第59話 円




「この力だけは、二度と使いたくなかった……。十年前、ラトーに襲われそうになった時に無我夢中で出して以来だ。あの頃は、誰かに見られてて自分もラトーと一緒に殺されるんじゃないかと怯えて、ずっと眠れなかった……」



 謎の女とバロルク0ノイ頭部の襲撃から解放された俺たちは付近の捜索に戻った。

 見えない壁に沿って、ラトーがいない谷間の上を飛んでいく。


「二十年前……三歳の頃に、私とキルノは養母ははに引き取られてプフシュリテの姓を授かった」


「私たちは戦災孤児だった。生みの両親の顔も、名前も知らないし、何も覚えていない。何も見つからなかった」


「だが私は覚えている。自分が黒くぐにゃぐにゃとしたラトーを小さくしたような化け物で、同じく黒い塊の妹と、泥まみれの草むらで身体を寄せ合っていた記憶を」


「養母には恋人がいた。私たち姉妹には父同然の人だった」


養父ちちは空軍中将でありながら現役でパイロットを続け、養母は大司教、それから聖職最高位の三師として日々たゆまぬ努力を重ねる人たちだった。私も二人のように強く優しい、誰かを守れる人間になりたいと願った」


「厳しくもあたたかい家庭で育てられていくうちに、濡れた草むらの冷たさなどすっかり忘れてしまった。キルノには草むらの記憶なんてなかった。二人とも黒い塊だったというのは、私の思い込みだったのかもしれない。とにかく、段々とあれは悪い夢だったんだと信じるようになった」


「だがそんな幼い考えは甘く、愚かだった。十年前、人間同士の世界大戦が終わると今度は空からラトーが、私の一番昔の記憶にそっくりの、黒い塊が降って来た……」


「ラトーが出現してから……養父は急におかしくなった。目が虚ろになるか、血走ったようになり、言動は苛烈さを増した。そしてある日……白昼の街中で銃を乱射して走り出し、何の咎もない、街を歩いていただけの夫婦を、撃ち殺した……。養父は、その場で警官たちに蜂の巣に撃たれて死んだ……」


「『有り得ない』『とてもそんなことをするような人ではない』誰もが口を揃えて言った。けれど有り得ないことは起きてしまった。先の大戦の心理的瑕疵かしによる突発的な発狂だろうと片付けられた。養父ほどの強靭な精神の持ち主でも、抑えきれない傷はある……。軍事心理学者が何人も飛びついて、一見戦争の傷を乗り越えたように見える人物でも、心の奥に深い闇を抱えていることがあると訳知り顔で語った。どう接し、治療していくべきか、死してなお養父は盛んな議論や研究の対象となった」


「でも、私は知っている。彼が一番狂った目をしていたのは、ラトーを見ているときだった……。そしてラトーが現れてから、養父は私と目を合わせなくなってしまった……。養父の心の深い闇は、ラトーだ。養父が狂ったのは、私の正体に気付いたからなんだ……。被害者二名と養父、私は間接的に三人もの命を奪ってしまった……」



「私は、真実が知りたい! 私たちに生みの両親はいたのか、そもそもどこから来たのか、あの草むらの記憶は何だったのか、このラトーに似た力は一体何なのか、何故養父は狂ってしまったのか、私は……何者なのか」


「その一心で訓練を続け、ラトーの幼生を保護するという禁忌を犯し、最前線に志願し、ここまでたどり着いた。どれだけ残酷な真実だろうと、知る覚悟はできていたつもりだった」


「だが、知る覚悟だけでは足りなかった。私には、信じる覚悟がない……。天使たちの妄言が……目の前の光景が……真実になってしまう瞬間が、怖い……」


「大佐……」

「ラ~……」


 慰めるようにラーが俺の腕の中から、ラムノの膝の上にぬるりと滑り降りる。

 俺たちがたどり着いた行き止まりには、壁代わりのような馬鹿でかい“円”が立ち塞がっていた。


 “円”としか言いようがない。ゲートの群れも、はるか谷間の下までも飲み込まんばかりにそれは広がっている。ラトーたちが出入りする小さなゲートの中は緑色だったり光っていたり多種多様だが、円の中には真っ暗な虚無のみが広がっていた。


 しかしバロルク0でさえ、その円に近づくのは躊躇われた。近づくと吸い込まれそうになる力が働いているのだ。ゲートよりはブラックホールに近いもっと危険な存在かもしれない。



「ミルルクは、二十年前に既にラトーが人の国に侵入していたと言った。もしそれが私なら、私は、トイヒクメルクの人間だったのか……? 大昔に滅びた軍事帝国の……分からない、知れば知るほど分からなくなる……!」


「落ち着け大佐、今はまだ情報が足りなすぎる。結論を出すにはまだ早い──」


「天使どもの言う通りに、もし今の人間がラトーで、今のラトーが人間だったと言うのなら、私はどちら側なんだ!? 奴らが人を襲う引き金はいったい何だ!? マツバ、私は怖い……! いつか自分やラーが、身も心も怪物になってお前や人々を殺めてしまうのが……! どうすれば、どうすれば止められる!?」



「簡単よ。貴女も天使になればいい」


 女の声が冷たく響いた。

 さっきまでのラムノと同じように、女は“頭部”の上に座って追いついてきていた。

“頭部”の仮面の金属質部分が眼光のように鋭く光る。


「貴様……!」

「全く……拡声装置ぐらいオフにしておきなさいよ、筒抜けなんだから。それにしても驚いたわ。さっきの力は“巨人”のパイロットではなく貴女の仕業ね。“巨人”を制約なしに扱える異界のパイロットと、人間とラトーのフラルを併せ持つ貴女……間違いない、貴方たち二人は神に導かれて出会い、ここまで辿り着いた。その力、天の国のために使いなさい。レトリアと“神樹”の暴走を止めるために」


「暴走、だと?」

「そう、さっきは頭ごなしに胴体をもらおうとして悪かったわ。この“円”を壊すために、そしてこの先にいるレトリアたちを止めるためには“巨人”と貴女の力は素晴らしい戦力になる。貴方たちもこの“円”が何で出来ているか知れば、きっと我々側に素直に力を貸してくれるはず」


「何? このブラックホールは貴様らの仕業ではないのか?」

「まさか! ラトーたちがいるフロアをよく見てごらんなさい。“円”とシンクロして時々光っているでしょう?」


 言われた通りに見下ろすと、ラトーたちがゲートに入るタイミングで円と空間の境目が発光していることに気付いた。

 心臓の鼓動や呼吸のような、軟体に見えるラトーと同じ有機物的な不気味さを帯びている。


「これはここのバリアと“円”が拮抗している証、もしも円の力が上回ればこのエリアはたちまち崩壊してマグメルも大損害を受ける。でも“神樹”にそれはできない。そうすれば輸送機の人間たちも死んでしまうから。この円はお前たちの居場所は分かっている、っていう“神樹”流のせいぜい脅しといったところね」

「貴様……輸送機の人間たちを人質にするつもりか!」


 ラムノの発言に、女は手をひらめかせて笑い流した。眉の上で切り揃えられた紺の前髪がほんの少し揺れる。


「違うわ、先に人質をとったのはレトリアたちの方よ。“円”のこの力は“神樹”が人間から吸い取ったものなの。防御次元にいる全ての人間から少しずつ、ね。その気になれば“神樹”はラプセル中の人間からエネルギーを吸い上げて、即座に殺すことだってできるのよ。たかが人間一人がそんな力を自由に扱えるなんて、ラトーより恐ろしい話じゃない?」


「なっ……!?」


「いくら“神樹”の高次元干渉力でも、ゲートを挟んで四次元的にはるか遠く離れたハダプ外への干渉は著しく力が減衰する。奴は自分の掌の上の人間たちから力を搾取することでハダプ外のここまで迫った。だから私たちも対抗して人間たちをここまで連れて来た。人間やラトーたちが天使より唯一優れている能力フラル……ラプセルでは偽の聖典によって抑制されているけれど、本来生物は高次元のフラル回路と常に接続している。そしてカラクタが、シュヴァルツクライハンガーの種がそのフラル回路との接続を狂わせて、ワームホール──別空間へ通り抜ける力を授けてしまった。レトリアたちにとっても天使にとっても、人間は守るべき存在であると同時に大事な大事な兵器であり切り札なの」


「そんな、人類に、カラクタにそんな力が……?」


「そこで貴方たち二人にお願い。事象の地平面を切り裂いて、ゲートどころか本物のブラックホールさえ無力化できる“巨人”と、ざっと見積もっても人間二千人以上のエネルギーを秘めたラトーと人の力を併せ持つ貴女……。貴方たちが代わりに“円”を破壊してくれれば、輸送機の人間は天の国にまだ行かずに済む。私には理解できないけど、貴方たちは天の国に行くのを先延ばししたいんでしょう?」


「……“円”を破壊したらどうなる? 何が起きる?」


「“円”が壊れた後に残った歪みでゲートは簡単に作れる。輸送機の人間たちと貴方たちはラプセルに戻れる。そして私たちも“種”もラプセルに行ける。お互いに望みが叶ういい話よね?」

「ふざけるな! 結局ラプセルを危機にさらせだと!? 貴様らの思い通りに動いてなるものか!」


 激昂するラムノをよそに、俺はパン!と手を叩いた。


「……よし、その話乗った!」

「マツバ!?」

「ラ~~~?」


 俺は拡声装置をオフにして、ラムノとラーに向き直る。


「大佐、俺に考えがある。あんたにラプセルに帰りたいって意志が残ってるなら、使いたくないその力を、もういっぺんだけ使って欲しい」



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