第72話 相対




 それは逆光を浴びて曇天を照らす赤黒い十字架だった。

 十字架の中央、“鎧”の空洞に浮かぶ黒衣の少女が手をかざすと、十字架の端からさらに赤い棘が降り注いだ。


 何も考えない内からシールドが新しく張り直されていく。それを棘が突き破る。枯れ枝が空いた隙間を埋める。

 瞬きする間に忙しないいたちごっこが続いた。


「オーロラと反対方向へ行け! 今の“巨人”なら振り切れる!」


 枯れ枝の男が言い終わる前にバロルク0ノイが向きを変え、棘の軌道が少ない下方向へ飛ぶ。


「レトリア、今のお前の敵はこんな未完成のガラクタではない筈だ」

「ガラクタだからだ。ガラクタの内に、ここで鋏を殺す!」


 棘が盾の形に集まり、一斉に枯れ枝にのしかかる。

 その衝撃波で枯れ枝が一気に何本も折れた。男の腕はもはや枯れ枝ですらなく痩せこけた切り株のようだった。


「聞け、レトリア! 俺は情報を持ってきた! あのオーロラ……回帰の光の裏はフラル回路と繋がっている! ここで“巨人”ごとオーロラをかき消せば、それこそ奴らの思うツボだ!」

「……!」


 依然として棘はシールドをえぐ穿うがたんとするが、その速度は少し緩やかになった。


「確かか?」

「ああ、“種”を見ろ。先端が開いてきている。奴らはもうラプセルの地がどうなってもいいんだ。今オーロラが消えても、またすぐに蘇るだろう……」

「……」


 レトリアがハダプに張り付いた“種”の塊を見上げる。

 0が拡大して映すその映像に、俺も息を呑んだ。


 ひび割れた中から、人の顔が突き出ている。

 ラプセル地中深くで俺とラムノの前に現れ、マグメル内でも翻弄してきたライダースーツの女の顔だった。


 不敵な笑みを浮かべていた頃と違って、目を閉じて眠っているように見える顔は思っていたよりも若く見えた。

 女一人ではない。さっきまでラトーが寄り集まってできていた筈の黒い塊のあちこちから、人の手や足に見えるものが複数突き出ていた。


「下っ端たちは純粋な救済の善意で動いているだろう、だが指導者は違う。上に立つ者は、もうお前が知っている天使ではない。繋がったんだ、神と……」

「……そこまで知っていながら、何故最も神と接続している二六の鋏をかばう?」

「こいつは使い捨てにされる天使とは違う。とっくの昔に神に捨てられたこの地とも違う。まだ自由なんだ、選択の余地がある。ラプセルを救うか壊すかは、神ではなくこいつ自身が決めることだ」

「たとえ異世界から来た異端者でも、その血肉は既に奴の道具だ。ちっぽけな意志が残ったところで、神が決めた道から外れることはできない」


 “鎧”が大きく広がって、バロルク0を包囲する。シールドごと握りつぶすと言わんばかりに。


「ならばレトリア、お前が預かっている“巨人”の左腕をの封鎖に使え。母液へたどり着く道は一つだけだ。逃げ場はない、それほどの深淵には神も手出しできない。こいつが“巨人”を完成させに来たとき、改めて真意を聞いて判断すればいい。殺すのはそのときでも間に合う」

「……私に二六の鋏を見逃せと?」


 レトリアが0を直視する。人間そっくりすぎて、逆に人間らしさを感じない人形の赤い眼に、俺は生死の危険と関係ない恐怖を感じた。


「今ここで胴体を潰せば左腕も消滅し、次元崩壊を防ぐ手立ては他になくなる……次元崩壊が母液まで達すれば、お前の計画も台無しだ。バカとハサミは使いようだと、古い言葉にもあるだろう」


 鋭く尖っていた少女の眼差しが、虚空を見るように静まりかえった。

 レトリアは考え込み、するすると伸ばした“鎧”を元に戻していく。


「……殺す順番が変わった。安心しろ、次は残さず仕留める」


 それだけ言い残して、来たとき以上のスピードでレトリアはオーロラの方角へ飛び去っていった。


「よし、もう話しかけていいぞ。……フラルを使い過ぎた、俺が案内できるのはここまでだ」

「俺たち、助かったのか?」

「今だけはな、いずれは敵対する。互いの持つ真実が食い違う限り……」


 枯れ枝の男が薄れていく。分厚い甲冑が幽霊のようにみるみる存在感を失い、オーロラが透けて見える。

 消えかかった声で、枯れ枝は言い残す。


「本物のレトリアを見つけろ。この戦争を、世界の崩壊を止めるにはそれしかな……」


 男の声は最後まで聞こえなかった。


 ガルダが発動したのだ。

 オーロラの赤と緑が、虹色の光に溶かされて、混ざり合っていく。

 次元を超えた無尽蔵の光が、目を閉じて敬虔けいけんに祈るような女の顔ごと、“種”を粉々に砕いた。


 砕ける寸前、首の皮がちぎれて死角になっていた横顔のもう半分が露わになった。

 真っ黒で半透明の、ラトーと同じ表皮でぶよぶよに覆われていた。





 ○ ○ ○





 リリカはさっきまで白い花畑を歩いていた。

 それは事実だ。

 なのに白い花畑はみるみる萎んでいき、振り返っても見分けのつかない暗闇が延々と続くだけ。


「皆がアタシを指さしてひそひそ話す……静かな場所に来たかったのは確かだけど、ここはどこなの?」


 獣の耳が生えたからって、指をさされるいわれはない。迷子になるほど動き回った覚えもない。

 この変異に人の悪意は関係ない。しかし、この変異がリリカを皆とは一人違う場所に導いてしまった。


 リリカの直感が告げていた。

 この暗闇は、アタシが知らないアタシ自身と何か関係している。

 だから怖くなんかない。何もない寂しい場所なのに、どこか懐かしさすら感じる。でも、怖くないことが余計に怖い。


(開かれた扉の向こう、最果ては有りて……翼なくとも天の向こう、橋を渡りて……)


 リリカが神経を研ぎ澄ませてあたりに注意を払っていると、不意に擦れた歌声が聞こえてきた。


「救助?……いいえ、違うわ。何を歌っているの……?」

(この歌が届いて、心に……回路に懐かしいと響いたのなら、君は僕たちの立派な仲間だよ)

「誰? 誰が話しかけてるの?」


 いつのまにかリリカの前に二、三歳ほど年上の黒髪の少年がいた。

 黒髪の上に、同じく黒いふさふさとした毛並みの獣の耳がぴんと立っている。

 少年は口を開かず、リリカに声変わりしたての声を送ってきた。


(可哀想に。はぐれて独りぼっちなんだね)

「あなた……誰? どうしてアタシと同じ獣の耳が生えてるの?」

(僕は君の本当の仲間だよ。この仮初めのラプセルから、君を皆の元に連れて帰りに来たんだ。君のお母さんも待っているよ)


 それを聞いてリリカの耳が両方ともぴくぴくと跳ねた。


「あなた、お母様を知ってるの!? あなたは死んだ人なの? アタシも死んじゃうの?」

(生死なんてレトリアとその仲間が作ったまやかしさ。皆が神様の元にいけないように脅して邪魔してるんだ。君のお母さんがカラクタが遠因で事故に遭ったのも、元をたどればレトリアのせいなんだよ)


 リリカの胸がざわつく。


「あなた、いったい何を知ってるっていうの? 名前は? 素性すじょうは? 怪しい人には、アタシついていかないんだから!」


 ぷい、とそっぽを向くリリカに、少年はやれやれといった風に両手を上向けて薄く笑う。


(僕はスグル、スグル・ニングラット。そんなに疑うなら先にお母さんに会わせてあげよう。ここでは生死なんてくだらない境目はないから平気だよ。ついておいで)



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