第64話 救えない




 遠く離れて見れば、青空の下、雲の上に広がる花畑という美しい光景だが、隙間から人の顔や手足が見えた途端に地獄絵図に成り果てる。

 人々は八割がた倒れてしまって、残りの多くはどうにかこうにか気力で耐えてる風だが歩ける者はもうおらず、片膝立ちで皆堪えていた。

 倒れた人々の顔は既に花に覆われていて表情は見えない。

 最初は苦悶の声が響いたが、段々と恍惚した様子に変わっていく。


「ああ、お前……そこにいたのか……」

「会いたかった、会いたかったよぉ……」


 その不気味な声が起きてる人々の気力をまた削いでいく。

 なんで俺だけ平気なんだ? 俺が異世界から来たことと何か関係があるのか?


「マツバ……受け取れ……」


 喋るのもやっとな面持ちでラムノが声を振り絞り、俺にガルダとかいうショットガンを渡してくる。

 既に頭の右半分は青い花で埋め尽くされ、ショットガンを握る両腕にもびっしり花が回っている。


「頼む、マツバ……もう動けるのはお前しかいない……! 私の代わりに、ガルダを……!」


 握力も保てないのか、俺に渡す前にガルダが雲の上に落ちた。


「何弱気になってんだ大佐! 俺は自分では武器は持たない主義だ、そんなもん渡されても扱えねえよ」

「大佐! どうかここからお逃げください……そこのマツバという方、大佐の、ご命令を……」


 ソフィアの声が途中で途切れた。まだ息はしているようだが、完全に意識を失っている。

 今動けるのは俺一人。ラムノは虫の息だし、頼みの綱のユークからの連絡は未だ来そうにないし、どうしたものか……。



(ラ~~~~~~~!)


「わっ!? ちょっ、ちょっと待ってろ大佐!」


 人の背丈ぐらい隆起している雲の陰に隠れて、俺はダウンジャケットからラーを取り出す。

 同時にラーの餌用に一緒にしまっていたハリドラの束がばさっと雲に落ちた。

 するといきなり俺の爪と指の間から小さな花がぐんぐん咲いてきた。


「うわっ!?」


 慌ててハリドラを拾うと、たちまち花々はしぼんで時間を巻き戻すように見えなくなった。


「……もしかして、俺じゃなくてハリドラのおかげなのか?」

「ラ~!」


 そうだ、と言わんばかりにラーがハリドラにべったりしがみつく。

 食べるとかじゃなく、身につけてるだけで花が咲くのを抑制できるらしい。

 不細工な鈴蘭というか白く汚れたスライムというかぶよぶよした姿が、今はどんな花よりも美しく見える。


「ハリドラが効くってことは、この現象はカラクタが何か関係してるのか……?」

「ラー、ラーラー」

「ん? どうしたラー。ハリドラが食べたい……わけじゃないのか?」


 軟体をじれったそうに伸ばしたり縮めたりして、ラーが何かを訴えかけてくる。

 バロルク0ノイが転がってる方角に向かって胴を伸ばしてぶんぶんと暴れ、その後に俺の胸元に頭突き、柔らかいので痛くはない、を繰り返して俺の顔を真っ赤な両目でじっと見つめてくる。


「え? 今なら誰も見てない? バロルク0に乗れる?……バロルク0なら、脱出できるって言いたいのか?」

「ラ~!」

「なるほど……0に乗るってのはいいアイディアかもな。脱出ポッド代わりになるかも」


 もしユークがバロルク0の存在に気付いていないとしたら、ガルダを使わなくても0ならこの空間を脱出する方法があるかもしれない。


「ラ? ラ……ラー、ラー!」


 違う違うと言わんばかりにラーが首部分を横に振る。たまたま雲の端の方に見えた黒い“種”の柱に向かって伸びをする。


「何? 脱出じゃない? ……倒せ、“種”を?」

「ラァ! ラ~!」


「んー……大佐にも言ったけど、そういうのは俺のガラじゃないっていうか。バロルク0は一方的に押し付けられただけで、俺は戦闘には不向きなんだよ。危険なことやって逆にやられたらそれこそ無駄死にだし、さっさと地上にこっそり降りて助けを呼ぶ方がまだマシだろ?」

「ラ~? ラー、ラー!」


「え? 助けなんて呼べっこない、誰もここまで来れない? 皆を救うなら戦うしかない……?」

「ラー! ラララ、ラー!」


「うるさいな……さっきはあんなに頑張ってたのに? 大佐を置いていくのかって? そりゃあ遠く離れた異次元の戦艦にいたときとラプセル上空じゃあ、取る行動も変わるだろ。お前、どんだけ人間の言葉が分かるんだ? ミルルクが言う通り、お前もラトーになる前は人間だったのか? まあいいや。俺たちだけでも助かるように急ぐぞ、ラー」


 諦めたようにぐったりしたラーを抱えて、見た目だけは雲で出来た何かの上を俺はさくさくと走った。


「ラ~……」


 なんで責めるように鳴く?

 人には向き不向きってもんがある。


 俺は自分では戦わないのが信条だってのに、神様もとんだ人選ミスをしたもんだ。

 今までも、これからも、誰かと誰かが戦ってる隙に、こそこそ抜け道を通って生きていく。

 俺が妙な気を起こして誰かのために戦おうとしたって、きっとろくなことになりっこない……。




『そうだ孝司郎こうじろう。人の心は常にうつろい、頼りない、無意味で存在しないに等しい。お前のちっぽけな反抗心など、揺るがぬ金の前では塵芥ちりあくたより無きも同然。己の領分をわきまえろ、余計な雑念を起こすな』


 くそ、ハリドラの効果が弱まってきたのか?

 指先に花がちらつき始めた。


『それでも嫌だと言うのなら、このから出ていくがいい。どうせお前一人では、汚い金にまみれて首が回らなくなるのがオチだ。そのときになってやっと、私の方が正しかったと思い知ればいい』


 気分が悪い……嫌なことばかり思い出す……。




 バロルク0をとっさにシェルター代わりにしようとした人は思いの外多かった。

 0の前に、さっきまで人だった花が積もって階段ができあがっている。

 しかし、それを踏みしだいて、無事に動いている人影があった。


「ウロヌスさん!?」

「マツバくん!?」


 どうリアクションしたらいいか分からず、ひょっとこみたいに口がひん曲がった作り笑いを俺は浮かべる。


「いやぁ~よかった。僕以外に無事な方がいらしてたんですね~」

「全くだ、急に皆倒れだしてどうしようかと思ったが、いや~互いに無事で何よりだ!」


「アッハッハッハ……」

「ガッハッハッハ……」

「……」

「………………」

「………………………………」


 よーいドン、の号令もなく、二人同時に0に向かって駆け出した。

 そろってハッチの取っ手をつかむが、両方全く引く気はない。


「何してるんだねマツバくん! これは古代の兵器だ、近寄ったら危ないぞ!」

「今はウロヌスさんが頼りなんです! 一緒に乗せてくれたっていいじゃないですか!」

「俺はこれに乗って助けを呼びに行くんだ! 足を引っ張るんじゃない!」

「何すかさっきはよく分からないとか言ってたくせに! これについてどこまで知ってるんすか!?」

「うるさいぞ! そういえばなんでマツバくんは無事なんだね、怪しいぞ君!」

「ウロヌスさんこそ! 多分ウロヌスさんと同じ物持ってるからすよ!」

「結晶融合強化繊維CFRFのことか!? 君が寄こしてくれたブツがまさかこんなところで役に立つとはなぁ! 礼を言うぞ!」


 ハリドラじゃなくてCFRFだと?


「CFRFは持ってね~! でも俺より先にアンタを地上に帰す訳にはいかね~! このままだと絶対ノウゼン社潰しにかかるだろ!」

「ノウゼン社なんて放っといても潰れるだろあんな化石! この際だから言っておくがなマツバくん、ノウゼン社より君だ、君が邪魔なんだよ! 他の奴なら乗せてやってもいいが、君だけはダメだ! 君みたいなのが一番信用できん!」

「うわっ、この状況でそれ言います? 俺はウロヌス社とノウゼン社の橋渡しができればと思って誠心誠意がんばったのに~!」

「顔に嘘だって書いてるぞ! 俺はラプセルの経済を背負ってるんだ! 何としても地上に戻って復興を推し進めないと! 君は確かまだ独身だし、悲しむ家族もいない天涯孤独の身だと聞いたぞ!」

「家族を捨てて一人で助かろうとしてる奴に言われたくね~!」

「ええい、いい加減にしろ! どけ!」


 空しい言い争いの果てに、俺は簡単に突き飛ばされてしまった。

 ウロヌスは体格がいい分力も強い。

 ハリドラの効果が薄れて、俺もかなり弱ってきている。

 いや違う、ジャケットの中のラーに張り手が直撃しないように体勢を……。


 いやそれも違う、なんか、指先だけ力がみなぎって……?


「わわわっ!?」


 光る俺の掌を見て、先に叫んだのはウロヌスだった。

 それから、聞き覚えのある声が馬鹿でかく雲中に響き渡る。


『マツバさーん、聞こえますかー!!』






 〇 〇 〇







 ミルルクとエドとニーナは避難所を遠く離れ、長い螺旋階段を降りていた。

 青を基調とした荘厳な大広間の突き当たりの壁、ミルルクの指示通りにエドが仕方なく叩いて回ると、床からまた階段が降りてきてさらに降りていく。


「つまりお前らは俺たちがいる次元の“確からしさ”が歪んだ拍子に侵入してきたエイリアンで、その上で人類の味方だって言い張るんだな?」

『あいつらと一緒にしないでください! 侵入して悪さをするのが過激派どもで、それを阻止するために降臨したのがアンヌ・ダーターです! 』





 次元崩壊──空間の揺らぎが発生し、あちこちが黒く塗りつぶされていく。揺らぎ自体は一瞬で、すぐに元に戻るが“種”が完全に開花したらもう取り返しはつかないとミルルクは言う。


『ここにいたら危険です! さあ、早くこの中に入って!』


 そう言ってミルルクが入っていったのも突然空間に開いた暗闇だが、他とは違って奥の方がきらきらと砂粒のように光っている。


『早く! 大丈夫、この先はまた貴方たちの次元に繋がっています。通り抜けたら町はずれの遺跡に出ます!』


 喋る蝶の言うことなんか信じられねえ。


 エドは梃子てこでも動かないつもりだったが、ふとニーナのガラスを引っかくような叫び声が響いて目をやると、自分の右肘から上がすっぽり暗闇に呑まれて消失したので慌ててミルルクのいる穴に転がり込んだ。

 穴に入った途端右腕は元に戻ったが、まだ生きた心地がしない。






『“神樹”が人類の皆さんを防御次元に隠したのは、ラトーからの物理的な攻撃よりも、カラクタの発動を防ぐためなんです。天空に近いほど進行速度は速くなる……このままだとマツバさんが危険です』

「マツバは今空にいんのか?」


『正確に言うのは難しいですけど、今入った情報によると雲の上みたいなところだそうです』

「か、カラクタの発動って何……? み、皆死んじゃうの……?」


『皆さんが知ってるカラクタの“発症”とは違うっていうか、その先っていうか……映像でお見せできればよかったんですけど、今はそんな時間もないし。まあ端的に言うと、動けない、話せない、意志のない花に変えられたまま天の国に連れていかれます。私たちアンヌ・ダーターは最後まで反対したのですが、神の御言葉を間違えた過激派はレトリアから人間とラトーを救う唯一の方法だって聞かなくて……でもこのままだと十年前と同じようにカラクタがして、いえ、もっと酷いことになってしまいます』


 十年前、人類はレトリアによって守られたのではなく、レトリアによって滅ぼされ、ラトーの代わりの傀儡として作り替えられた──

 歩きながら話されても訳の分からないぶっ飛んだ仮説だが、カラクタがその証明に関わるとなるとエドも聞かない訳にはいかなかった。


「でも十年前まではカラクタなんてどこにもなかったぞ? それはどう説明するんだ?」


 急いで羽ばたいていたミルルクがそこでぴたりと進むのをやめた。


『──もし、もしもカラクタの正体が、十年前のエドさん自身だったらどうします?』

「はぁ?」


『細かい話は後々! さあ着きましたよ。上の解析結果が正しければ、ここにマツバさんのところへ通信を届けられる装置が埋まってる筈です』


 着いたのは天井と壁は真っ暗で、床だけが眩しく輝く空間だった。奥に長い石柱がそびえ立っている。

 床からの謎の光源は“聖典”の底から湧く光にとてもよく似ていたが、“聖典”内に入ったことがないエドたちには知る由もなかった。


「筈って……確証もなくこんな謎の遺跡の地下を延々と歩かせたのか!?」

『“神樹”の影響が弱まってる間にバレないようにいろいろ態勢を整えないといけなくて……上が作るゲートや分析も混乱続きで私だって振り回されっぱなしなんです! 中間管理職のつらいところです~』

「え……防御次元が弱まってる隙になんて、やっぱりあなたたち、侵略者エイリアンじゃないの……?」


 ニーナの声が震え出す。


『違います~! 我々の今回の使命はエンデエルデの破壊……でしたが過激派の行動が思ったより早い以上、今は人類を奴らから救出することが最優先です。マツバさんの知り合いのお二人には悪いですが、乗り掛かった舟だと思ってここはお互いが助かるためにご協力願います』

「は? エンデエルデの? 破壊?」

「ひいいっ、この厚かましさが一番怖い……」


 エドとニーナの呆然とした声を無視してミルルクは指示を出す。


『さあさあ! 奥のモノリスに繋がっているコードに、一つだけ色の違う別時代のコードがある筈です! 急いで探しましょう!』

「こんな遺物の中に、本当にマツバさんの居場所が分かる道具があるの……? きゃあっ!?」


 疑うニーナの視界いっぱいに、ミルルクの緑青の鱗粉で輝く翅が広がった。


『分かってないなぁ。私たちがマツバさんを見つけて、マツバさんを救うんじゃありません。マツバさんが私たちを見つけて、私たちを救うんです!』



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