第71話 ガルダ




 ダンテ・フラウシュトラスは逃げていた。




 上へ、早く上へ。




 しかし、螺旋階段に到着した途端、自分は花に押し潰されて死ぬだろう。


 機械の上昇ならともかく、弱りきった人間の速度では到底逃げきれない。






 スタンツの頭が破裂し、自由になったダンテにとって真っ先に確認すべきはリリカの安否だった。


 通信の最後にはレトリアがそばについていたが、レトリアが守るべきはリリカだけではない。リリカ一人のそばにいつまでもいてやれない。


 命に別状はなくても、避難する途中で転んでケガをしたり、この寒さで凍えて風邪をひいているかもしれない。


 無事他の者と避難できても、あの獣の耳を白い目で見られているリリカを想像するとダンテは息が詰まる思いがした。




 早く聖典の底から、地上に戻らなくては。




 しかし、スタンツから解放されてもダンテは決して自由の身とは言い難かった。


 スタンツの尋問と暴力を受け続けた身体は弱りきっており、床を動かすための装置までの僅かな距離もほとんど這っての移動だった。


 やっとの思いで地上に上昇しようとしたそのとき、聖典の底の輝きに違和感を覚えてダンテは下を覗き込んだ。





「何だ、あれは……花……?」




 それは、ラトーの形をした花束だった。大量の花が集まって不定形にぐにゃぐにゃと蠢きつつ、上へ上へとせり上がっていく。


 もう大概のことには驚かないつもりでいたダンテもこれには腰を抜かす他なかった。




 スタンツが言っていた“天使”の存在、スタンツのカラクタを内蔵していた怪物、リリカに生えた獣の耳、そして聖典の底からわき上がるアメーバ状の花畑──


 この世界の“確からしさ”が損なわれつつある。




 驚きはすぐに興奮に変わった。




 これらはどれもマリヒと自分の仮説、『別世界存在説』を裏付けるものだ。


 スタンツを操っていた敵の狙いの一つが聖典の掌握なら、聖典が別世界と繋がっている、もしくは別世界の影響を受けて変成している可能性は十分にある。




 この世界の真実を解くためにも、リリカの病を治すためにも、こんなところで迫りくる花の渦に潰される訳にはいかない。




 下を見てダンテはぞっとした。


 聖典の言葉が記された石板と花が融合し、肋骨のような石の枝がわさわさと伸びていた。


 追いつかれたら、圧死よりも酷いことになるかもしれない。




 やっとの思いで聖典への入り口、宝物庫の螺旋階段にまで着いた。


 見ると、螺旋階段へ続く短い距離の壁に穴が開いて、どこに繋がっているか全く不明な光が漏れていた。




 それは十年前のあの日、祠の向こうに広がっていた極彩色の光の空間そっくりだった。





 ここで花に潰されて死ぬか、どこに続くか分からない光に突っ込むか。




 ダンテは思いきって床を蹴り、光の渦に飛び込んだ。







 〇 〇 〇


「毛布、こちら足りていません! フラルによる暖房はケガ人や病人最優先で!」

「もうすぐ救援が来ます! 今しばらく辛抱を!」

 意識を取り戻したラムノはまず現状を確認し、ケガ人や病人の介抱指示に当たった。


 踏み固める細かく紡がれた白い網状の物質は石英と宝石と氷山を無理やり一つにしたような、乱暴で強烈でありながら、不思議と優美で優しい光を放ち続けている。


 かなりの高所に不時着したらしい。ハダプの中にいた頃とはうって変わって剥き出しの冷風と空気の薄さが襲いかかるが、フラルを出し合えば短時間はしのげる。




『プフシュリテ大佐、聞こえますか?』

「ユーク様!」


『何が起きたかはこちらもまだ把握しきれていませんが……最悪の状況は脱したようです。そちらの場所も確認できました。依然いぜんとして“種”は残っていますが、そこからなら的確にガルダで撃ち落とせます。“種”の消去と残党処理が済み次第、ティルノグが救助に向かいます。皆さんにも、そうお伝えください』





 ユークからの通信で、ラムノは自分たちが8,000mの山脈級に不時着したと聞かされた。

 山脈級であって、山脈ではない。



 突如8,000mもの高さで降り積もった謎の物質。どのような形かは判然としないが、マツバがやり遂げたということだけは理解できた。



 ユークの指示通りにガルダのユエを頭上の“種”に向ける。

 銃身を固定するための砲台を数人がかりで作成する。フラルの切り株が出来上がり、蔦が幾重にもユエの銃床に絡みついた。


 ガルダの設置と警備、避難民への呼びかけと看護、ソフィアがまとめあげてくれる報告事項に指示を出しながらも



(マツバは……?)


 何故だかユークの「残党処理」という言葉が酷く耳に焼き付いた。




 〇 〇 〇





「最初に乗った時にアームがお前の腕を掴んだだろう。あれをもう一度引っ張り出して今度は接続したままにするんだ」


 枯れ枝の男に言われた通りに念じると、上からアームが降りてきて俺の腕を掴んだ。


「これで“巨人”の性能は拡張した。今のレトリアの本命はお前ではない、全力を出せば逃げきる余地は十分にある。長時間接続し過ぎると心身に負担がかかる。レトリアから逃げきれたらすぐに解除しろ」

「……随分と詳しいんだな」

「こんな事態に巻き込まれて謎だらけだろうが、俺も大したことは教えてやれない。俺も神の答えを探している途中だ」


「答え?」

「あれを見ろ」


 男が枯れ枝を指す方に目をやると、曇天の中赤や緑に煌めくオーロラのような光の帯が現れていた。


「あれがレトリアの標的、“種”に次ぐ天使の兵器だ。奴らはレトリアから人類やラトーを守りに来た。と、同時にレトリアを狂わせて世界の破滅を加速させようとしている。この二つの目的は矛盾しないのが厄介だ」

「天使たちはラプセルの大地自体がどうなろうがどうでもよくて、生命をまたどこかに連れ去ろうとしてる……ってことか?」


 スクリーンの端に赤い光が映る。


「大体その通りだ。もっと言えば奴らの新世界には“巨人”も、レトリアも、神の名残なごりは全て必要ない」


 赤い光が、横に広がる翼になった。本来胴体にあたる部分は空洞で、そこに一人の少女が浮いている。


「来るぞ! 奴と同じタイミングで跳ね返せ!」


 レトリアの“鎧”が宙を裂くように、大きく前方に向かって腕を振った。

 腕を構成している赤く尖った欠片が飛び出し、血の雨のように枯れ枝の男とバロルク0に降り注ぐ。


 その全てが退屈なほどゆっくり見えた。


 眼球が透明になって、眼球の中の血管が光り輝いて見える。

 何もかもがハイになっている。

 見えているのは視覚情報ではない、もっとクリアで超越した何かだった。


 降り注ぐ欠片の中から、さらに棘が何個も現れてクラスター爆弾のように弾け飛ぶ。


 0から飛び出た見えないシールドが棘をたちまち弾いていく。

 レトリアがまた腕を振り第二波が降り注ぐ。シールドにヒビが入り、何割か間近に迫った。

 男の腕の枯れ枝が大きく伸びて、それらを全て受け止める。

 そこにレトリア本体、黒衣の少女が加速して突っ込んできた。

 右の掌に握った赤い刃を突き立ててシールドを完全に破壊して、深く皺が刻まれた枯れ枝に斬りかかる。


「無理を承知でオーロラと共に斬り裂くつもりか。神の子と呼ばれた人形よ、いったい何がお前をそこまで焦らせる」

「人間でも、ラトーでも、天使でもない……何者だ、貴様」

「俺は──敗北者まけいぬだ」


 レトリアの猛攻を食い止めていた枯れ枝が一本折れ、突風に吹き飛ばされて消えていく。


 オーロラと反対側、雲の隙間から差し込む光線は赤い。遠くに広がる山脈は黄昏に燃えている。

 長い長い一日が、ようやく夕暮れに差しかかっていることに俺は気付いた。



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