第54話 契約




『え~と……上からの返信です。まず口座と女性等その他の件は現在不可能、ゲート復活後随時他の代理人エージェントを通して支給を行う。但し支給できる量には限りがあり、支給のためには貴殿とバロルク0ノイの力によりゲートを復活させる必要がある。ご理解とご協力を願う。せめてもの前金として、パラシュートとハリドラを転送する。ご確認願う』


「う~ん、思ったより冴えない返事だな。まあ急ぎで欲しかったパラシュートとラーの餌が来るならいいや」


『それではこちらの契約花に血判をお願いします!』

「契約花?」

『はい、現在我々アンヌ・ダーターがラプセルに干渉できる範囲はほんのわずかでしかありません。契約することによって、マツバさんのフラルを通じて沢山の物資を召喚できるようになります。これは今後我々のゲートを復活させるためにも、マツバさんの願いを叶えるためにも必須な契約です』


 霧の向こうからテーブルに、柘榴ざくろの花と実、棘のついた枝がぽいと飛んできた。

 てらてらとジューシーに光る赤い粒々を割って口に入れ、人差し指に棘を刺す。

 花の奥に血が吸われ、消えていった。


「マツバ、本当にいいのか?天使と契約なんて……」

 そう言いながらラムノは乱暴に書き殴る。

【だいたい何なんだ隠し口座に女性十人って!?】

【本気で欲しい訳じゃない。無理難題を言ってから、少しハードル下げて譲歩してやった感を出すのは交渉の基本だ】

【違う。私が言いたいのは……ああもう面倒!】


「お前は、地球に帰る気がないのか?」

「ないけど?」

 即答する俺に、ラムノがまつ毛をぱちぱちさせて面食らった顔をする。


「……随分あっさり言うな」

「別に絶対嫌ってほどじゃないけどさ、ラトーとカラクタさえなければラプセルの方が性に合うかな~。天の国は知らねえけど」

『マツバさんの故郷は確か戦争をしない国でしたっけ?そこから戦地を転々とされて、地球ではさぞ苦労されたんでしょうねえ……』

「戦争を、しない国……なぜそんな平和な国からわざわざ戦地に?」

『え~っと資料によりますとマツバさんがニホンを出たのは……』

「もういいよ俺の話は、時間ないんだろ?契約してやったからさっさと物資運んで、ほらほら」

『そうでした!ではではっ、行きますよ~それっ!』


 すると俺の掌が輝き出し、テーブルにまで零れた光から一束ほどのハリドラ、パラシュートの包み、アムリタの入った水筒やら何やらがずるずる出てきた。


「うわっ、何だこれ!?気持ち悪っ!」

「物質転送技術……?いったいどういう原理だ?」

『マツバさんの血液を媒体にした疑似ゲートが作成できました!フラル回路を通じて、マツバさんのフラルに直接アクセスできるようにしたんです~。これでぐっとサポートしやすくなります!』

「ええ……」

「ラ~」

 俺とラムノの動揺をよそにミルルクは弾んだ声を出し、ラーはハリドラの前まで這うとぺたりと平べったくなってお座りのポーズをする。


「よしラー、食べていいぞ」

「ラ~♪」

 腹が減っているだろうに、人に言われるまでは食べない。賢くなったもんだ。


『では、契約もできたし作戦会議です!我々の最終目的はレトリアとエンデエルデの停止ですが、その前にまず過激派を止めなくてはなりません!何も分かってないし手段を選ばないバカゲキ派が種をばらまき人間の不完全な天使化を推し進めたら、ゲート発生要因である次元の歪みが暴走して最悪の場合天の国への道が閉ざされてしまいます!』


 “種”とはユークも言っていた奴か。ユークとは表現は違うが要するに過激派の持っているウイルス爆弾のようなものが、人間にもアンヌ・ダーターにとってもやばいヤツらしい。


「んで、それをこのロケットで止めると」

『はい!過激派たちは現在防御次元上空のハダプ境目に新たなゲートを増設中です。しかし戦艦も通れる規模のゲートを直に開通するとなると時間も労力もかかります。そこで以前ゲートを開いた痕跡がある場所を経由してラプセル内に人間たちを一旦下ろして、その人間たちの力を使役して巨大なゲートを作ろうと計画しています。今私たちが向かっているのはその経由地である海底遺跡です。人間たちを取り戻し、戦艦の目論見を打破するならそこしかありません!』


「中継地点での補給を断つようなものか……」

「戦艦?今戦艦って言った?そんなのと戦うなら俺途中で降りるよ?」

「マツバ……」


『大丈夫ですよ~戦艦はまだこっち側に来られませんから。やっていただくのはバロルクとマツバさんのフラルを使っての、ゲート内事象の地平面の切断です!そこを切断さえすれば戦艦は人間を放ってでも向こう側に退却せざるを得ません!正面切って戦う必要はありません、工事のお手伝いだと思ってください!』


【……一切信用できないが、他に方法はない。マツバ、行けるか?】

【大佐が乗り気になってくれたなら。まあ地上に戻るまでの辛抱だ】

 ラムノと相槌を打ってから、俺は虚空に向かって返事をする。


「まあ仕方がない。ミルルクさんらがちゃんと援護してくれるってんならやりますよ。言っとくけど俺は操縦経験も戦闘経験もないからね、戦えないからね。免許は普通自動車しかないからね。一切期待しないでね」

「あのロケットのことは私には分からんが……マツバ、いざというときは私の後ろに下がれ。お前ならそれぐらいの判断はできるだろう」


『わあっ、お二人ともありがとうございます!三界がそろって平和になりましたら、ぜひ私からもお礼をさせてください!人の国が守られてこその天の国ですから!』

「……なぁ、天の国ってどんなところなんだ?」

 無邪気にはしゃぐミルルクの声を聞いて、不意に尋ねてみたくなった。


『それが……人間の皆さんに教えてあげたくても、誰も覚えてないんですよ~天使たちは天の国にいた痕跡を全部消さないと降りて来られませんから。痕跡を消す難度によって階級は変化するので階級がある意味痕跡ですが。私は十年前に死んだばっかりだから、まだまだ新米の下級天使です!』


 天の国から人の国へと逆戻りする、本来ならあらざることの代償か。

 組織としては不安定で、分裂してしまうのも当然だと頷ける。

 ラムノが重苦しい顔に戻って走り書きする。

【……これだけは聖典のレトリア様の記述とも一致する。レトリア様も、天の国から人の国に降りるために記憶を消されたのだ】



『さあさあ、お二人ともアムリタはちゃんと飲みましたか?目的地に着きましたよ!ここからはバロルクに乗って移動してください』

 円柱型の白いロケットにしか見えないこれが、かつて世界を脅かす兵器の原型だったと言う。ただし、これは胴体部分でしかないとのこと。

 ラムノが不思議そうにぺたぺた触っても無反応だったのが、俺が近づいた途端スーッと壁が割れてコックピットが現れた。

 操縦席の後方でラムノが何やらごそごそ動いて、補助席のようなものを組み立てだした。流石こういうのに詳しい。


『先ほどは完全自動操縦でしたが、実際の操縦もマツバさんの脳波に合わせて動くから簡単です!操縦桿は動きの微調整用ですね~試しにあのお魚に近づいてみましょうか!』

「魚?」


 そう言われた途端に霧の中のように薄暗かった外の景色に、光の線が何本も走り、それからパッと電気を消すように何もかも真っ暗になって見えなくなった。


 が、徐々に徐々に、上から灯りが降りて周囲が照らされる。

 太陽と見紛うその球体が、鰓を忙しなく動かす。

 光る深海魚だった。




 〇 〇 〇




 円盤とそこから伸びる花弁のような翼で椀の形を描く、普段の優美なティルノグの姿はどこにもない。

 花弁が凹んで中からレーザー砲塔がずらりと出てくる。



 四方八方全方向を熱線で串刺しにする粛清兵器、色が純白であること以外はレトリアの“鎧”とよく似ている。

 完全戦闘態勢に変形したティルノグに、助祭以下の位階の搭乗は許されない。

 当番だろうが何だろうが関係なく避難区域へ降ろされて、代わりにティルノグ分機操縦資格“裁司”を持つごく限られた司祭たちがラプセル全土から招集されて乗り込む。


 有事の際ティルノグは中央の円盤から花弁を切り離し、花弁の操縦は軍とも違う特殊な訓練を受けた裁司のみがチームを組んで任される。

 今はまだ、通路一つを残してぎりぎり繋がった状態を保っていた。



「最近食べ過ぎてしまいましたから、頑張らないと~。いい運動になってくれればいいのですが~」


 そう言って、キルノは慣れた手つきで照準用ヘッドセットを装備した。艶やかに輝く金髪を仕舞い込む。


 エンデエルデを目指し北上を続けていたティルノグは、カタリン郊外病院でレトリアを回収後、急遽防御次元中央上空へときびすを返した。

 薄灰色の雪雲が黒い雨雲に変わり、ますますラトーと見分けがつかなくなる。


 雪はもう降りそうにない。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る