第50話 十年前




『今からお話する歴史は、ラプセルで語られているそれとは大きく異なります。厄介なのはどちらの歴史も真実だということです。矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、神の力を奪った敵はそれほど邪悪で、凶暴な存在なのです。世界一個を丸ごと複製し思うがままに定める……一たびその籠の中に放り込まれれば、もう気付く術はありません』


 ラプセル人を対象にして製作されたらしい映像が、ラプセルの景色を次々と映し出す。

 街路樹に照らされた街を歩く人々、ケーキが入った箱のような工場と周りを彩る花畑、山脈と青い海原、どこまでも続く草原にジャングルに砂漠に、一斉に滑走路から飛び立つ戦闘機、目まぐるしく移り変わってから最後に火葬場に集まる黒い服を着た人々を見下ろす形で止まった。



『人間の皆さん、死ぬのは怖いですか?』



『戦争、病気や事故による不慮の死で人生が断ち切られることは、不幸で悲しいことです。しかし時に、天寿を全うし、子や孫に見守られて迎える最上級の終焉でさえ、死を恐れ怯えることがあるといいます。死ねば天の国へ行くと約束されているのに、死への恐怖は、生への執着は、いったいどこからやって来るのでしょうか』


『答えは一つ。今の人間には、死ぬことも、天の国へ行くことも許されていないからです』


『十年前、たくさんの人がラトーに殺されて命を落としました。今から彼らが死後にどうなったかをお見せします。トラウマへの刺激を抑えるためほとんどはモザイクをかけて遠くから撮影していますが、内容は十分伝わるものかと思います』


 どす黒く染まった空と瓦礫の山の下に、どれも汚い色をしたモザイクが乱雑に散りばめられている。

 モザイクの一欠片に縋りついて泣いている、生きた老人だけが動いていた。


 老人が泣いて頬をすり寄せているモザイクはくすんだ黄色と赤色だったが、だんだんと色彩を失い黒に染まっていった。他のモザイクもみるみる黒色に移り変わっていく。老人は黒い海に溺れて飲み込まれているような姿になった。

 やがて老人が頬をすり寄せていたモザイクから、触手のような黒が溢れ出す。老人の首に巻きついた途端、老人も黒いモザイクに切り替わった。

次の瞬間全てのモザイクが外されて、黒い海が蠢く姿が鮮明に映った。

 底から二対のぎょろぎょろとした眼球が無数に浮かび上がり、黒い塊が飛び出してくる。


 死体の山からラトーの群れが生まれて、次々と空を目指して飛び去っていった。


『十年前に死んだ人は皆ラトーに変化し、空に飛び立っていきました』


 映像が雲と雲の間を飛んでいるラトーの群れに切り替わる。雲から崩れ落ちて地面に突き刺さった高層ビルの隙間へと降りていき、地面に触手を下ろす。


 ラトーの黒い触手に、白い粒々がずらりと並ぶ。それから肌色に近い色がどんどん増えていき、ところどころ赤く染まり出した。

 モザイク越しでも十分分かる。病院を襲ったあの四つん這いの肉塊の化け物にそっくりだった。

 肌色以外の色も増えてきた。服や靴の色らしい。

 ずるりずるりと、街を埋め尽くしていた肉塊が人間一人の大きさに千切れていく。

 肉塊には生者も死者も混じっていて、生者の方はモザイクが取れたが、死者や死にかけた身体からはモザイクは永遠に取れなかった。


『十年前に全世界を襲撃したラトーは地面に降りて、生きた人間や死んだ人間に変化しました』


【痛い!痛いよおおおおお!!】

【どこだ!どこにいるんだ!返事してくれ!】

【あの化け物がぁ!うちの子を……よくもうちの子を!!】


『さっきまでラトーだった人々は、自分たちがそのラトーだったことなど完全に忘れて、ラトーを憎むようになりました』


『こうしてラトーは人類になり、人類はラトーになりました。人類とラトーは、本来同一の存在だったのです』



「……ふざけるな!今すぐこのくだらないプロパガンダを消せ!」

 顔面蒼白になったラムノが叫ぶ。


「私は二十三年前にラプセルで生まれた!ずっと人間として生きてきた!私は人間だ!ずっと……!」

 眉が震え、青い目が戦慄わなないている。それは怒りではなく恐怖から来る表情だった。

「これは虚構だ!お前たちの作り話に耳を貸したりはしない……!」



『これを見た人間の皆さんは、不思議に思っているでしょう。この映像は間違っている。自分は十年以上前から変わらず人間として生きてきた。十年前にラトーと入れ替わったなんてありえない……と』


 ラムノを無視して流れる声は、皮肉にもラムノの反応を見越したように話を続ける。


『確かにこの映像はラプセルで撮影されたものではありません。かつての我々の世界、レトリアが死んだ方の世界で撮影されたものです。ですが、ラプセルでも全く同じことが起きたと推測されています』


 再び串刺しになったレトリアの映像。

 それから真っ白いビルが整然と立ち並ぶ、無機質な街の映像が出てきた。ラプセルの映像のような人も車も出てこず、時が止まったように静まりかえっている。



『真相を知るには、さらに約二百五十年前まで遡らなくてはなりません。世界の入れ替わり──大きなマクロの話から、今度は人体のミクロな話に移ります』


『かつて、トイヒクメルクという帝国がありました。トイヒクメルクの夢は人間よりも安価で、機械よりも強くて、人間のような反乱も機械のようなエラーも起こさない、スイッチ一つでかしづく不死身の奴隷兵士の開発でした』


『そして、その夢は半分だけ叶いました。トイヒクメルクの兵士は、身体をホログラムの揺らいだ存在にすることで、二度と自分の意志では死ねない身体にされました。どういうことかといいますと、まずトンネル効果についてお話する必要があります』


『貴方たち人間を構成する物質の最小単位粒子は極めて脆く曖昧で、神の御加護によって初めて存在を証明することができます。あまりにも小さく脆い粒子は、ごくまれに音波のような形のない存在になって壁すら通り抜けることすらあります。聖典で冤罪で投獄されたスンドンという男が、神の御加護で分厚い壁をすり抜けて脱獄したという逸話があったでしょう。

あれも、神がスンドンを構成する全粒子の存在確率を操作した故にできたお話なのです』


『しかし一般的な科学においてトンネル効果ですり抜けられる壁というのは、通常私たちがイメージする目に見える物理的な壁ではなく、小さすぎて不確かな粒子がその場所に存在するか非存在するかどうかの“定義”の壁を意味します。粒子の存在が脆く曖昧なのは物質として集まる前のミクロな状態のみです。神の御加護で一度形を定められた物質をミクロレベルでバラバラにして、再度元の物質に戻す……なんて御業はそれこそ神にしか不可能でした』


『ところがあろうことかトイヒクメルクは神の力を奪い、人間を粒子のごとく揺らいだ存在に歪めました。バラバラになった人間を再度元の状態に戻すことを可能にしてしまったのです。我々は、トイヒクメルクこそが神が弱体化した原因であろうと睨んでいます』


『トンネル効果を応用したナノマシンが、名もなき兵士たちに注射されていきました。最初に血流に乗せて心臓の近くまでナノマシンを運びます。

このナノマシンは心臓の筋肉と同化し、そこから読み取った情報でそっくりそのままの心臓をもう一つ複製します。この偽の心臓、記録では“シュヴァルツクライハンガーの種”という通称が残されています。恐らく開発責任者の名前でしょう。この第二の心臓が兵士たちの命の源になります』


『たとえば走っている兵士が脚を銃で撃たれたとします。血と肉が飛び散りますが、ほぼ同時に元の姿に戻り何事もなかったかのように走り続けます。このときミクロレベルでは破壊されて飛び散った部分の粒子が、シュヴァルツクライハンガーの種に呼び戻されて定位置に帰っていく現象が起きています。これにより彼の肉体は代謝等自発的な生命活動を除いた、外部の破壊や影響を一切受け付けなくなりました。シュヴァルツクライハンガーの種自身も、破壊されると同時に再生することが可能です』


『無傷の兵士は作れませんでしたが、死なない兵士は作れました。兵士たちは死んでも死んでも、何度バラバラになっても蘇ります。肉体は無傷でも精神的なダメージは蓄積されていきますが、限界が来る前に脳の粒子もリセットされて記憶が消去され続けました。そのうち体温による熱エネルギーの伝導で、服や武器も付属品と見なされて復元されるようになりました。シュヴァルツクライハンガーの種の大元のスイッチを握っているのは彼の上官です。不要になったらスイッチ一つで永遠にバラバラにできます。処分の手間も省けました』


 説明の間兵士の肉が砕けて血が噴き出し、時を巻き戻すように血が傷口に吸い込まれて傷口が肉で埋められて元に戻る様子が、何度も何度も繰り返し再生され続けた。十年前と直接関係がなければどうでもいいのか、モザイクはどこにもなかった。



『ここまで来たら勘付く人もいるかもしれません。そうです。このシュヴァルツクライハンガーの種こそが、今のラプセルの皆さんを苦しめている死と苦痛の病カラクタの原初の姿なのです』



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