第44話 審判




 腕を斬られた化け物の動きが鈍ってる隙に、俺は病院内を抜け出す。

 割れた廊下の床を飛び越えるより、壁の隙間から外に抜け出た方が早かった。

 ちょうど軍の救助が駆けつけた頃らしく、ツユ伍長の聞き覚えのある元気はつらつな声が飛んできた。


「マツバさん!」

「ツユさん!」

「怖かったでしょう……でももう大丈夫です!私たち空軍が安全な場所まで皆さんをお連れしますから!空の上は大佐や少尉たちが守ってくれてます!さあ、車に乗ってください!」


 空の上と言われて、俺はふっと頭上を見上げた。

 暗いと思っていたら、空全体が黒く揺れ動く波のようなものに覆われている。

 映像資料で見たことがある。十年前、ラトーが突然襲撃してきたときとそっくりだ。


 けれど映像で見たのと全く同じ空ではない。黒い戦闘機の群れと、一機ひときわ大きくて円盤をくっつけたように胴体が膨らんだ奇妙な航空機は、今ここにしかない光景だった。


 あそこにラムノがいるのか……。


 そう思う間もなく、今度は空から巨大なロボットの足が降って来た。

 避難車両に乗った今では足しか見えないが、そいつは暗闇でも鈍く光る金属の腕を地面に伸ばすと、さっき病院を踏み荒らした四足歩行の化け物を容易く捕まえてしまった。

 抱えられた化け物がほんの少し宙に浮く。化け物とロボットの全長にさほど違いはないようだが、力の差は歴然としている。

 やがて、バリ、バキ、ムシャ、グシャ、と噛み砕くような音が響く。


「ひいっ……!?」

 車内の誰かが震え声をあげた。


「ここから防御次元まですぐです!しっかり伏せていてください!」

 運転手の声援とともに車のスピードが上がり、化け物たちは見えなくなった。

 それでもあの異形の景色と音が頭から離れない。


 俺は唐突に、猿から人類に進化する図を思い出していた。


 四足歩行の獣が二足歩行の人間へ……。

 四足歩行の血濡れの化け物が、二足歩行の金属でできたロボットに食べられて……。





 〇 〇 〇





 見て!お母様が海の底から見つけた聖典よ!

 天の花ってレトリアのことでしょ?もう一人レトリアがいるってことよね?

 この世界はもっと広いんだわ!

 アタシがもう一人のレトリアも見つけて、ラトーを倒してって頼んできてあげる!


『どうして聖典を汚すような真似を?国民を不安にさせる行為はやめてください!』

『先代が見たらどう思うか……』

『そんなことしてないで、もっと復興に力を貸してください!住む家も決まってない子がたくさんいるんですよ!?』


 きっと、どこかにラトーもカラクタもない世界があって、そこなら皆平和に暮らせて、お母様だって、アタシだって……。


『マリヒ様が来てから、ダンテ様はおかしくなってしまわれた』


 違う!お母様はそんな人じゃない!

 お母様は皆に希望を、真実を、見つけてあげようとして……。


『大ウソつきめ。あんな死に方、罰が当たったんだ』


 …………。


 お母様は嘘つきだったの?皆を騙していたの?

 だから海の底に沈んでしまったの?


 ……違う。それこそ嘘だ。

 アタシがお母様に代わって真実を見つけてやる。

 早く海の底に潜れるようにならなきゃ。お母様の探し物の続きをしなきゃ。


 だから力を誇示した。

 フラルで祭りを盛り上げてやった。大人たちがこそこそしてるところに乗り込んで、スタンツの企みだって暴いてやった。


 でも、それで何か変わった?


 イタズラばかりのワガママ娘、フラウシュトラス家の評判を下げるどころか、フラウシュトラス家の娘でさえなかった、捨てられるべき化け物と魔女の子。


 あんなに探し求めていた真実は、酷く苦しくて残酷だった。


 お母様も、最後はこんな気持ちだったのかな……。

 暗い海の底で、ひとりぼっちで、助けなんて、来ない……。




 あちこちで器具が倒れ、割れていく。

 割れて散らばったガラスに、ラトー前駆体を吸収したバロルクの銀の機体が映り込む。

 避難に急ぐ人の群れから離れて、エレベーターに閉じ込められたリリカの存在は、完全に忘れ去られていた。


 忘れていないのはバロルクだけだった。

 無造作に壁を壊し、瓦礫を増やしていく中で、指に当たるエレベーターを拾い上げた。

 頭部の何本も溝に刻まれた部分からレーザーを照射し、鉄塊の中身を確認する。

 そして口を開き、鉄塊ごとリリカを飲み込もうとする。


 ひしゃげたエレベーターの隙間から、リリカはバロルクの真っ暗な口内を目の当たりにした。

 無駄なもの何一つない逆三角形に近い頭部中央、マスクが外れて突然開かれた穴にはたくさんの凸凹があり、一つ一つから細長い触手が伸びている。


 触手はどれも牙のように先端が鋭く尖っている。

 硬質な機械を象徴する外見と、柔らかい動生物を象徴する中身。

 機械の破壊と生物の捕食、全てがリリカを求めていた。


 触手たちがリリカの心に語りかける。



 お前に何かを変える力なんてないよ。

 お前の全部は嘘っぱちだよ。

 お前はフラウシュトラス家の子でも何でもないし、親は嘘つきだ。

 父親だってお前を見捨てた。

 母親みたいに蔑まれて、笑われて死ぬためだけに生まれて来たんだよ。

 さあ、こんな運命喰われて全部おしまいにしちゃおう。



 リリカは恐怖で息が詰まった。


 怖い。

 喰われて死ぬのが、母の汚名をそそげないまま死ぬのが、父に会えないまま死ぬのが、誰からも見捨てられて、何も果たせないまま死ぬのが。


 違う。アタシが、怖いのは……。


「アタシが怖いのは、死ぬことなんかじゃない、諦めてしまうことよ!!」


 エレベーターのドアの隙間から、リリカはバロルクの硬い装甲を引っかいた。

 何の意味もない。跡さえ残らず逆にリリカの爪が削れる。

 それでも、爪を立てた。


 お父様は皆に笑われても、絶対に自分を曲げなかった。

 お母様は深海に沈もうが、絶対に最後まで諦めなかった。


「このまま諦めたりするもんか、絶対に……!」




 〇 〇 〇




「血統とはくだらない。君ほどではないが、私もそう思うよダンテ君。何世代前もの後継者争いで、フラウシュトラス家が三つに分かれてから、私はずっと君や君の先代に従うことを義務付けられていた。その宿命に逆らうことは許されていなかった」


 リリカの小さな抵抗は、遠くから眺めるスタンツの目には映らなかった。


「だがその宿命に君自身が風穴を開けてくれた。血のつながらない子を我が子にするなんて……」


 聖典は開いた。バロルクは目覚めた。

 スタンツのバロルクがリリカを取り込めば、ゲートはさらに開いてたくさんの天使が次元を超えて来れるだろう。


「さあ、新世界の幕開けだ。もうすぐ他の遺跡からもバロルクが集ってくる。此の世と彼の世の濁った混ざり物のリリカこそが新世界の礎となるのだ」


 ダンテの頭を踏みつけながら、スタンツは高笑いした。

 バロルク同様に大きく口を開き、バロルクがリリカを飲み込んだときにその笑いは最高潮に達した。


「ワッハハハハハ!見たかねダンテ君。君が十年かけて育てたはこうしてあるべき場所に帰った訳だ!マリヒ君の魂も迎えに行ってやろうか?アーッハッハッハ……!」




 聖典の石板が目まぐるしく動き回り、あたり一帯光に包まれる。

 バロルクと天使たちが集い、スタンツを讃える。

 あなたこそが我らが救世主、新世界の主……。



 しかし、それらは全てスタンツの妄想だった。

 無音。石板の移動は止まり、“ゲート”を表す空間の歪みは見えなくなった。


「何故だ!?何故発動しない!?」


 うろたえるスタンツから、衰弱していたダンテがやっとの思いで力を振り絞り観測台のスイッチを奪う。

 石板がレールを滑り、最初の位置に戻っていく。光は薄れ、聖典の空間は落ち着きを取り戻していった。


「フラウシュトラス家が三つに分かれたのは、権力争いのせいじゃない……。三つの家が協力しなければ聖典が発動しない仕組みにするためだ!スタンツ……北分家当主のあなたが、権威を重んじるあなたが、その歴史を知らなかった筈はないだろう。それを忘れてしまった時点で、お前はフラウシュトラス家の人間ではない!」

「何ィ!?」


「聖典の真の力……ゲートの存在なんて、先代も何も教えてくれなかった。だがそれが隠されてきたのは、こんな一人の人間の暴走のためではない筈だ。きっと、もっと大きな事態に備えてだ!どんな真実が待ち受けていようと聖典とリリカを守ると、僕はマリヒに誓った……!非力な僕でも、お前の足を引っ張るぐらいならできる!殺されて死体になったって、もたれかかってでも阻止してやる!!」

「どけ、どけと言っているだろう!くそっ、神よ、答えてくだされ。いったい何がどうなっているんだ!」


 慌てたスタンツが病院のカメラ映像を大きく映し出す。

 バロルクのアームから伸びた鋭い爪が、レトリアのもっと鋭い鎧の花弁に弾き返されていた。


『レトリア!』

 レトリアに抱えられて、驚いたリリカの獣の耳がぴくぴくと動く。

 間髪入れずにレトリアはバロルクの首元に飛び込むと、隙間に花弁の殻を流し込んだ。

 内側から亀裂が入り、レトリアが片手で装甲を叩き割る。何かを引きずり出すと、レトリアは眼下のカメラの方に顔を向けた。


『どうせそこから見ているのだろう、スタンツ』

「レ、レトリア様?こんなに速く……おのれ、何がどうなって……」



『安心しろ、お前の盗まれたカラクタは私が取り返してやった』



 そう言ってレトリアは、茶色と黒が混ざり合って腐った色をしたカラクタをカメラの方に突き出してみせた。


「え?」


『人間の言葉で分かりやすく言えばスタンツ、お前はラトに操られたゾンビだ。この五年間ずっとな。今のお前の自我や欲望、意識はラトが作り出したコピーだ。もうその身体も心もお前のものではない。本物のお前は、既に五年前の事故で死んでいる』


 呆然としたスタンツの目が点になる。


 五年前、神に消されたのは私のカラクタではなく、私自身だった?


 そうだ、私はやはりあの交通事故で死んだのだった。

 しかしおかしい。私は事故の後も変わらずずっと自分の意思で生きて、考え、動いてきた。

 本家を超える。本家の力は私こそがふさわしい。この世のカラクタを全て消し去り、私こそが救世主に……。

 あれ、変だ。私とは、誰だ。

 私とは、どこからどこまでを指す?

 頭の外がおかしい。神の囁きが聞こえてこない。

 頭の中はこんなにも鳴り響いているのに。

 お、お、おかしいのはお、お、お前らだ、だ、だ……。



 スタンツの頭が割れた。首から上がはじけ飛び、顎からめくれた皮が満開の花のように垂れ下がった。

 それと同時にバロルクも全身の隙間から赤い液体が噴き出し、ガラガラと手足や胴が崩れ落ちた。



 液体がレトリアの黒いドレスの裾にほんの少しかかった。

 リリカにも聞こえない小さなかすれ声で呟く。


「カラクタのない世界なんて、酷い夢物語だ」



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