第60話 カルネアデスの道連れ
「大佐も分かってると思うが、この提案は明らかに罠だ。俺たちに選択の余地がないと知っている。天使の狙いは“胴体”だ。俺たちの力を借りてラプセルに侵入できたら、さっきみたいにまた乗っ取ってこようとするだろう。だからそこを逆手に取る」
「どうやって?」
「ミルルクが作った避難所覚えてるか? ゲートの中にゲートを作るってやつ、あれをバロルク
「そう上手くいくだろうか……」
「大丈夫、失敗したときのパターンも考えてるから。まあ臨機応変にやってみようや」
「臨機応変にって……おいマツバ、さっきからゴソゴソしてると思ったら何故今になってパラシュートをつけてる?」
「何故って……いつでも“巨人”から逃げられるように決まってるだろ? 大佐もつけときな」
「“巨人”? “頭部”からではなく?」
「後それから……」
ラムノの質問を無視して一言付け加えてから、俺は拡声装置をオンにした。
「話はまとまった。ただし条件がある。“円”を壊すのは俺と大佐がいれば十分なんだろ? 完全に破壊が確認できるまでは、あんたらはそれ以上近づかないでくれ」
「よろしい。では円とマグメルのバリアが一番相殺し合う瞬間に、“巨人”は円の中で事象の地平面を断ち切って。それでできた隙間に目がけて、大佐殿はさっきのラトーみたいな腕をぶつけて。そうすれば“円”の外側と内側の境目が崩壊して勝手に自壊してくれるわ。後のゲート作りは私に任せて」
「そのゲート作りの材料は? 人間? ラトー?」
「必要ないわ。私には特別に人間の身体がトレースされている。“歪み”さえあれば自由にゲートを作れるの」
「トレースって何? 人間の身体を間借りしたり、死体に憑依したりしてるってこと?」
女の目つきがわずかに険しくなる。
「違うわ、トレースは情報の再構成であって……って、今ここでは関係ないでしょ……」
「いや、アンヌ・ダーターに俺をこっちの世界に連れて来るときに、ラプセルの死体を無理やり適合させたって話されてショックだったからさ~天使らの間ではそういう他人の死体を勝手に使うのって極当たり前の価値観なのか聞いておきたくって」
「……それは個の肉体に重きを置く人間特有の考えね。天の国に個人なんて狭苦しい考えは存在しない。肉体もこういう非常事態の他には必要ない。私が肉体を譲り受けた魂も、今頃は安らかに天の国への道に向かっているわ」
「ふーん、神様の考えることは下々の俺にはよく分からんな」
「さ、もう話は終わりよ。“円”の中に入って」
言われるがままに“円”の引力を感じる領域まで接近する。
「今よ!突撃して!」
号令がかかった。
0が虚無の中に突っ込む。突っ込むというか、自動で吸い込まれていく。
心なしか頬がひりひりしてきた。
0から出た途端に俺たちの身体はチューインガムのようにぐにゃぐにゃに伸びて、誰かの靴底に踏まれるように無惨に引き裂かれるだろう。
ひたすら吸い込まれた後に、ぴたりと暗闇の中で止まった。ここだけ透明な目に見えない何かが広がっているような違和感がある。
多分これが天使たちの言う“事象の地平面”ってやつか。
0の側面両方から閃光が迸り始めた。
俺が両腕で引き裂くイメージを思い浮かべると、0の側面両方から閃光が迸り始めた。
隙間から青空が見える。漆黒からかけ離れた澄んだ青色は、今にも周囲の黒を吹き飛ばさんばかりに強烈な印象を与える。
同時に寒気が走った。ラプセルに戻れるかもという希望は、何故戻れる?という疑問に早変わりする。
「ヤバい……大佐、これは罠だ」
「何?」
「あの女、始めからこの“円”をゲートにするつもりだったんだ!」
俺が言い終わるか言い終わらないかのうちに、掴んだ地平面に真っ白な亀裂が走った。
「い、一体何が起きた!?」
「高エネルギー同士の衝突で、空間が裂けて次元の歪みに落っこちたの。“巨人”だから衝撃に耐えられたけど、生身だったら気付く間もなく木っ端微塵ね。貴方たちの献身のおかげで、二千人以上の人が悲惨で崇高な死を免れたわ」
女の声が降り注ぐ。“頭部”に搭乗して近くを通っているのだろうか、しかしこちら側からは何も把握できない。
「貴様……!」
「“円”は見た目よりずっと脆くて弱い……さながら水面の薄氷ね。たとえ人の力を使役した“神樹”でもハダプ超えはできない。ここにあるけどここにはない、限りなく本物に近い幻といったところかしら。それでも私たちの計画には立派に邪魔だったけど。“円”を越えたり近くにゲートを作ろうとしたら、私たちまで次元の歪みに閉じ込められてしまう。代わりにスイッチを押してくれる誰かが必要だったの。安心して、全部終わったら貴方たちも人々のこともちゃんとお迎えに来てあげるから。そこでおとなしく留守番しててね。バイバ~……」
「させるか!!」
「キャア!?」
女が別れの挨拶を言い終わらないうちに、0の側部から伸びた黒い両腕が“頭部”に巻きついた。
「捕らえたぞ、マツバ!」
「でかした大佐! かかったフリ、作戦成功だ! このまま歪みに閉じ込めるぞ!」
「そんな……ダミーの歪みですって!?」
次元の歪みとやらをあっさり破って這い出た0の胴体を見て、女が騙されたことに気付く。
「やっ、やめなさい! やめた方がいいわよ!」
“頭部”から微量に波動が流れるが、さっき捕まったときほど強くはない。抵抗されてもたつくが、次元の歪み、全てが消えていく先に突っ込むと頭部の姿が徐々に欠けていき、見えなくなっていく。
「じたばたするない、さっきみたいな乗っ取りはもう効かないぜ」
「違うわ、これ以上“円”の中で暴れたら……崩壊が起きて歪みの境目なく破滅してしまう!」
「うわわあっ!?」
“頭部”を掴んだ手ごたえがちぎれ、代わりに突風が巻き起こった。
“円”が割れていく。“円”の境目の向こう、ラトーたちがいる白いエリアと混ざり合う。
急な回転に酔いそうになりながら、俺はスクリーンをさっきの青空が見えた方向に戻す。
青空はまだあった。しかも“円”の拡大とともにヒビから見える青空の大きさも広がっている。
あそこまで行けば助かるかも!
「バリアが……! まずい、このままだと輸送機まで砕けてしまう!」
ラムノがひきつった声で叫ぶ。
“円”に入り込んだラトーたちの身体がトルコアイスのように柔らかく無限に伸び、そのまま“円”と混ざり合って消失していく。
“円”は崩壊すると同時に拡大し、エリアを侵食していくようだった。
見えない壁だったバリアも空間が割れたことによって可視化され、空間がひび割れて崩壊していく様子を映し出している。
俺は頭の中で優先順位を書き起こす。
1:俺が無事にラプセルに帰還すること
2:“種”に関わってるらしい女たちをラプセルに入れないこと
3:輸送機の人々もラプセルに帰還すること(余裕があれば)
カルネアデスの板という故事がある。
船が難破して海で溺れそうになった男が、一枚の板きれにしがみついて何とか浮かび上がる。そこにもう一人男がやってきて同じく板にしがみつくが、板に二人分の体重を支える力はない。先に板にしがみついていた方は後から来た男を突き飛ばして溺死させてしまうが、裁判では無罪になった。
突き飛ばしていなかったら二人とも死んでいたから、仕方のない判断だったとされたのだ。
今から俺らが引き返したところで輸送機を守ることなんてできない。
『マツバ、私は怖い……! いつか自分やラーが、身も心も怪物になってお前や人々を殺めてしまうのが……! どうすれば、どうすれば止められる!?』
……。
「大佐、覚悟はできるか?」
「覚悟?」
「あの青空を見ろ。あれがラプセルに繋がっているとしたら、あそこにたどり着けば俺たちだけは助かる。今更引き返して輸送機を助けようとしたところで、俺たちにできることは何もない」
「そんな……他に方法はないのか……!?」
「あるかもしれない。“種”をラプセルに入れる危険を冒す覚悟があれば」
「え?」
「あの青空が見えるヒビを0と大佐の力で輸送機のところまで押し広げるんだ。大変だけど不可能なレベルじゃない、上手くいけば輸送機もラプセルに帰れる。ただ、そうすると俺たちの前方を漂ってるあの女たちも確実にラプセルに侵入できてしまう。そうなれば輸送機の二千人なんてもんじゃない……ラプセル中の数千万の人々が危険にさらされる」
「……」
「その責任を、罪を背負ってまで、輸送機の人々を救う覚悟が大佐にはあるか?」
ラムノは一瞬目をぎゅっとつぶってから、真っ青な瞳を俺に向けてこう告げた。
「はっきり言って、私にそんな覚悟はない。だが……別の覚悟ならできている」
「どんな?」
「輸送機と共にラプセルに帰還し、その後速やかにあの女どもを叩く! さらわれた人々も、ラプセルにいる人々も、私は守りたい! ……いや、両方守らなきゃならないんだ!!」
「全く欲張りだねえ大佐は。そんじゃあ、とっととやりますか」
0を加速させて突風に抗う。光の腕を青空に差し込み、空間を歪めていくと、卵の殻剥きの要領で“円”の黒が剥がれて青空が広がってきた。
しかし空間の崩壊も加速している。ここで0とラムノの力が合わさったところで、間に合うかどうか。
「今だ、大佐! いけ!!」
握りしめるラムノの手が熱すぎて、俺は思わず目を閉じる。青い炎が瞼の裏に見えた。それから暗闇と閃光がぶつかり合い、閃光が勝つ。そこをさらに暗闇、恐らく今度はラムノの黒腕、が切り裂く。上下左右がなくなり、青空が遠のき、また戻ってきて、また遠のいた。
「……ぷはぁ!!」
スクリーン越しの視界と、皮膚の下を波打つような気持ち悪い感覚が鎮まるのを待って、俺はどっと息を吐いた。
同じく呼吸が荒いラムノが、頬を紅潮させたまま聞いてくる。
「はぁっ、はぁっ……助かったのか!? 輸送機は!?」
スクリーンを360度映し、あちこち拡大してようやく雲の端に輸送機が三つ並んでいるのを見つけた。
停止している輸送機が乗っかる雲だなんて奇妙な話だが、もしかしたらここは単なる青空なのではないかもしれない。
「いるいる。ここがどこか、ラプセルなのかどうかさえさっぱりだが……とりあえず窮地は抜け出たみたいだ」
肩の力が抜けたように、ラムノが俺が座ってるシートの背もたれに寄りかかる。
「はあ……しかしマツバ、お前は何故こんな作戦を思いつく? 失敗したら、とか恐怖心はないのか?」
「ん~別にただのカンって言うか。強いて言うなら、大佐を信じてたからかな」
「信じてた? 私を?」
「ああ。大佐のあの力がなければ、俺たち皆助からなかった。大佐の力は人を殺したりなんかしない、大佐が皆を救う力に変えてみせたんだ。信じる覚悟がない、って大佐は言ってたけど、自分自身さえ信じていれば大概のことはどうにかなるもんさ」
「ふ……フン、あれはただのマグレだし、ほとんどは
そう言ってそっぽを向くラムノの顔はまだまだ赤い。
「大佐!? プフシュリテ大佐ですの!? どちらにいらっしゃいますか~!?」
青空の向こう、ラムノを探す高らかな女性の声が響いた。
輸送機の中の人々が自力で出てきたらしい。
「ほらお呼びだぜ、ラプセル空軍大佐」
「……ああ!」
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