第43話 天使たちの行方




 神樹の枝が大樹の壁に育ち、各地で発生したラトー前駆体の進撃からラプセル中の都市や町村の大部分を守る。

 白い枝同士が密接に結び合って築く衝撃吸収フィルターとその枠は、細胞壁やハチの巣に似た正六角形のハニカム構造を彷彿とさせた。



 ユーク・オンリンの背骨はかつての神樹の核で出来ている。



 頭蓋骨陥没、頸椎・脊柱破裂骨折、内臓複数損傷または破裂。

 十年前の最初、神樹の守り手オンリン一族は全滅したと誰もが悲観した。

 十歳のユークは唯一の生き残りではなく、最後に棺の列に加わる死体になる手前だった。


 一方、ラトーの大群にへし折られた神樹も一刻を争う危機的状況に陥っていた。

 アムリタを生み出す地中の根っここそ無事だったが、損傷した幹が腐れば根も腐る。しかし人間の科学では幹を修復することも、新たに作り直すことも叶わない。

 せめて永久機関の核の部分を幹から切り離し、安全な形で保存し直す必要があった。


 安全で、外部からの影響を極力受けず、かつ自由自在にエネルギーを利用する方法。


『その少年を、第二の幹とする』


 レトリアがそう宣言した。



 そして神樹は地中の根とユークの背中に分けられた。

 この世でただ一人、アムリタの摂取なしで無尽蔵にフラルを発動することができ、さらに神樹の力を宿している。


「神樹に頼りきりでは殺された一族に会わせる顔がない」という本人の強い希望から、士官学校を飛び級で入学して卒業、同時にレトリアから対ラトー戦闘・戦術・戦略を叩きこまれたユークは、いつしかレトリアと人々の間の橋渡しをする神官の役割を担うようになった。


 国の象徴と、最重要戦略防衛機能を人の形に変えてでも生かす。

 そこまでして無謀な大手術が決行された理由は他にもう一つある。


 フラウシュトラス家の聖典同様、オンリン一族も代々守り続けてきた領域があった。

 直根部分最奥、アムリタを生み出し、かつて天の国と繋がっていたとされる最も神秘の聖域。

 そこに入れるのはユークただ一人だった。





 インターカムの通信繊維から骨伝導で、通信用の仮想空間を脳内に構築する。

 ユークと、陸海空軍大将と首相、集まった全員それぞれが目の前の現実に起きてる事態、部下への指示伝達、仮想空間内での情報共有、ありとあらゆる領域に脳を全速力で動かしている。


「シミュレーションの計算結果よりも避難誘導が遅れております。特に防御次元から漏れてしまったエリアが深刻で、増員を回しておりますが……何?家が心配で離れたくないって苦情がまだ大量ですって!?もう、補填は後でするって散々放送してるでしょうが!司祭たちにもお願いして引きずり出してもらいなさい!!……失礼しました」

 全国各地の避難状況に頭を痛めつつ、部下に指示を飛ばしつつ、陸軍大将ゲンシャフトが他のメンバーに頭を下げる。


「どこもかしこも数が多くて防戦一方ですわ。それから西の海の方なんですが、超巨大ラトーまで出て来て、今さっき主力部隊の信号が途絶えたと……状況は決して芳しくございません。ですが……」

「ですが?」

 ユークに続きを促され、うつむきかけた海軍大将ツルノヤマがぱっと明るい顔を上げた。


「十年前よりは、はるかにマシですわい。あのときは敵さんの数すら分からんかったですが、今はどこになんぼおるかもはっきり分かります。それに海のもんはおかさんそらさんより荒くれもんも多いですが、波を読む力には長けとりまさぁ。超巨大ラトーの侵攻は止まっとるようですし、きっと粘ってくれてるんですわ。特攻したらゲンコツって言い聞かせましたし、どんだけ遭難しようがカラクタを拝むまでは生きとるって信じてます」


「皆さんのご尽力に、レトリア様に代わって感謝を申し上げます。それからモネネム空大将、ガルダについてですが“終わりのユエ”の方の充電はあとどれぐらいで完了しますか?」



 ガルダ──別名を高次元領域電磁投射砲は、人が持てるショットガンほどの小型の電磁投射砲二門セットだが、それは平時の大きさに過ぎない。


 始まりの砲ナラにユークが持つ神樹の力を連動させると、そのレールは次元を超えた不可視の領域に突入し終わりの砲ユエまで展開する。


 ユーク以外には片方の電磁砲を通った弾丸がフッと姿を消し、遠く離れた別の電磁砲から超スピードでいきなり飛び出てきたようにしか見えない。

 レール間に人や街や山がどれだけあろうと全部無視して、終わりの砲の先だけを狙い撃つ。


 ハダプさえなければ理論上ガルダのレールは宇宙まで延ばすことができ、無限の長さと破壊力も持ち得ると言われている。

 その分充電に時間がかかったり、始まりと終わりのレールをどれだけ距離が離れていても曲げずに真っすぐ繋がるように置かなくてはならない、などの制約も多い。


 レトリアは無差別に殲滅する能力こそ随一だが、逆にごく限られた戦闘区域ではその力を存分に震えないという欠点があった。

 たとえば、人が大勢いる街中に突然降って来た小さなラトーだけを撃つ。

 そういう精密さが要求される状況下のために特別な改造が施された、ユーク専用の電磁投射砲がガルダだった。


「……申し訳ございません。たった今、ユエの充電器が突然故障して充電に失敗したと報告が……ユエ自体に問題はなく、原因の解明と復旧を急いでおりますが、目標時刻に間に合うのは極めて難しく……」


 だがユークの質問に、空軍大将モネネムは苦々しく答えるのがやっとだった。

 海軍同様混迷を極めて連絡も遅れがちな最前線と比べ、ユエのある基地は防衛次元内に位置しラトー前駆体たちからも離れた極めて安全な領域だった。

 そこで不備が発生したと報告するなど、屈辱以外の何ものでもない。


「……先回りされたか」

 ユークは小声で一人呟く。


 敵も本気だ。

 少なくとも、“天使”たちだけは本気で世界を取り戻そうとしている。


「作戦を変更します。撃つべき敵はまず陸地にいる。ガルダで上空を一掃するつもりでしたが、距離は今必要ない。ティルノグでユエのところまで飛んで、私がナラもユエも直接充電します。それからこの一週間以内に発生した全国行方不明者のリストと、ユエが現在収納されている基地周辺監視カメラの映像の提供を各署に依頼お願いします」





 〇 〇 〇





「か、か、家宅捜索!?」


 遡ること二時間前、マツバの催眠療法が終わって間もない頃──ツリーハウス中にニーナの素っ頓狂なキンキン声が響いた。


「こちら令状です。CFRF-αアンテナについて特許権譲渡後に類似品を商用登録し、現特許権者の利益を損ねたとして競争不正防止法違反容疑と、標商法違反容疑がかかっています。前々から捜査へのご協力を何度もお願いしていたのですが、ご対応頂けなかったので……」

 先頭に立つ警部がぼそぼそと喋る。

 慌てて上の研究スペースから降りてきたエドは大きく舌打ちした。これはウロヌス社の手口だ。



 エンデエルデ建設現場の事故原因検証のときもそうだった。

 エド宛の文書の住所をわざと書き間違えて届くのを遅らせる。わざと関係ない文書を届けさせる。途中で紛失したと言われたことすらあった。


 何がどうなってるか把握できないまま、エドの準備が進まない間に向こうはこのデータの監督責任はエドにあった、最終確認をしたのはエドだった、とつらつら状況証拠を並べ立てていった。

 記憶のあやふやな部分を突かれ、マスコミに家族のことさえあることないこと言いふらされ、そして何より事故現場の生々しい血痕を見て戦う気力を失ったエドは、確信が持てないまま自分の罪を認めさせられた。



(マツバがこんな見え透いた罠に引っかかる訳がない、だからこいつらもマツバがいない隙に来たんだろうが……)


「俺は法律についちゃ素人だ。知らないうちに違反してた可能性があるならまず詫びるべきかもしれんが……その前にお宅の署に電話を入れさせてもらってもいいか?令状が本物かどうか確認したい」

「構いませんよ、もっともウチは忙しいんでそんな電話なんか出る暇ないと思いますが」

 一番若い警官がだるそうに答える。

 どれぐらいウロヌス社の息がかかった連中かは分からないが、警察たちも本殿はノウゼン社と言いたげでやる気のない態度だった。


「悪いけど捜索の間は出て行ってください。邪魔すると公務執行妨害になるんで」

「おっ、おい。待て!」

 エドの制止を無視して警官たちがずかずかと踏み入る。


「ん~何だこれは?怪しいぞ」

「あっ、それ……」

 最初に乗り込んだ体格のいい刑事が、スチール棚で一つだけ他と離れた位置に置かれた薬瓶を開けて、そして鼻を抑え込んで悶絶した。


「ぐああああっ!く、くっせえええ……!」


 アンモニア臭に似た強烈な悪臭に他の警官たちも顔をしかめる。

「そ、それ……私が昨日実験で失敗した奴……。何かに使えないかな~……って思って置いてて……注意用のラベルつけるの忘れちゃって、ました……」

「くそっ!玄関先にこんなもの置いて平然としてるなんて、こいつら危険すぎる……まさかテロでも企んでいたのか!?他にも有害物質が紛れてるかもしれん、気をつけて探せ!」

 もう誰もニーナの弁解を聞いていなかった。

 急に目が覚めたように真面目になり出した警官たちを前に、エドとニーナの焦りはふくらむ一方だった。

 他にやましいことなど一切ないが、ラーを見られたら面倒どころの騒ぎじゃない。


「ど、どうしよう、パパパパパ……」

「落ち着け!こういうときのために作っていた非常口があったはずだ。一番上の屋根まで行けばそこからラーは回収できる!警官ども外に見張りを置くの忘れてるから今のうちに動くぞ!」

「うん……でもその非常口まで行くためのリモコンは、家の中だよね……」

「…………」




 エドが「この歳になってあんな上まで木登りだなんて」「こんなことなら普段からフラルを鍛えておけばよかった」「マツバぶっ飛ばす」と、泣き言愚痴怨念諸々ぶつぶつぼやいている頃、最上階のスペースでラーは窓枠にちょこんと座って森の景色を見ていた。


「ラ~?」

 不思議そうに首、と言っていいのかどうか分からない、とにかく四つ耳がついてて目や口のある顔の部分を傾げる。

 風は止んで木々は静まりかえっているのに、木より大きい何かが揺れ動いている。

 あれは何だろう。


 もう一回ラーが傾げようとして、全身くるっと回って窓から床にぺたんと滑り落ちた。

 猛烈な揺れがツリーハウスとそれを支える巨木に襲いかかる。


「う、うわああああ!!」


 警官たちも、エドもニーナも家宅捜索どころの騒ぎではなくなってしまった。

 必死に枝にしがみつくエドを目で追いながらも、ニーナもデッキを這うのが精一杯だった。出しっぱなしのハシゴはブランコのようにぐんぐん揺れてて、とても地面に降りられそうにない。


「ひいいっ……!」

 さらに激しい揺れに、ツリーハウスの中で何かが割れる音が響く。

 最上階を支える枝が傾き、窓も割れた。中から黒い影が飛び出して、隣の木にしがみつく。

 紛れもないラーの姿だった。


「ああっ、ラー!どこ行くの!?」

 動転して身体も声もひっくり返ったニーナの叫びに、ラーは一瞬振り返った。

 しかし立ち止まらない。

 顔の近くのひらひらを振ってみせると、またニーナに背を向けて一目散に木を降りて走り出した。

 肉球が生えたからか、普段ののんびりした様子からは想像もつかない速さだった。



「心配しないで」なのか、「バイバイ」なのか。

 どっちだろうがニーナを半泣きパニック状態にさせるには十分すぎた。


 揺れが大きくなっていく。



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