第55話 発動




 ソフィアが目覚めると、眼下に花畑が延々と広がっていた。


 ソフィアは辛うじて手の指を動かせる程度の、窮屈なカプセルに閉じ込められている。カプセルのケースは頭からつま先まで透明で見晴らしはいい。

 遠くの壁正面に、自分と同じように閉じ込められた人々がずらりと並んでいる。その隙間をびっちり埋めるように花が詰まっている。

 ソフィアは葬式を思い出した。


 硬くなった首を必死に巡らして、行列を数える。三日月のようにすらりとした鼻をケースにぎゅうと押し付けると、ぎりぎり端まで見通せた。

 縦横両方33カプセルずつで、計1,089人。対面のソフィア側も同じと仮定すると、今この空間の中で2,198人がカプセルに閉じ込められている。

 ラムノとソフィアが任せられていた連隊の人数を少し上回る。

 カプセルの中まではろくに確認できないから、いくつかは空かもしれない。あるいは民間人たちも巻き込まれたか。



『この中だとこれが一番上位の人間のようです』

『よし運べ』


 部屋中に機械に似た抑揚のない人の音声が流れる。

 ラトーに乗っていた謎の女同様ラトーの上位種、あるいは第三勢力か。

 ソフィアのカプセルの周りの花が一斉に飛び散って、フラルタイルのような床面を作り上げた。カプセルがその上を走り出し、ソフィアは為すすべもなく仰向けになる。


 一体何をしようというのか。尋問か、拷問か、もっと得体の知れない何かか。

 ラムノとソフィアの世代は、ラトーとの戦闘には長けていたが対人戦闘は最低限の訓練しか経験がない。

 知性を持つ謎の敵の悪意に、ソフィアは全身が竦みそうになった。


 さっきの声はわたくしが最上位だと言った。ということは大佐はこの場にはいない。

 今は私がここにいる全員の命を背負っているのです!怯んではならない!


 ソフィアは目をぎゅっとつぶって奮いたつ。もうこれ以上必要最低限の動きはしない。おとなしく眠っている振りを続ける。それでも指先からフラルを発動できることだけは確認した。

 カプセルを壊すのではない。外にいる見えない誰かを攻撃する訳でもない。ここで何の情報もつかめないまま単身敵に立ち向かうのは、勇気ではなく蛮勇に過ぎない。

 今できるのはこれぐらいだ。他の人なら気付かない、微かな力でしかない。

 でも、大佐ならきっと……。





 〇 〇 〇





 どうやら光る深海魚はフグの仲間らしい。

 収縮と膨張を繰り返し、その度に光も伸び縮みするが地球のしなやかな生き物である魚とは全く違う、ギラギラした安っぽい蛍光灯に似た光だった。


「しかしラプセルの魚は、なんでこうもマズそうな見た目なのかねえ。これで宝石みたいに高く売れれば別なんだが、どこにでもうじゃうじゃいるし」

 ぼやきつつ俺は光るフグを目指して上昇を開始するが、車を運転するイメージで上がったらフグを飛び越えてしまった。

 このバロルクの燃料は接続登録している俺のフラルだというが、操縦桿を握って方角を調整しようとするとスピードまで余計に出てしまう。余程燃費がいいらしい。


 俺たちとフグがいたのは三角錐状のピラミッドによく似た建物のそばだった。もちろん長い間深海に沈んでいるからすっかり朽ち果ててところどころ剥がれているが、他の尖塔が突き刺さって壁がぼろぼろに剥がれても、途方もない大きさと装飾を誇っている。窓枠さえも一部残っている。


『この遺跡は数千年前に天の国と人の国がまだ密接に結びつき合っていた頃、人々が神から譲り受けた“巨人”を使役して建国していた時代のものです』

 上昇、方向転換、微調整等操作練習を繰り返している間にミルルクの説明が聞こえてくる。

「んで、その“巨人”がバロルクの元になったと」

『はい!我々は数年かけて巨人の一体、仮名バロルクノイの胴体の発掘に成功しました。神代の力が宿っているノイは単独での次元の干渉すら可能、遠隔でノイの力を借りて我々は最初のゲートを開通させ、この遺跡がラプセル救済の足掛かりとなったのです』


「フン!泥棒の自慢話を聞くなんて、バカバカしい!」

『はいそこ~、態度の悪いラムノさんに問題です!“天の花”レトリアと神樹に共通している神造物の特徴は何か?お答えください!』

「何っ?……人類を守護するために造られたところ?」

『ブッブー!それだけじゃ△です!正解はあと二つ、高次元であるフラル回路へのアクセス権、それと無限にエネルギーを取り出せる永久機関が内蔵されている、でした~!』

「ぐぬぬ……」

 ラムノは反論もできずに唇をもごもごさせる。


ノイも神樹らと同じく無尽蔵のエンジンを持ち、数千年の時を経てもなお強力な兵器と成り得ます。我々はレトリアへの最大の対抗手段として、残る手足や頭部も発掘しようと調査を続けました。しかしアンヌ・ダーターが調査結果を持ち帰る度に内紛が生じ、トイヒクメルクの粗悪品も利用するか否か、人間とラトーたちを早急に天の国に連れていくか否かでとうとう完全に訣別し、“巨人”発掘調査も打ち切られてしまいました。我々アンヌ・ダーターはほうほうのていで母艦を追い出されましたが、ノイだけは過激派たちに悪用されまいと必死に何とか確保したのです』


「フン、神の遣いを名乗る者どものくせに仲間割れとは情けない」

『さっきから何なんですかその口のきき方は~!過激派はともかく我々アンヌ・ダーターは常にあなたたち人類とラトー救済のために行動しているというのに!オンリン一族が二十年前からラトーを呼び起こしていたのを突き止めたのだってアンヌ・ダーターなんですよ!』

「二十年前?」

 ラムノの肩がぴくりと動く。

『そう。天使の大多数さえラトーは十年前に“天の花”に乗じて出てきたと思っていますが、実は二十年前にも一瞬だけラトーの生命反応が観測されていたんです!ごくごく僅かだからアンヌ・ダーターの中でも観測のエラーを疑う声はありますが……でもこの謎を明らかにできれば、トイヒクメルクが表面上滅んでからどうやって残党が生き延びてオンリン一族と接触したのか、トイヒクメルクあるいはオンリン一族が隠し持っていた力を解明する手掛かりになります!』

「……」



 魚たちの光に半ば照らされる深海を見下ろすと、高速道路を彷彿とさせる幅広の板と柵だけが廃墟に紛れて真新しい状態で建っていた。

 これが天使たちの基地建設の跡地だと言う。


『見えますか?基地の頂上にあるのがゲートの痕跡です!』

 螺旋階段のように昇っていく道路の頂上、遠くのクラゲが光る度にぶつ切りになって断面が剥き出しになった板が見えた。

 閉じたゲートというのは目に見えるものではない。

 しかし、バロルクに接続しているせいなのか何なのか、近づいた途端に全身が鳥肌の立つ感覚に襲われた。

 説明し難いが、ゲートがというより


「マツバ、分かるか?ゲートの痕が、私にはさっぱりだが……」

「ああ、何となくだけど輪郭は伝わってくる。多分このロケットの力だ……でもこっからどうすんの?こいつにはアームも何もついてないし、俺に出来るのはブンブン飛び回るだけなんだけど」

『大丈夫、ここからが“原初”のバロルク0ノイの凄いところです!マツバさん、操縦桿の腹の部分にあるスイッチを押してみてください』

「こうか?」

 親指をずらして硬いスイッチをぐいと押し込む。


 バキイッ!

 いきなり道路の端が割れてこっちにぶつかってきた。


『わわわっ、強すぎです!もうちょっと優しい感じをイメージしてみてください』

 全然分からないが、とりあえず操縦桿を握る手を緩めると今度は道路がびよんびよんと曲がりくねり出した。

 学生時代によくやったシャーペンを振るとぐにゃぐにゃに見える遊びを思い出す。


「何これ?一体何が起きてんの?」

『レトリアや神樹同様、神造物である“巨人”0ノイは人の国の物理法則を無視した神通力を持っています。今マツバさんが0ノイに発生させたのは、独立した重力場内で粒子を衝突させてできた極微小のマイクロブラックホールです。かつての人々はこの力で電力や機械に頼らず高層建築を立てていたそうですよ』

「ブラックホールって……ヤバくない?」

『ゲートに干渉するためには必須の力ですよ!そもそも天使が通るゲートはブラックホール内の事象の地平面を裏返しにして壁の向こう側にすることで、空間を超越しています。さっきの力をゲートに向ければエネルギー放射が加速してその壁が崩壊、ゲートは閉じて使い物にならなくなるという訳です』


「う~ん全然分からん。とにかくこのロケット自体がゲートに突っ込まなくていいなら何でもいいや」

『実行のタイミングは戦艦がゲートの向こう側に到着し、人間を乗せた輸送機だけがこっちに来てからです』

「えっ、じゃあ人間取り返すには結局その輸送機とかち合う羽目になるってこと!?」

 これはしまった。戦艦とは戦わないとは約束させたが、戦艦以外とも戦わないとは確認が取れてなかった。

『ゲートさえ閉じてしまえばこっちのモンです!輸送機なんかが0ノイに叶う訳ないですし。完全体になればレトリアだって目じゃありませんから!』

「やだなぁ~……」

『まあまあ、ちょうどそろそろ過激派たちが来るはずです!隠れて様子をうかがいましょう!』


 言われるがままに俺たちは、ピラミッドの後ろに移動した。最初いたピラミッドに隠れるつもりだったが、0ノイはデカすぎて角度によっては気付かれるかもしれない。用心してもう一つ後ろの方にあるピラミッドに隠れた。窓ウィンドウの右半分に望遠レンズを引っ張り出して、ゲート痕を凝視する。


 やがてゲートが開き、中からティルノグを小さく平べったくした感じの円盤が五隻出てきた。ティルノグにはない無骨なジェットエンジンが後方についてはいるが、深海に入ったらそれも不要だ。

 しばらく動かずその場に留まっている円盤を監視していると、ラムノが落ち着かない様子で質問してきた。


「マツバ、何か匂わないか?その……甘くかつ爽やかな花の香りのような、頭がスーッとするような匂いが」

「匂い?ん~特に匂わないけど、大佐は何か匂うのか?」

「これは……ソフィアのフラルだ!」

「ソフィア?」

「私の部下の中佐だ。ソフィアのフラルはハーブやその香りを撒くミストに長けている。強い香りだけではない。その香りを嗅いだことがある者だけが分かる香りを、周囲の者に知られずに撒くこともできる。我々の部隊は暗号や、遭難時の信号の一種としてソフィアが調合したハーブの香りを一通り頭に叩き込んでいる。間違いない、あの中にソフィアたちがいる!しかも天使どもはハーブに気付いていない!」

「そりゃ吉報だ、後はゲートさえ上手いこと断ち切れればな」

『さあ行きましょう!今ゲートを破壊すれば人質はこっちのものです!それに天使は何の仕掛けもなくラプセルに入れません。いるのはせいぜい少人数の下級天使と機械兵ぐらいでしょう』


 しぶしぶ俺はゲート前に飛び出す。

 眩しい光を放つゲートに向かって操縦桿のスイッチを押すと、たちまちゲートが曲がり出し……中から光線が出てきた。

「うげっ、なんか出てきた!?」

『わあっ、向こうにいる戦艦に気付かれたみたいです!光線ごと曲げ……間に合わない、よけてー!!』


 反射的に俺は目を閉じる。恐怖で頭が真っ白になって、そこで記憶が途切れた。


 瞼越しでも眩しい、爆発が止まらない、今の光線じゃない、空から大地に向かって光線が降り注いでいる。





 我は鋏なり、世界を刈り取るための鋏なり……


 誰かが空に向かって叫んでいる。


『クソッたれの神どもが!!テメエが俺たちを雑草みたいに刈り取ろうってんなら、その前に俺がテメエらを刈り取ってやる!先に壊された奴らの分までだ!!』


 命を越えよ、二六の鋏……


『これでも喰らえ!!』





「これでも喰らえ!!」

「マツバ?おい、マツバどうした?」

『大変!重力場が剥き出しになってます!』

 何も覚えていない。喉をかきむしりたくなるほど全身が痒い。


『つ、強すぎます~これじゃあゲートと融合して0ノイごと向こう側に飛んでいってしまいます!』

「ミルルク!貴様いったいマツバに何をした!?」

『わ、私は何もしてませんよ~考えられるのは……0ノイの自動操縦装置の暴走、とか?きゃあっ、こっちの接続が……!』


 言っておくが、俺は生粋の平和主義者だ。

 殴られたことなら何度もあるが、殴り返したことは一度もない。

 なのにどうして日本でも、戦場でも、頭の中でさえも、

 争いの声が止まないんだろうか。



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