る。

 抱きつくと、ぬくもりも香りも紛れもなく母マリヒのものだった。リリカの両目から熱い涙がこぼれる。


「お母様……うぅ、どうして、どうしてアタシとお父様を置いていってしまったの……。大事なこと、何にも言わないで……」

(ごめんねリリカ、先に行ってしまって……。でも、もう置いて行ったりしないわ……二度と閉じ込められないように、今お母さんが出してあげるから)

「だしてあげる?」


 マリヒの言葉の意味が分からず、リリカが顔を上げる。

 マリヒの生前そのままの明るい笑顔の後ろで、触手のようなアーム状の機械が絡まりそうなほど幾重にも蠢いているのが目に入った。

 素早く機械が伸びて患者服のままのリリカの裾をまくり上げると、ふんわりとした二の腕に張り付く。


「ひいっ!」


 そこだけ冷たくて、リリカは心臓が止まりそうなほど震え上がった。

 きつく抱きしめるマリヒのワンピースから伸びる白かった腕が、どんどん真っ黒になっていく。


 これが天の国の住人の姿?

 皮膚が溶けて中の肉が腐り、黒い組織と冷たい植物もどきの機械が身体中を耐えず蝕み走り回っているのが?


「お母様、どうしちゃったの、やめて!! あなた、お母様に何をしたの!?」

(僕は何もしてないよ、人間をハダプの下に閉じ込めてラトーにならないと出られないようにしたのはレトリアなんだから)


「レトリアが!? どうしてそんなことを!?」

(さあ? 悪い奴らに人間の苦痛が餌になるように改造されたんじゃない? とにかく君もお母さんのこんな姿見たくないだろ? お母さんを治したいなら神のご到着前に、レトリアの代わりを作らなきゃいけない。 君が聖核しょうかくになってレトリアから権能けんのうを剥奪すれば、お母さんも皆もカラクタから解放されて幸せになるんだからさ。怖いのはほんの一瞬だよ)


 既にマリヒの顔は半分以上爛れて、骨のような白い破片が赤黒い液体状の中を流れている。

 そこに人間の頃の笑顔が張りついては、ノイズでかき消されて肉が剥き出しになるのを繰り返していく。


「本当に、お母様なの……? 嘘だと言って……死んだ後も、こんな苦しみを受け続けなきゃならないなんて……お願い、お母様のニセモノだって言って……」 


 マリヒの腕を振りほどこうとリリカがもがくと、さっきまでの力は消え失せて思いの外あっさりとちぎれた。

 半分マリヒ、半分ラトーの赤と黒混じりの物質がリリカの顔中に飛び散る。


「イヤッ、イヤあああああ!!」


(君はこれから生きた状態でカラクタを剥がれて、代わりに聖核を埋め込まれるんだ。そうすれば“巨人”も……レトリアをも超える不死身の人形になれる。皆が君を神の子と讃えるんだ)

「イヤよ、アタシお人形なんかになりたくない! どうして、どうしてカラクタもラトーも、レトリアのせいだって言うの……」


 ラトーと機械に巻きつかれる苦しみで、だんだんとリリカの声はか細くなっていく。

 走馬灯のように思い出す。

 マリヒの墓の前で一人泣いていた雨の日、無言で後ろから傘をさしてきたレトリアの顔を。

 いつもと同じ冷たい無表情なのに、他のどんな言葉よりも慰められた日を。


 レトリア、あなたは人の悲痛が分かるの?

 人の心を、どこまで知っているの……。

 アタシもレトリアみたいになったら、分かるのかな……。



「ラ~!!」


 薄れゆくリリカの意識に、猫のような甲高い鳴き声が飛び込んだ。


 マリヒだったラトーに、もっと黒い塊が覆いかぶさっている。

 黒い塊が暴れるほど、青空も草原も機械もラトーも、フラルの花のようにパッと点滅して消え失せていく。

 少年が立っていた場所も、もはや誰もおらず黒い半液体状の物質がぬめぬめと光るだけだった。


「ラッ!」


 全てがまた元の薄暗い花畑に戻った頃、黒い塊がふわりと着地し、大きく伸びをする。

 耳が四つで手足の無い、蛞蝓なめくじや貝類のような腹全体で這って動く奇妙な生き物が、つぶらな赤い瞳でリリカを見上げた。



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