第45話 発注元




「放しなさいよ~!子ども扱いしないで!」

「……」


 レトリアの両腕に抱きかかえられてリリカはじたばたともがく。

 ほぼ同じ背丈の少女を抱えているから顎どころか頬にまで頭突きされるような状態が続くが、レトリアは眉一つ動かさず低空飛行を開始した。

 その上で鎧の花弁が絶えず動き、上空から迫りくるラトーの群れを焼き払う。


「今さら何よ、アタシはフラウシュトラス家の人間じゃないのに……。レトリアなんか、もう関係ないのに……」

「知るか。人間なんて、どいつもこいつも同じだ」


 顔を背けてぐずぐずとか細い声をあげるリリカを、無感動にあしらいながらレトリアは上空に目をやる。

 空軍の部隊が動かない。ラトーの前駆体は殺した。スタンツのカラクタを燃料とし、前駆体をブースターにしようとしていたバロルクも力を失った。

 ここでの人間の仕事は終わった。なのに戦闘機もAWACSも全く帰還しようとしない。それどころかラトーの群れに喰いこまんばかりに戦闘が激化している。


 司令部からの指示が届いていないか、それとも……。

 レトリアの赤い眼が鋭く光った。


「見舞いにだって、来なかったくせにぃ~……」

「……スタンツは監視に気付いていた。膠着状態が長引いてお前を巻き込んだことと、奴を人間のままだと過信し、確証に手間取ったことは、謝る」

「こうちゃく?かくしょう?」


 レトリアの口から謝罪の言葉が出るなんて、リリカはきょとんとした。

 が、次の瞬間にはきょとんとするどころではなくなった。


「難しい話は後だ。他の人間どもと逃げることだけに集中しろ」

「きゃあ!?」

 避難誘導にあたっている空軍下士官に向かってリリカをぶん投げると、レトリアとその周囲の鎧は直角に飛び上がって天に突き進んだ。


「れ、レトリア様!?リリカ様も!?」

 突然空から降って来た少女がリリカと気付いて下士官は一層仰天したが、考える暇もなく避難車両に押し込む。

 満杯になった車両から矢継ぎ早に走り出していく。


 ラトーの下を抜けた後も、曇天で塗りつぶされた空は暗く重い。





 〇 〇 〇




 ウロヌスは途方に暮れていた。


 スタンツとの通信が復活したかと思えば、断末魔と物が潰れるときの乱暴な音が響き渡って反射的に耳を塞いだ。


 最後にダンテの「レトリア様!?はっ、はい分かりました。すぐに閉じます!」とダンテの声が響き、それっきり通信は途絶えた。

 何が何だかさっぱりだが、スタンツの神への信仰の篤さがレトリアに敗北したことだけは察した。


 神に選ばれただの、新世界を創るだの、いったい何だったのだ?

 他の全てが老人の妄想だったとしても、カラクタを消去した術だけはせめて知りたかったが……。


 いや、怖いのはカラクタよりも今の状況だ。

 ゲートを開けるのがスタンツだけだったとしたら、ずっとこの宇宙空間に閉じ込められっぱなしなのか?

 二度とラプセルには帰れない?


『……聞こえますか、聞こえますか』


 ウロヌスはストレスのあまり幻聴が聞こえるようになったかと焦った。


『突然遠くから話しかけてごめんなさい。この位置からだと音波より赤外線を使った方がコミュニケーションしやすいので』

「だ、誰だ!?」

『私は神……ではありませんが、神に近い位置に座する者です。あなたのお友達のスタンツには可哀想なことをしました。後もう少しでレトリアの暴走を止められたのですが……』

「俺のことも操り人形にするつもりか!?ラトーの飼い主だか何だか知らんが、神を名乗るならまずここから出してくれ!!話はそれからだ!」

『ああ、すっかり怯えてしまって可哀想に……もちろんそのつもりです。今我々の船が救出に向かっております。じきに収容されるでしょう』


 そのとき、一面窓をびっしりとオレンジの星の光が覆った。

 照らす星の光は増えたのに、逆に夜空はどす黒くなった。

 それが星でも夜空でもなく巨大な戦艦だと、ウロヌスの頭が理解するまでしばらく時間がかかった。





 〇 〇 〇





『各地の怪物ですが、一斉に動きが止まり崩れ出しました。しかし依然としてラトーの急襲は続いており、非常に危険な状態です。防御次元解除が終わるまでは不用意な行為は慎むように……』


 車窓が白い光に包まれていき、いよいよ安全な防御次元とやらに突入か、というところで車が猛烈な勢いで急停止した。前に傾いた俺の身体をシートベルト兼座席分けの綿毛フラルが受け止める。


 いったい何が起きたんだ?


「な、なんだこの空間は?俺たちどこに連れられちまったんだ?」


 ざわめく人々の声につられて窓の外を見た俺は面食らった。

 エメラルドグリーンの青みがかった緑の渦模様に覆われていた。

 渦模様はぐねぐねとうねり、ところどころ人間の唇のような形で真っ暗な穴が開いては閉じる。

 たとえるならそれは、植物の気孔に似ている。

 どこに続いているか分からない、不気味な光景だった。


「ラトーの新型攻撃か?司令部との通信は……駄目だ繋がらない!」

「落ち着け、我々がうろたえたら不安が広がる」

 軍人たちの動揺から見ても、ここが目的地でないことは明らかだった。


 まあ、非力な俺にできることなんてないからさっきと変わらず軍の指示に従うか……と、俺は顔を窓の外から車内に戻す。

 すると、膝の上にあったかくて柔らかい感覚。すっかり聞き慣れた鳴き声。


「ラ~~~」


「ラー!?な、なんでこんなところに?おい、お前エドたちはどうした!?はぐれたのか?」

「ラァー」


「なんだよ、こんなときにうるせえなあ」

「今の声何?猫?」

 騒ぐ俺たちの方を振り向く人らが出てきた。覆いかぶさるように隠してかろうじて誤魔化せているが、この状況は非常にまずい。外の光が差し込んだらさらにまずい。


「とにかく、俺のダウンの中もぐっとけ。いいな?」

「ラッ!」


 ダウンの中に押し込もうとしたら、嫌そうにそっぽを向かれてしまった。

 いつもは素直なラーが珍しく言うことを聞かない。


 カタリン近くのここからジュハロ郊外のツリーハウスまで相当な距離だが、ラーが自力で移動できたとは思えない。

 考えられるのはエドたちと一緒に防御次元に避難する際にはぐれて、別の車両に紛れ込んでしまった線だが……。


「うわあっ!!」

 車全体が乱気流の飛行機のように激しく揺れ出す。

 必死にラーを抱え込んでいると機械的な音声が聞こえてきた。


『スキャン、開始』


 目の前が真っ白になった。すぐ隣にいた人の気配すら消える。


『適合反応有り、超越型天使を確認。搭乗を承認します』


 全身がふわっと浮き上がった。もう綿毛フラルは存在しない。

 あるのはさっきのエメラルドグリーンの空間のみ。一瞬だけ、船酔いのような吐き気が押し寄せた。



 今度は頭の中に直接若い女性の声が流れ込んできた。


『松葉孝司郎、座標107J5Z7“地球”出身……う~ん確かにスキャンによる血液タグ反応はこの人で間違いないけど、なんか想像してたのと違うなぁ……。もっとこう、クールでシュッとしてて、いかにも全次元を救うヒーロー!って感じの~』


「何、地球?今地球って言った?」


『って、うわわっ!聞かれてた!?やばっ、接続始まってる、“天使”たちがハッキングに気付く前に急がなきゃ!!えー……コホン!長き旅を超えてよくぞ目覚めました松葉孝司郎よ、あなたこそラプセルと天使、ラトー、全ての生きとし生けるものを救うべく真の神が遣わした完全にして偉大なる~』


「あの、時間がないんだったらそういう前置き後にしません?」

「ラァ~……」

 ラーも眠そうにあくびして俺に賛同する。


『こういうのは形が大事なんです!モチベ上がるでしょ?……って、何です膝の上のその子は?猫ちゃん?資料では耳が二つの子しか見たことないけど……四つ耳なんてのもいるんですね!後で皆に教えてあげよっ!』

「……ええ、まあ猫です、はい」


 以上の会話から、この声は俺が地球から来たことを知っている、俺やラーを観察できている、猫という生き物を知っているが実物を見たことはない、そしてラトーの幼生の存在は知らない、ということだけは掴めた。


『って、本題に行かなきゃ。とにかく!神に選ばれ、その命を救われた貴方にはこの戦争を終わらせる大命があります。異次元から来た貴方は我々と違ってレトリアの結界の抵抗を受けません。そこで今天使たちが搭乗しようとしているバロルクのうち一体を──』


 察するに、この声はレトリア側でもラトー側でもないらしい。

 化け物の腕を斬り倒したあの男もこの声の仲間だろうか?


「よく分かんないけど、俺がラプセルに連れてこられて、フラルまで使えるようになったのは、貴方がたの仕業ってことすか?」

『そ、そうですそうです!その通りです!』


「カラクタも……」

『ううっ……!だ、大丈夫です!ヒーローの貴方でしたら全部まるっと解決できるはずです!そこで今回は特別に!バロルクの元になった古代のモノリス体をご用意いたしました!これさえあればレトリアも強硬派の天使たちの暴走も解決できます!貴方にはこれに乗ってひと暴れして頂いて、レトリアもカラクタも綺麗さっぱり消し去って~』



「前金は?」

『まえきん?』


「だって戦争を終わらせるためにそのバロなんとかに乗るとかいきなり言われても、俺にメリット何もないじゃないですか。危険そうだし……それこそ世界を救うモチベを上げるんだったら一生豪遊できるぐらいの──」


『うう……こんな人が神に選ばれただなんて……。でもそうですね、いきなり言われてびっくりしちゃいますよね。私たちももう少し早く接続したかったんですが……今回はトラブル多発でぶっつけ本番ということもありますし、そのお詫びもこめて上と相談してみます……』

 俺がゴネると声は案外早く折れた。妙にしおらしい返事が返ってくる。


「え、本番って何?何の本番?」

『ああっ、接続時間が!もう、こんなこと話してる場合じゃないのに!いいですか、今はこれだけ覚えてください!レトリアと“天使”の強硬派は人類およびラトーを利用している。今の戦争はそれが原因で起きている。私たち“アンヌ・ダーター”は“天使”の穏健派であり、この戦争を終わらせてレトリアの計画を阻止するために、歪みを逆に利用して地球から貴方を──』


 若い女性の声がぶつ切りで途絶え、機械音声が再び始まった。


『射出準備、フラル接続開始』


 吹きすさぶ突風の音、歯車がぶつかり合うカチカチとした音、自動ドアが開くときの音をもっとうるさくしたような音、モーターの駆動音、視界は謎なのに、耳に響くのはやけにクリアな音だった。

 だんだん触覚も視覚もはっきりしてきた。機械のアームに手首をつかまれている。


『フラル接続完了、レールチャージ完了』


 さっきまでいた軍用車の内装とは全く違う、蛍光パネルがいくつも並んで青く光るコックピット的な空間。正面に広がる窓は一面の青空というか雲の上で、曇り空もラトーもどこにもない。

 もうエメラルドグリーンの空間すら消え去っていた。


 これ、もしかして、もうバロルクに乗せられている?


『次元非干渉波最大、カウントに入ります。十、九、八……』


 どういう状況だ、夢でも見てるのか?

 しかし掴まれている手首は若干痛く、夢ではなさそうだった。

『三、二、一……』

 俺は必死に首を動かして情報をかき集める。

 掴まれてない方の腕を置いていたレバーには、こう書かれていた。



『命を超えよ、二六の鋏』



『射出』


「どわーーーーーっ!?」

「ラ~~~~~~!!」


 そんなこんなで俺たちが乗り込んだ何かは大空に投げ出されてしまった。

 そんなこんなって何?

 さっきまで車は地面を走ってたんですけど!?

 俺はただ病院で治療受けてたら化け物に襲われて避難車両に乗っただけの、哀れな一般市民なんですけど!?





 〇 〇 〇





「我らが任務は国民の防衛だ!決して深追いや単独行動はするな!」


 本心を押し殺してラムノは最後方のAWACSから各部隊の指揮に当たっていた。

 潰せば潰すほどまた次のラトーたちが降って来る。深追いのしようがない。

 部下たちを下がらせてソフィアとのツーマンセルで群れを一掃してしまいたい。


 しかしそんなことしてもアムリタを無駄に浪費するだけで、分厚い群れの表面だけを撫でて終わることは重々分かっている。敵が数で押してくるなら、こちらも人海戦術で対抗する他ない。


 六機編隊が二手に分かれてフラルミサイルと機銃掃射を浴びせかけ、ラトーの触手に打たれる前に高度を下げて後退して次の編隊が出てくる。

 工場のベルトコンベアのように整然と、しかし虚無な列が続いた。工場で作る商品に終わりがないように、ラトーの群れにも終わりがない。


「大佐、全員避難車両に収容完了!防御次元到達まで残り四分との報告です!」

 じわりじわりと積み重なる味方機の被害・撤退状況を確認し続けていたソフィアの声が、初めて明るくなった。


「よし、聞いたか皆!避難完了までもう少しだ、耐えきるぞ!」


「! 大佐、第四部隊一号機からカメラリンクが!ラトーの上に、人……間……?」

「何!?」


 モニターに大写しになった最前線の映像を観て、ラムノとソフィアは凍りついた。


 真っ黒なラトーの上に、膝を組んで座る女性の白い脚がある。

 人間と見るや否や即座に襲いかかるラトーが、人に懐く馬のようにおとなしく乗られている。






 高度八千M。生身の人間が何の装備もなしに素肌を晒せる筈がない。

 鉄の翼越しに見える人間どもの表情は、見えやしないが大体察しはつく。


 シフォンは戦闘機たちに向かって不敵な笑みを浮かべた。





 〇 〇 〇





 上空に飛び上がったレトリアの鎧を、遮るものがあった。


 鋼鉄すら打ち砕く鎧の花弁を、バロルクの腕が変形したブレードガンが叩き落す。


 レトリアに力を奪われ、バラバラに崩れ落ちた筈のバロルクが、全速力で飛びかかって来た。


 すかさずレトリアも花弁をつなぎ合わせて、鋭い真紅のブレードを作る。

 斬撃がぶつかり合う。

 バロルクのブレードは全て受け止めた。火花が閃光を飛ばして大気を裂く。

 どちらも傷一つつかない。全くの互角だった。


 スグルの甲高い叫び声が轟く。


「斬れるもんか!バロルクはお前と同じ、ハリドラで造られてるもんなぁ!」

「……」


 レトリアには見えない、バロルク内のスグルの眼と口は憎悪と興奮ではち切れんばかりに開ききっていた。


「レトリア・フラウシュトラス……いや、レトリア・トイヒクメルク!亡国の邪神!!神を騙り、人々を地獄に追いやった罪、その死で贖え!!」



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