第52話 Who are you?




『最初のラトーはトイヒクメルクの贄として、フラル回路に幽閉され続けた兵士たちの成れの果てでした。身体を粒子レベルでバラバラにされた彼らは、シュヴァルツクライハンガーの種──もうこの時点ではカラクタと呼んだ方が適切ですね──が吸収した天の花のエネルギーで再構築されました。でもそれは、禁忌の融合の果てに、かつての人間の頃とは外見も中身も全く異なっていました』


 ラトーたちが次々と“天の花”から飛び立つ。

 流石にそこからラトーが人々を殺し回る映像は流れなかった。代わりに、無造作にテーブルの上に転がったカラクタが出てくる。


『天の花から飛び立ったラトーは大地を、海を触手で汚していきました。人を殺し回りました。死体や肉片にカラクタを、ドッジボールのように



『しかしそう単純にはいきません。ラトーは人々を殺しただけではなく、。記憶、人格、遺伝情報、全てを吸収して、人間側とラトー側に分かれてしまいました』


 さっきのモザイクまみれの映像がフラッシュバックのように戻って来た。


『ラトーは呪われた身体をことはできましたが、カラクタからは逃れられませんでした。殺した相手に成り代わり、自分こそラトーに襲われた人間たちだと思い込んでも、カラクタは心臓に喰いこみ続けました。カラクタを持つ親の情報を元に、また新しくカラクタを持つ子供がこの十年間生まれ続けました』


『殺された人間は記憶、人格、遺伝情報、自己同一性全てを奪われてラトーの身体に閉じ込められました。ラトーの殺人衝動は、身体を返して、という切なる叫びなのです』


『この十年間に死んで埋葬された元ラトーの人々も、消滅した元人々のラトーも、身体が灰と煙になってもフラル回路に閉じ込められたままです。カラクタがレトリアの支配下のラプセルにある限り、貴方たちは自由になれません。偽りの死を与えられて、身体を失ったまま怨霊と化すだけ』


『そんなの嘘だと皆さんは思うでしょう。十年前の襲撃で即死した人数は、ラプセル人口の二千分の一の約二万五千人。殺された記憶なんかないラプセル側の生き残った人々が、記憶も身体も地続きのものだと信じるのは当然です』


 半透明に煌めくカラクタの中へと入っていく。



『答えは単純。だけです。トイヒクメルクに洗脳されたレトリア、そのレトリアの記憶や思考を元に作られた、偽の聖典に』


『本当は一度皆死んだのです。世界はラトーに。ラプセルは、レトリアに殺されて』



『トイヒクメルクはレトリア二体がそれぞれ保持していた人の国を天の国へ導くエネルギーを、世界を二つに分けるために悪用しました。邪魔な全世界と神への道の破壊と、傀儡国家ラプセルの創世に』


『ラプセル以外の人間は、神の救済が間に合ってラトーと共に天の国へと導かれましたが、ラプセルは……。我々の世界側のレトリアの“熱的死亡”によって真の世界から切り取られたラプセルの皆さんは、神の救済が届きませんでした』


『世界が二つに分かれて間もなく、囚われたラプセルを救うために、神の代行組織“天使”が結成されました』


『我々天使は、人の国に最も近い場所に留まっていた魂です。この場合の近い場所というのは距離ではなく時間です。我々のほとんどは、十年前に神に救済されたばかりの元人間と元ラトーたちになります』


 青い無機質な空間。宇宙よりは明るいが、青空よりは暗い。たくさんの光る板のようなものが円を描いて回る光景。


『我々が選ばれたのは、天の国で完全に清められた後の魂よりも人の国にアクセスしやすい“残滓”が残っているからです。階級が低いほど人間に近いため、最前線で戦う名誉が与えられます』


『我々は不毛な殺し合いを続ける皆さんを救済すべく、神に代わって降臨いたしました。天使、人間、そしてラトー、元をただせば全て同じ存在なのです』


『突然世界が逆になったような事実を聞かされて、さぞ辛いでしょう。悲しいでしょう。苦しいでしょう。嘘だと思いたいでしょう。しかし事実なのです』




『証拠は?証拠はラプセルの皆さん自身です。我々は義体なしでは直接ラプセルに行くことは叶いません。こちらの世界側の証拠も皆さんには信じてもらえないでしょう。ですから皆さんの記憶に直接呼びかけます』


『この映像には知覚できない程度に、旧世界の聖典の文章が刻まれています。レトリアに改ざんされた偽聖典の呪いを解くために気付かれない程度にほんの一瞬ずつの文字列と音声を、少しずつ。そろそろ効果が出てくる頃だと思います』



 サブリミナル!

 無意識下に刷り込みを与える洗脳技術に、無関係の異邦人である俺もとっさに防衛反応で目を閉じてしまう。

 しかしミルルクが脳に直接流し込んでくる映像に、そんなものの意味はない。



『これは洗脳ではありません。洗脳を解くための技法です。今いる偽りのラプセルと自分との間に生じるズレにほんの少し苦しむかもしれませんが、やがて人智を超えた天からの至福を感じられる筈です』


 どこまでも続く終わりのない青い空間。爆風と共に海に沈んで消えていく古城。暗闇の底、光る深海。


『オンリン一族の自滅──神の対抗措置──我々天使は遠くからの観測と演算で得られた限られた資料から、トイヒクメルクの最終目的と阻止可能性を徹底的に調べ──潜伏──時空虚数化式のエネルギー源、代償に時空を無にする──』


 波しぶきに見えたのは全て人、白い波濤は骨で、水面は髪。


『先遣隊アンヌ・ダーター──天の国から、苦楽を含めたあらゆる混沌カオスが渦巻いている人の国・宇宙空間へのダイブはショックが──分裂、意見の不一致──』



 ふと、ここまでされてラムノがずっと静かなのが逆に不気味になってきた。

 黒い煙に覆い尽くされた映像の中で、姿を探してみる。小さな、ほぼ口の中で呟いているだけの声が途切れ途切れに聞こえてくる。




「違う、違うんだキルノ……。私は、あの人は、信じてくれ、信じて…………お願い……」


 ラムノは泣いていた。


 頭を抱えてうつむいて、結んだ髪がふるふる揺れる。振り絞る声は震えていた。

 下唇を噛み過ぎて、血が出ている。

 目をぎゅっと瞑っても、映像からは逃れられない。唇を噛み切っても、滲む涙を止められない。



『天の国へと導かれたのは──ラプセルの皆さんの犠牲があったからこそなのです。見捨てることは許され──レトリアを止めないと、今度こそ天の国も何もかも──』


 どこまでも続く花畑と水晶の宮殿。天へと昇っていくかがり火。

 首のないレトリアの身体。


『エンデエルデが発動してしまえば──ハダプは──』


 映像と音声の洪水は全てを押し流さんばかりに続いていく。



 だが俺なら、サブリミナルの影響がない俺なら止める方法を知っている。

 すーっと深呼吸して、からの絶叫。



「あーあー、じっとして話聞いてたらすっげートイレ行きたくなってきたなー!」


「ラ~~~!?」

『ふえっ?』


「我慢できない!ションベン出る!出る!出していい?トイレ!ションベン!おしっこ!」

「ラァ!ラァラァ!」


『わっ、わああああああ!やめてください!今トイレ用意しますから!ストップ、ストーップ!』


『二十年前──試験体──バロルクの起源────』


 ミルルクの慌てた声とともに映像や音声がより一層ぐちゃぐちゃになり、全ての情報がパッと消え去った。静寂が広がる。



 あー、すっきりした。


 しかし天使どものこのプロパガンダが全部事実だって言うなら、なんで地球から連れて来られた俺にまでカラクタがあるんだ?





 〇 〇 〇





「じゃあこれが、このフラルとカラクタが、俺たち人間が元ラトーだっていう証拠だっていうのか……!?」


「そうだ、君は不幸だが幸運だ。スタンツの次にただ一人残酷な真実を告げられたが、スタンツの次に真っ先に除去手術を受けることができる。君の家族たちは別室で安静にしてもらっているが、落ち着き次第係の者が案内に向かおう」


 ウロヌスはさっきから眩しくて目をしぱしぱさせっぱなしだった。

 目の前にいる人物がとにかく眩しい。シャハトと名乗る彼の首から上は光でできていた。体型は標準的な成人男性といったところだが、ゆったりとしたローブの下はどうなってるのかさっぱり掴めない。声も特徴がない。温度や個性といったものが一切省かれている。


 二人の後ろには機械でできているらしいそっくり同じ身体の兵が二列に並んで、広い円形ドーム状の部屋のほとんどを占めている。

 分厚い鎧を着ているので兵士だと思うが、ウロヌスを脅かさないためか必要ないのか武器のようなものは見当たらない。


 神々しい、という感覚はこういうものを指すんだろうか、ウロヌスはぼんやり考えた。

 レトリアの戦闘や、ティルノグを直に見たときの畏怖を思い起こす。





 あの後大量の光線、眩しいだけで有害ではない、が降り注ぎ、閉じ込められていたウロヌスたちは救助艇に船ごと引き上げられた。


 ダイヤモンドを散りばめたような銀を帯びた乳白色の坂道を滑らかに駆け上がり、仄暗い機械の絶壁に挟まれた場所を抜けると上下左右に扉がずらりと並ぶ球形の広大な空間を渡る通路に繋がった。

 あたたかな光が降り注ぐ白い世界に、ティルノグの外観を思い出すとウロヌスが率直な感想を呟くと、

「このマグメルもティルノグも神からの贈り物、姉妹艦のようなものだ。もちろんマグメルの方が優秀だがね」とそばにいた機械兵に教えられた。





 シャハトが斜め上、中二階ぐらいの位置にある扉を指差す。


「あの扉の向こうが手術室だ。君は事故で即死状態だったスタンツより複雑だが、我々とずっと近距離な分スムーズにできるだろう。さあ、行って楽にしてもらいたまえ」


 スタンツの断末魔がウロヌスの耳に蘇る。

 あの後スタンツは天の国へ導かれたから心配はないと説明?は受けたが、自分の目で見るまで信じることができない性のウロヌスには手術を受ける決め手にはまだ足りなかった。

 第一まずは現世に戻りたいが、ここの天使とやらがそれを許してくれるかどうか。


「ああ、まあ……ちょっと待ってもらっていいかい?一服したくて仕方がない」


「ふむ、よかろう。それが終わったら、近くの者に声をかけてくれ。私は仕事があるのでまた手術後に会おう」





 通路に出たシャハトのそばに光球が飛んでくる。

 シャハトとは違って人型の義体はついていない。


7シャハト様、アンヌ・ダーターのコードキーが特定できました。追撃しますか?このまま泳がせますか?』


「どちらにせよ大した影響はあるまい。我々の作戦の邪魔をせずに引っ込んでくれたならそれでいい。二十年前からラトーが人の国に出ていたなんて、仮に事実だとしても今さらそれで何が変わる。バロルクも単機ではここまで来れない。取るに足らないことに力を割くべきではない」


『では監視フラルを外に待機させたまま放置で。それからシフォンが回収した人間たち二千名ですが……本当に一人一人起こしてから手術を受けさせるのですか?マニュアル通り夢の中から語りかけてあげた方が、彼らの負担も少ないかと……』


「私のやり方が不満か?」


『いえ、滅相もございません!ただシャハト様ほどのお方が、何故わざわざ人間にお会いになられるのか私には理解が及ばなくて……』

「お前が戸惑うのはモットモだ 99ノハヌイ。特に深い理由はないのだよ、ただ人間の観察を楽しんでいるだけだ。どうも人の国の空気に触れると、多かれ少なかれ欲求にも感染してしまうらしい」

『よ、欲求ですか?』


「ああ、心配はいらない。私なら人間たちに近づいても欲求でけがれたりはしない、此度の指揮官に私が選出されたのもそれが理由だ。下級天使ばかりに重責を負わす訳にはいかない、彼らには保護者が必要だ」

『確かに……エラーが多発して二次遭難したアンヌ・ダーター以外にも、ダイブからまだ回復しきっていない者も少なくありませんものね』


「うむ、天使には人間を不必要に蔑む者も多いが元々は天の国の魂も人間だ。私から見れば人間とラトーの混ざり物も、十年前に天の国に入った新入りも、三百二十年前に天の国に来たお前も、等しく守るべき存在なのだよ」

『そ、そうですか……私は彼らを蔑むつもりはありませんが哀れだと思いますね、酷く。神の祝福から遠ざけられた者たち……』

「そう、さっきの男も哀れだったよ。無意味に肥えて、着飾って、そのくせ怯えて……。手術の決心さえつけばあの人間も、スタンツのように迷いなく天の国へ行けるだろう」





 99との通信後、指揮官室に戻った7に今度はシフォンからの通信が入った。


『第二層シフォン、只今帰投いたしました。時限フラルの配置後、交戦状態にあったラトーの一部と、人間の軍隊の大部分を保護。変換部に引き渡しました』


「よくやった、シフォン。次の計画に移る。お前たちが時間を稼いでくれたおかげで、レトリアを“再構築”する準備が整った。禁忌の兵器バロルクをってしても、今のエネルギー肥大化状態のレトリアを破壊することは難しい。そのエネルギーを逆に利用して、レトリア自身に悪性部分を切除してもらう方が成功確率は高い」

『! では、いよいよ……!』


「うむ、引き続きお前にはラプセルでのの役に当たってもらう。ラプセルに制約なしで入り込めるお前たち“二六の鋏”にしかできない最後の任務だ。指示が入るまで待機しておくように」

『はっ!仰せのままに!』



 円い舷窓の外、次元干渉機を搭載した潜航艦が三機エメラルドグリーンの空間に飛び立っていく。

 天使たちが十年かけて開通、固定させたワームホールを抜けてラプセル側の宇宙へ。

 エンジンノズルから溢れるフラルとアンチ・フラルの分解波が、ゲート内に稲妻のような爪痕を残しては徐々に冷えて消えていった。



「戦争が醜いのではない。人間が醜いのだ」


 7は一人、無感動に呟いた。



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