第48.5話 回収




 ラトーの波が不規則に蠢いて、空全体がゼリーのようにぐにゃぐにゃしている。

 レトリアはラトーの群れを突き抜けて、空高く飛び上がった。ラトーのスピードがそれを上回り、完全な球と化してレトリアを包み込んだ。レトリアの花弁が何回もラトーの海を焼き払うが、根こそぎとまではいかずすぐに上空から次のラトーたちが降り注ぐ。

 レトリアの敵ではないが、壁として甚だしく邪魔だった。


「ラトの進化のペースがおかしい。通常だと自壊するだけだが、このまま更に空軍や海軍どもを取り込まれたら防御次元やエンデエルデ諸共崩壊する──」

 単細胞生物が共生の道を選び、多細胞生物に進化する過程に似ていた。

 一個一個は単細胞に過ぎなかったラトーが、連結して神経情報の伝達速度を飛躍的に向上させて効率よくレトリアを妨害する。

「いや、この程度で手間取るなんて、おかしいのは私の方か……」


 赤い雷が何度も何度も空を覆う。

 “鎧”を使うより、花弁が剥き出しになった右腕を直接ラトーの群れに突っ込んだ方が速い。放出したエネルギーを集合体に伝播でんぱさせ、大爆発を巻き起こす。

 雪を降らそうとしていた雲まで巻き添えで散り散りになった。

 さっきまで病院だった瓦礫が今度は花畑の方まで吹っ飛んで、そこら中の土と草を抉り取った。爆風が巻き起こり、海の方では津波が盛り上がって海面を引き裂いた。


 ラトーを散らして空を突き進むの繰り返し。目指すはスグルを逃がした空の盲点、ゲートの残滓。

 だが敵は真上だけではなかった。傘の形に広がったラトーの端が逃げ延びて、空軍の現最前線目指して触手を降ろし始めた。


「させるか!」


 レトリアが蔦のように変形して曲がりくねった右腕を赤く光らせる。人間に似た歯を食いしばり、死んだように凍りついた目を殺意で燃え上がらせる。

 しかしそれは、不発に終わった。


「レトリア様!」


 ユークの次元樹がラトーを一斉に貫き、ティルノグの援護射撃が続いた。


「ユーク……何故ここに来た!防御次元から出るな!」

「このラトーは全部おとりです!ここで足止めされている間に、別のゲートから防御次元を突破されれば終いです!」


 吠えるレトリアに反論しつつ、ユークはレトリアの現状を確認する。

 右肩の部分から蛍火のようにこぼれ出る燐光、砥がれた牙のように鋭い右腕に反して黒い裾に覆われて細いままの左腕は小刻みに震えている。度重なる高エネルギー出力で限界が近づいているのを、必死に押し殺しているのは明白だった。

(人間形態が剥がれて、機械形態が剥き出しになっている。この状態が続けば不味い……)


「そんなことは分かっている!私が二六の鋏を追っている間に、防御次元内から挟み撃ちにしろ!」

「……お言葉ですがレトリア様、作戦の変更を進言に参りました。鋏はエンデエルデ破壊より先に、人類を取り込む方に優先して動いたようです……このままだと鋏をおびき寄せる前に我々が分断されて防御次元が崩壊します」

「……!」

「重力波が著しいペースで増幅しています、上級天使も可能な限り接近しているかと」

「……そう来たか。ならばティルノグで直接ゲートに乗り込んで叩くぞ、速度を出せ。軍に撤退の指示は出しただろうな」

「いいえ、その前に──失礼します」


 ティルノグのデッキ先頭に立っていたユークが、フラルタイルを発してレトリアとの距離を詰めた。レトリアがはっとした時にはユークの手が背中と膝の裏に回って、両腕に抱えあげられていた。


「何をっ……」

「剪定室に向かいます、レトリア様。二六の鋏の目的はあなたを消耗させて肝心な時に戦えなくすること。その前に一度剪定しましょう」


「離せ!すぐにまた次のラトが来る!」

「問題ないと思っているうちが一番危ないのです。ラトーの侵攻はティルノグと軍で防ぎます。レトリア様はその間に剪定を」

「軍だと!?この量、一度死ねばそれきりの役立たずどもに任せられるか!」


 レトリアが血相を変えてユークを睨みつける。子犬のように真っ白な犬歯を食いしばり、今にも噛みつかんばかりの勢いだがユークは怯まない。


「十年前のようにはさせません。既に仕込みは済ませてあります」

「仕込み?」

「はい、上級天使は二六の鋏に作戦の全貌を明かしておりません。それを逆手に取ってこちらも彼らを分断させます。私の狙い通りの場所に鋏が次のゲートを開いたら、ラトーも鋏も一網打尽できるかと。そのため、軍には防戦しながら少しずつ撤退するように指示を送りました」

「……お前の意図は分かった。分かったからもう降ろせ!私をリリカのような小娘と同じに扱うな!」


 頭上では相も変わらず“鎧”が業火を放っているが、レトリア本体はもはやユークの腕の中で力なくジタバタするのみだった。


「今はそんなことを言っている場合ではありません。私を振り払うことさえできない危険な状態です、万全を期すためにはおとなしくしていてください」

「ぐううっ……」

 言い返す言葉を失い不機嫌さ全開のレトリアをユークは見下ろす。

 血から脂を漉し取って冷やしたようにどぎつい花弁の色彩とティルノグから放たれる砲弾の影が、見つめ合う二人の赤い目と黒い目をそれぞれ彩った。


「どうか今だけは信じてください。人類と、私を」



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