第48話 侵食




 ユーク・オンリン。レトリア同様、テレビや写真で見かけたことがある。

 レトリア・フラウシュトラスの側近であり、神樹の守り手オンリン一族唯一の生き残り。


 十年前に大規模な改造手術を受けており、生身の常人にはたどり着けない域のフラルが使える。ラプセルの再生医療は地球より数段進んでいるが、その中でもありえないレベルのちょっとしたサイボーグの域に達している存在らしい。

 まだ十九か二十歳ぐらいだがレトリアの次に偉い、超偉いし超強いとされている人物だ。


 白の礼服の上に羽織った黒いマントは一見簡素でありながら、ところどころ金色の透かし刺繍が煌めいている。

 遠くから見た感想だが手間暇かけた特注品というよりは、誰かが心を込めて丁寧に織ったような刺繍に見えた。

 それは特別な身分や見た目の強さというよりは、意思の強さに圧倒される佇まいだった。


「あなたは確か……」

「ジュハロ空軍基地所属司令部副官、第3航空団第2飛行隊隊長ラムノ・プフシュリテと申します!」


 最敬礼をするラムノを見て、思い出したと言うようにユークが頷く。

「ああ、これは失礼。昨年勲章をお贈りしましたね。ご活躍はよく聞いております」

「レトリア様に最も近い、最前線の防衛という重要任務を任せられたにも関わらず、私の力不足でラトーとの交戦中に部隊をさらわれこのような事態に……誠に申し訳ございません!」

「顔を上げてください。無人機のほとんどを使用不能にされた中で、よく奮闘してくれました。後のことは私がやりますから、早くあのゲートから地上に戻りましょう」

「ゲート……?」


 ユークが指さす方向を見ると逆さにぶら下がった花々の前に、ぽっかりと円形の穴が開いている。

 人一人丸々入れるぐらいのそれは底なしに真っ黒な空間と、眩しい真っ白な空間が縞々に果てしなく連なっている。


「彼らの瞬間移動能力は脅威ですが、万能ではありません。彼らが移動に使う通称“ゲート”はブラックホールに近いものと推測されています。今まではラトーの襲撃頼りでしたが、ブラックホールを発生させ生物が通れるようになるまで制御する術を得たようです。ただし、彼らはゲートを作り出すことはできても自由に消し去ることはできません。自然に自壊するのを待つしかないのです。ですからしばらくの間は閉じて見えなくなっているだけで、また使うことができます。私も放置されていたあれを通ってここへ駆けつけました」

「そんな……これからの戦いは、どうなっていくのでしょうか?奴らがラプセルに侵入するのを止めるにはどうすれば……」

「大丈夫です、彼らの力の大元は掴めました。それを破壊さえすればゲートは発生しなくなります。私があの人間体を追いますから、プフシュリテ大佐は先に戻って避難のお手伝いを──」


「自分にも追わせてください!!」


「今、何と?」

 ラムノの発言に、ユークの眉が険しくなる。

「身勝手な申し出であることは、承知しております……自分の目の前で避難民と、自分が責任を持って預かっていた連隊をさらわれました……。ですが、彼らがまだ生存していることは分かっています!部下がフラルのハーブで行方を発信してくれています。そのハーブをたどれるのは、自分だけです……」


「しかし、ここから先はラトーを相手にするのとは訳が違います。万が一、救助に向かった大佐まで囚われてしまっては、レトリア様に申し訳が……」

「ユーク様が離れれば離れるほど、防御次元は弱まると聞いております。深追いは民を危険にさらすことにもなるかと……!」


 ラムノに背を向けてユークは考え込む。


「ラ~……」

「しーっ!静かにしてろ!」

 腕に抱えているラーが静寂を破り、俺は慌てて口を塞いだ。

 それにしてもさっきからやたら鼻がむずむずする。

 花びらの一枚一枚が俺の背丈ほどある逆さに伸びた花たちは、どうしてこんなに大きく育ったのだろう。


「……私は、ガルダで彼らの“種”を撃ち落とすつもりでした」

「種……?」

「簡単に言うと、ラトーがばらまく毒をより強力にした奴です。彼ら侵略者がラプセルを自分たちの住みよい環境に汚染するための特殊な兵器です。種を射出するための小型カタパルトを最優先で破壊しなくてはなりません。カタパルトを搭載した戦艦が現れるゲートのおおよその場所……ハダプの境目までは特定できましたが、さらなる位置特定のためにはもう少し近づく必要があります」

「では……自分がガルダのユエ方を運搬いたします!隊を取り戻しましたら、隊員たちも力になります!」



「お気持ちはありがたいが、リスクが大きすぎます。ガルダとは非常に不自由な武器で、距離が広がるほどずれが生じやすくなる。そもそも動く相手には不向きだ。理論上はどんな遠い距離の敵も撃てますが、私が至近距離まで近づいて仕留めるための武器なのです。位置測定に路の調整および固定……さらに相手は未知の敵です。あなたには到底任せられません」


「う……」

 ラムノが言葉を詰まらせたそのときだった。



「ラァ~……!」

 ラーがさっきよりも大きな声で鳴いた。不味い、ユークに聞こえたかもしれない。

「だから静かにしてろよ!ラー、マジで今日どうしたんだ?」

 あちこち移動したからストレスで体調を崩したのだろうか。猫や犬もそういうことが起きるとは聞くが、今のラーは殊更に変だった。

 落ち着かなさそうに触手をじたばたさせてはやたら悲しそうに、寂しそうに鳴く。

「ラァ……」

「ぶえっくしょい!!」


 しまった。ラーの鳴き声を余裕で超える大きさのくしゃみが俺の口から出た。


「今のは……?」

「……!」

 とうとうユークに気付かれて、俺とラムノは顔面蒼白になった。

「ラトーが潜んでいるかもしれません!大佐は下がっているように」


「ララッ、ラ~~~!」

「しまっ──」

 俺の腕からラーが飛び出して、一目散に走り出す。

 ユークの目の前をはっきりと横切るが、俺もラムノも何もできない。

「待て!」


 ユークが駆け出して、ラーもユークも花の群れに紛れて見えなくなる。

 俺は反対方向の花の中に埋もれて身を隠すのに必死だった。

 息も詰まるような長い時間に感じたが、実際はずっと短かったかもしれない。


 突然、俺の真上にあった花が弾けて白や黄色や赤の粉が宙に舞った。

「どわっ!」

 慌てて別の花の下へ潜り込んだが、次々とぶら下がる花が破裂して色の洪水が巻き起こる。


 ラーを追っていたユークが戻って来た。

「大佐!急いでゲートに向かってください!」

「ユーク様!いったい何が……」

「亜空間の崩壊が始まりました。このまま制御が弱まれば我々も危うい。この進行の急な速さは……恐らくレトリア様が対峙している敵が関与しています。劣勢に追い込まれたのでゲートを巻き込む強硬手段に出たようです。このままだとさらわれた避難民への道も潰されて救助が間に合わなくなる恐れが……」

「そんな……!」


「こうなったらやむを得ません。プフシュリテ大佐、先ほどの提案を依頼してもよろしいでしょうか?私は先に、レトリア様の元へ向かわなくてはなりません。私がゲートとレトリア様の安全を確保するまでの間、代わりにあの人間体の追跡をお願いしたい」

「……!はい、仰せのままに!」


「ありがとうございます……心苦しいですが、ガルダのユエをプフシュリテ大佐、一時的にあなたに託します。ただし、後から私が追いつきます。くれぐれも無茶な判断はしないように、通信が届かなくなったり危険を感じることがあれば即座に撤退を」

「はい、承知いたしました!」


 敬礼してから速やかに走り去るラムノを見送りつつ、ユークも反対方向へ走り出す。

 途中、かすかに独り言が聞き取れた。


「……ラトーが何万、何千万、たとえ何億現れようが、それは何の問題にもならない。数は敵ではない。敵は、時間だ」





 〇 〇 〇





 それは異様な光景だった。


 幼い少女の小さな拳が、白い巨人であるバロルクをっている。

 バロルクは右腕が焼け焦げ、ガンブレードは地面に突き刺さったまま、仰向けになった胴体は装甲を剥がされ、大地にねじ伏せられて無惨な有り様だった。赤い蟻が、白い象を食い散らしていた。


「種はどこだ、言え」


 幼い少女が、それより二、三歳上に見える少年のいるコックピットを揺り動かしている。レトリアの拳がバロルクを打つ度に操縦席はぐるぐると回り、スグルは手足をあちこちにぶつけてアザを作った。

 冷たい冬の風が突き刺さるのに、どこにも逃げ場はない。

 それは悲惨な揺り籠だった。


「しっ、知るもんか、知ってても言うもんか!」

「お前が知らないなら片割れか、では片割れはどこだ」

 レトリアが一際強く打つと、コックピットの残ってた壁が吹っ飛んでいった。

「ひっ……!」

「殺さないように戦うなんて、面倒極まりない。早く言わなければ苦しむだけだぞ」


 身動きが取れないままスグルは必死に目を凝らして、レトリア越しの空を見つめた。

 バロルクが停止して余力ができた分、レトリアの花弁がラトーに対して圧倒的優勢と化していた。赤いレーザーの光が竜巻となって、真っ黒な空を燃やし尽くしている。

 しかし一か所だけぽつんと、レトリアの花弁もラトーにも塗り潰されない純粋な曇り空一点があった。

 レトリアの攻撃が通らない、次元の盲点。上級天使が差し伸べた天へと続く梯子。



少々不測の事態は起きたが、あれが出たということは次の作戦に移れという合図に違いない。

レトリアを倒すまではいかなかったが、をつけることはできた……倒したも同然だ。



 蹂躙される一方だったスグルが、ほくそ笑んで叫んだ。

「今だ!」


 スグルがかっと目を見開くとたちまちその姿は跡形もなく消えて、コックピットに一輪のエクサラタだけが残った。

「……逃げたか。仲間が近くまで降りてる」

 星形の花を縦に咲かせる枝をつまみ上げて、レトリアは空を見上げる。


 ばらばらに殺されるだけだったラトーの群れが重なって、一つの巨大な塊になろうとしていた。



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