第70話 復活




 神造兵器レトリアが狂ったのは、フラル回路への接続をトイヒクメルクに汚染されたのが原因だ。

 本来のレトリアは、自然の花と同じで光と水さえあれば無限に自己複製できる。

 しかしその身体にシュヴァルツクライハンガーの種を埋め込まれ、複製の複製が始まった。

 レトリアの身体はカラクタを無限に複製し続ける。

 複製を要さない不死身の分子がさらに複製し、体内でエネルギーのぶつかり合いが延々と発生する。

 その衝撃の強さがレトリアを狂わせ、反応のダメージを修復するためにさらにカラクタが開花し続ける。

 そこさえ断ち切れば、二度と元に戻らなくなる。



 ティルノグ最深部、剪定室にスグルはゲートを開いて侵入した。

 正八面体の瓶は握りにくく嫌な感触がする。

 早く手放したい一心で、スグルは水槽に毒を垂らした。


 大量のカラクタが開花して飛び散った後の、千切れて崩れて潰れて急な圧力で一部は液体や気体とすら化した花の墓場。

 そこに、液体が数滴落ちて静かに波紋を作っていく。

 これでレトリアは水浸しの花のまま標本になった。

 マグメルの乗員たちが清掃すれば跡形もなく消え去る。

 そして魂は神の降臨と共に天の国へ運ばれ、浄化される。


 生物が天の国へ昇るとき、人の国の心が浄化される前に走馬灯のようにこれまでのことを洗いざらい夢に見るという。

 神が造りし完全なる兵器、血も涙もない壊れたガラクタでも夢を見るのか。


「まあ、もうどうでもいいや」


 後はシフォンと合流して、戦艦マグメルに帰還するだけ。

 水槽に背を向けたスグルの頭に、ぽつりと冷たいものが降りかかった。

 手にとって見てみる。


 水滴……?


 壁に張り付いた向日葵から飛んできたのか。

 ところが水滴がもぞもぞと蛆の如く蠢き始めた。中を漂っていた葉の欠片が産毛と共にぶわっと膨らんで、一枚の葉になり、上から花、下から枝が伸びていく。


「ひいっ……!?」


 スグルは手を振り回して放り投げようとしたが、もはやスグルの手の中に水滴があるのではなく、花の中にスグルがいた。


「「「剪定中なられると思ったか?」」」


 他の花の重さで垂れ下がり、逆さに咲いた向日葵ひまわりが一斉に喋った。

 有り得ない奇形の有り得ない大きさの向日葵、無数に並んだ花が中央の種の部分でずらずらと溶け合って繋がっている。


 帯のように連なって黒々とした種の部分が、風もないのに濃淡を変え、喋る唇のように横に広がった花びらが形を変えて波打つ。

 そのうちの一つの種からレトリアのうっすらと僅かに赤い唇が出ていた。





 〇 〇 〇





 鋏から撃たれた神の光はハダプの向こう側、衛星軌道上の戦艦マグメルからでも大いに観測できた。


 ハダプにその衝撃の大部分は吸収されたが、光は戦艦に据え付けられた預言機をあまねく照らし、7シャハトたち上級天使は次の行動の指針を確認するのだった。


『7様、50クィーガ様の撤退を確認しました。ラダの裏側の新基地にも異常はございません』

「うん、間に合ってよかった。50にはシフォンとスグルの成分が入っている。上級天使でありながら、ゲートを自由に行き来できる……天使と人間の最終融合体、ここで失う訳にはいかない」


『レトリアとエンデエルデの早期破壊は叶いませんでしたが、陽動作戦は成功。預言機によればエンデエルデの完成と同時に、レトリアが自壊するという予測が大幅に強化されました』


「我々とアンヌ・ダーターの分裂も、神の御意志によるものということか。大河も時には二つに別れることがあるという。ならば従おう、いつか悲願の海に出るまで」

『シフォンとスグルたちは惜しいことをしました。迷わず天の国にたどり着ければいいのですが……』


「案ずるな、救済の日は近い。祈ろう、二人のために。二人が進む道のために」





 〇 〇 〇





 向日葵の種の中から唇、紅白の山茶花さざんかに混じって紅白の眼球、瑠璃色の鉤爪のように尖った燕子花かきつばたから耳、チューリップに紛れて手足が生えて、ずるずると葉の上を滑って繋がり合う。


 ぶつ切りになった茎から溢れる白い乳液が、銀髪に変わっていく。

 継ぎはぎの部品を縫い合わせて出来上がっていくレトリアは、絡まり合ったジャングルの幹に出来た瘤のような有り様だった。


「私を殺すためだけに、随分と混ざり物にされたな。毒が無くてもその身体、長くはもつまい」


 瘤のレトリアが再び口を開く。氷でできたフルートのような高音がスグルの鼓膜を支配する。


「なんで……。どうして……」

 首に巻きついた蔦にスグルは抵抗できない。

「なぜ二六の鋏は特別な兵器なのか。この世で唯一、私を殺すことができる兵器だからだ。どうやって殺すか? まず死んだ方の私の死骸から私を殺す毒を作る。ではもう一人の、十年前の私の死骸をどうやって用意する? 答えてみろ」


「それはっ……」

「地の国から這い出てきたラトーに喰い荒らされて? 外れだ。十年前の私も、二六の鋏に首を裂かれて死んだ。だが、今のお前たちは私を殺すにはまだ力が足りていない。切り裂く鋏もない。来るのが早過ぎた。お前たちでは二六の鋏にはなれない」


「う、嘘だ……。お前は、トイヒクメルクに洗脳されている」

「前の二六の鋏もそう言って私を殺した。それからラプセルに堕ちて、今では何もかも忘れて私をレトリア様と馬鹿みたいに信仰している」


「なっ……」

 前の二六の鋏? レトリアがスグルには理解できないことを言う度に、人の身体とそっくりの心臓が激しく波打つ。

「この世は神の名の下に平等だ。人間はラトーに、ラトーは人間に……天使と名前を変えたところで、修羅道からは逃れられない。鋏とはその儀式を進めるための道具に過ぎない。二六の鋏の器は、十年に一度できあがる。私が十年かけて崩壊していくのと並行して。お前たちは……来るのが早すぎた」


「さっきから何を言っている! その醜い姿で待っていろ、これからマグメルが──」

「戦艦マグメルなら私の再生と同時に逃げたぞ。言っただろう、お前は足止めの地雷にされたんだと。こうして無駄話をしている間に、何故ティルノグへの砲撃が再開しない?」


「……僕を動揺させようったって無駄だ! いくら負け惜しみを言おうが、お前の再生は失敗だ!」

 違う、理解できないのではない。理解できない振りをしていた。天使の言うことを疑った瞬間、スグルはスグルの心を剥奪されるから。

「そうだ、お前たち姉弟はそれぞれ務めを立派に果たした。私は無駄な足止めを喰らって、奴らを、神の真の眷属を見逃してしまった。お前たちを天使から守れなかった私の負けだ」

「え……?」



突如、スグルのぽかんと開いた小さな口の中から、ドライフラワーのようにしわくちゃになった枯れた花が溢れ出した。


「ぐほっ、ごほっ……」

「時間切れか、混ざりものの体が崩壊してきたな。全能感、万能感が消え失せて、封じられていた記憶が死期を早めていく……」


 胸に手を当てようとしても、その手がぼろぼろの花と化す。触覚が消えていく。

「何だ、これ……何だよ、これは……」

「お前とシフォンはただの実験ネズミだ。私に毒を仕込んで、ついでにエンデエルデと共に消せれば儲けものといったところか。だが、そこまでは叶わなかった。本番は夏だ。お前たちの上官は、夏のことしか頭にない。今頃、お前に代わる新しい天使が二六の鋏ともてはやされているだろう」


スグルの黄色い瞳から涙が出てくる。天使たちに裏切られたとは到底思えない。思えないが、何故救援が来ないかの説明もできない。

「黙れッ! ぐうっ……これ以上、天使を、神の遣いを侮辱するな!!」

「お前を導いた天使の名前は? 顔は? 声は? 何でもいいから吐き出せ。私はユークほど加減はできない。このままだと苦痛が増すだけだぞ」


「嘘だぁっ、天使がお前に負けるもんか! お前を殺さなきゃ、世界を救わなきゃ、僕たちは、幸せになれな……」 

「強情だな。神も天使も私も、誰もお前たちを守ってやれなかったのに。だが、それももう終いだ。私が……私たちが全て終わらせる」


スグルは目の前が真っ白になるのを感じた。最後に見たのはレトリアの血の池のような瞳。

違う、あれは姉さんがいつもつけていたブレスレット、砂漠の太陽に照らされる度に、眩しく輝くのが好きだった。

 どうして忘れちゃってたんだろう、どうして……。

 そう思い出すと同時に、蔦が絡まった首から意識が離れた。






 水槽から上がり、レトリアは壁に手を置いた。

 剪定や毒や殺しの一つ二つではこうも揺らがない。

 神が、見ている。神の視線を感じる。神が近づいてきている。それだけで吐き気がこみ上げてくる。

 頭をつむじから割りそうな甘い声が、光の差さない剪定室にも響き渡る。


『愛しているわ、レトリア、天使、人間、ラトー、キメラ……生まれてきた全ての命、死んでいった全ての魂。もうすぐ……もうすぐ皆迎えに来ますからね』

「黙れ……! 黙れ……!」


 頭の中で声が鳴り、音が破裂する。全身のカラクタが殺せ殺せと脈打つ。

 スグルの毒が見させた夢が引きずり出される。


『お前が皆、殺したんだ!!』


『父さんを、母さんを、兄さんを返せ! 友達を、妹を、弟を返せ!』


『××××を、返せ!!』


 偽物の記憶、そう唾棄だきしても偽物のユークの声がぐるぐると巡るのは神の声からの逃避か。

 夢の通りに憎み、指を差して罵ってくれればどれほどマシだったか。




 現実は違った。

 十年前、レトリアの話を聞き終えた十歳の少年は鷹揚に頷くと背を向けて歩き出した。

 再び戻って来た時、包帯が巻かれた手にはスコップが握られていた。


「弟のカラクタを埋め終わりました」


 全身がほとんどミイラのように包帯でぐるぐる巻きになっている。隙間から覗いている黒い瞳は潤っているが、泣きはしない。


「生まれたばかりの弟を殺す許可をくださり、僕が手術を受けている間遺体を守ってくださり、ありがとうございます」


「弟が目を開く前に、苦しみを背負ったのが。母の手に抱かれる前に、母を殺されたのが。産声をあげる前に、断末魔をあげたのが。心臓の代わりに、体に抜けない棘を授かったのが」


 感情を、いつも崖から飛ぶ一歩手前でせき止めているような少年だった。


「それが神の思し召しだというのなら」


 それでもはっきり、人形の眼を見つめて十歳のユークはこう誓った。


「僕はこの手で神を、根絶やしにします」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る