第42話 地の底の果て




 目を閉じても、瞼越しに稲光が見えた。

 肌がちりちりする……が、痛くはない。


 ずるりと濡れた物を引きずるような音、べちゃりと何かが落下して潰れる音。

 恐る恐る目を開くと、ショベルカーの如き腕の手首から先の部分が地面に落ちていた。


 化け物の腕と俺の間に、一人の男が立っていた。

 男は黒い甲冑をほぼ全身にまとっている。

 右腕だけ甲冑に覆われておらず、ミイラのように瘦せ細って枯れている。そして本来手があるべき部分から、曲がりくねった枯れ枝が何本も無造作に伸びていた。


 枯れ枝の先はどれも鋭い鎌の形になっている。その鎌が同じ弧に沿って集合し、長身の男自身の背をゆうに超す巨大な鎌を形成していた。

 切っ先の一つ一つから、血に似た赤黒い液体が滴り落ちている。


 この化け物みたいな鎌が、あの化け物の手を斬り落としたのか。


「また、ラプセルに戻ってくる日が来ようとは……」


 男が俺の方を振り向いてきた。

 黒い兜は側面に出っ張った角が生えてる一方で、ところどころべこべこに凹んでいる。本来顎と口があるべき部分が半分以上凹んで、代わりに向こうにある化け物の手首の切断面まで見通せた。


 中にいるのは人間なのか、それ以外なのか。兜の下がどうなっているかは、想像もつかない。


「レトリアは、まだ上手くやり通せてるようだな。だが、それもいつまで持つか……」

 なのに男はしわがれた、しかし力強い声色で話す。


「まず助けてくれた礼を言うべきなんだろうが……」

「……」

「その力、その恰好、レトリアを呼び捨て……あんた、いったい何者だ?」


「そう言う貴様も呼び捨てか」

 男が大きく右腕、というかもはや枯れ木を振ると枝の一本一本がするすると折り畳まれていき、人間の腕ぐらいのサイズに折り畳まれた。それでも手首から生えているのは手指ではなく、人間の指だとありえない方向に曲がった枯れ枝数本だった。


「礼を言われる筋合いはない、通り道に邪魔な枝があったから斬っただけだ。しばらく動きが鈍るだろうが、あれを丸ごと片付けるのは今の俺には出来ん。腕が再生しないうちにさっさと逃げろ」

「あの化け物が何か、知ってるのかあんた?」


 忠告を無視して思わず話しかけてしまう俺に、男は目らしいパーツもないのっぺらぼうの兜を向けてくる。せいぜい中央でカクカクと折れて出来た稜線が鼻に見えなくもないぐらいだ。それすらも口元あたりまで行くと凹みきって顔らしさは失われてしまう。


「貴様もしや、俺と同じ次元から来たか?」

 そう言うと甲冑に覆われた方の左腕で、男は俺の首を掴んできた。

 とんでもない腕力でへし折られるかと思った。


「ひいっ!?」

「まさか、な……」


 それだけ言い残して、甲冑の男は廊下の向こう側にするすると消えていった。

 凄まじい迫力に圧倒されるしかなかった。

 割れた壁と壁の隙間から、冷たい冬の嵐が吹き荒れる。

 雪の降る日が減ったとはいえ、春にはまだ遠い。





 〇 〇 〇





「ここが、“新世界”に続く門……」

 船に乗り込んだウロヌスは驚いた口がふさがらなかった。

 スタンツから一言合図が来たと同時に目の前の地下空間全部が歪み、眩しい色の洪水を通り抜けて長い立ち眩みに襲われた。


 さっきまで地下深くの土にまみれていた船が、さらさらと音を立てて流れる水路に浮かんでいる。


 見渡すとアーチ型の窓に囲まれた廊下のような、真っ暗な空間が長く長く続いていた。

 窓の向こうに広がる宇宙空間から、数多の星の光が差し込んでくる。

 地上の夜明け前のように、下へ行くほど眩しい。


 正面奥には幾何学模様の枠で彩られた一面窓が、天井の高さと太陽ルクとその周りを回る惑星ザークルとの位置関係を物語っている。

 漆黒と濃紺の深い宇宙の海、時折煌めく星の砂、それらを下から照らすルクの光。


 ラプセル以外の陸地が沈みきったザークルは、ほぼ海の青一色に染まっていた。

 今窓の一番下側はザークルに覆われ、その裏側から神々しいばかりの後光が出ている。

 ウロヌスたちのいる水路はザークルとルクを見下ろす位置にあった。


 ここはザークルの衛星軌道上なのか?今いる場所は宇宙ステーションの残骸か?全ての人工衛星はハダプの影響で軌道がずれて大気圏で燃え尽きて残りカスをザークルにまき散らしたか、ラトーに破壊されたかで全滅したはずだ。

 まだこんな生き残りがあったというのか……。


 レトリアでさえ越えられないハプダの向こう側に来たことを確信し、ウロヌスは衝撃に打ち震えた。

 神の恩寵は実在している。



『そこは正確に言えば我らが衛星ラダ、底の国の水面だ。光が流れている眩しい空間を通って来ただろう?君らの船はラトーたちの群れがうじゃうじゃいる底の底だまりを一瞬でワープしてきたのだ』


 こんなところでもスタンツと通信が繋がる。

「ラトーはラダから来てたのですか!?」

『正確には別次元の滅びた方のラダから、だ。だから我々には遥か銀河の向こうから、いきなりハプダの成層圏付近に現れるようにしか観測できなかった。私が聖典の真の力を解放し、それから“天使”の協力を得て、地下遺跡とラダ、そして聖典を繋げた。君たちでの実験は成功し、遺跡からラトーが群がる別次元を経由して安全にラダまで来られた。ラトーに囲まれてる感覚などなかっただろう?バロルクはそちら側には来てないな?よろしい。バロルクは“天使”の近くに運ばれた。まさしく私の思うがままだ。じきに私は神の片腕としてラプセル、いやザークルのどこにでも瞬時に移動できるようになる』


「別次元?滅びた?じゃあダンテ様の散々叩かれてた学説は結局……いや、そんなことより……」

『ああ、まだ船の外に出てはいけないよ。一瞬で身体がバラバラになるからな、ロックを確認しておきたまえ。安全な時が来たら地上に繋がるゲートを開く。本来ブラックホールもその中に発生するゲートも、とても生き物が通り抜けられるような空間ではない。君たちはCFRF素材の海洋結晶体部分に守られている。ブラックホールにも、ブラックホール内の亜空間にもびくともしない絶対遮断隔壁……私たちから見たら進化の異端、海鳥の餌でしかない魚たちだが、あれこそ神がザークルに遺しておいてくださった天からの贈り物なのだ。

 わざわざ宇宙になんか出なくても、選ばれた者のみが通れる特別な道がある。私がCFRFにこだわった訳がようやく理解できただろう』


「す、素晴らしい。ですが聖典と神の御力でハダプの外に出られるのなら、なぜその聖典がわざわざエンデエルデの建設を命じたのですか?」


『これはあくまで非常手段だ。本来は聖典のシナリオ通り、エンデエルデがハダプとラトーを片付ける予定だった。しかしレトリア様が暴走してラトーを必要以上に殺戮し、このままだとラプセルの人々を守るという機能すら危うくなる。だから代わりの救世主に選ばれた私が、人々をより神が近い場所であるそちらのラプセルに運ぼうという訳だ』


 やっとウロヌスにも概要が掴めてきた。

 聖典の最奥と地下遺跡、月ラダはブラックホールを介して繋がっている。

 ブラックホールというと一つの星以上のサイズを思い浮かべるが、極微小サイズになっているらしい。


 そしてラプセル、というか惑星ザークルは二つ存在している。

 今からスタンツはカラクタの病魔に蝕まれたラプセルを、丸ごと綺麗な空気の方のラプセルに移す、尋常ならざる神の奇跡をやろうというらしい。


「大体のことは何となくですが分かった気がします。それで、私めはここで一体何をすればいいんで?」

『さすが働き者のウロヌスくんだ。君らはせいぜい見張りをしてくれればいい。しばらく船から出られないのは不便だが、そこは今宇宙で一番安全で、レトリア様さえ近づけない場所だ。なにせ私の自由意思が鍵なのだからな。ただし声は届くかもしれん。

 いいか?レトリア様や他の者に何を言われても、絶対にそこから出るんじゃないぞ。

 そこに連れて行けるのは限られた人数だ。電波は届くようにしてるから、特等席でショーを楽しみたまえ』


 スタンツがそう言った途端通信の接続が怪しくなった。

 ウロヌスの軽い調子を装った頼みごとが、雑音混じりではっきり聞き取れなくなる。


『あのー決して神とスタンツ様を疑う訳ではないのですが、念のためにそちら側に戻れるゲートを開いてもらえますと……子供が怖がっておりまして……』

「よろしく頼んだよ。私もゴミを片づけたらすぐそちらに向かう」

 ぼろ雑巾のようにうずくまるダンテを見下ろしながら、スタンツはそう一方的に締めくくった。



 足元のはるか下で、今にもドッキングエリアを飲み込まんばかりに光が渦巻いている。

 レールと石板の影がそれを遮ろうとするが、大海に石を投げるようなものだった。





 〇 〇 〇





 空飛ぶレトリアの周りを赤い薔薇が何個もくるくると回る。

 回って、狙いを定めて、花弁は銃身に、中央は銃口に変形した。


 群体レーザーに変形した鎧が四方八方のラトーを焼き払い、レトリアを遮るものは何もない。

 ユークの眼が特定したラトー前駆体の核を目指す。


 進行方向のラトーたちが上方、正面、下方に分かれて列を作る。

 あらゆる角度から八の字になって強酸の液体が逃げ場なく飛びかかってくる。

「弾幕を思い出したか。無駄だというのに」


 花弁の盾を前方と後方に敷いてレトリアが速度を上げると、それ自体が弾丸となって酸の膜をラトーごと斬り裂いた。

 前方の赤い盾が黒く染まり、真下の雲まで酸が飛び散る前に後方の盾が全て吸い上げる。

 赤と黒の飛沫が成層圏に飛び散る。一滴だけレトリアの頬に降りかかり、鉄に似た機械形態の内皮が剥き出しになった。たちまち修復機能が働いてつるんとした表皮に戻る。


 目の前の群れは気にも留めずに、レトリアは思案を巡らす。



 の狙いはエンデエルデと神樹の破壊だ。

 それが無理でも、人類を引っかき回して私への不信感を植え付ければ上出来といったところか。

 世界の救済、人類の選別、ハダプとカラクタの消滅。


 違う。

 そんなもの、奴には全て児戯でしかない。


 スタンツにも他の天使たちにも、おとぎ話を吹き込んだその声は優しく甘く、さぞ魅力的だっただろう。



「だが、私はお前らの遊びに付き合っている暇はない」


 次々来るラトーの追撃を、レトリアは最低限の攻撃だけで振り払う。

 レーザーはのべつ幕なし焼き払うが、離れた距離にいるラトーは追わない。



『レトリア様』

「何の用だ」


 ユークからの通信に応じながら、指の先からさらに鎧の花弁を生やして弾数を増やす。


『ラトー召喚規模、拡大しています。当初予想の倍は上回るかと』

「いくら駒を使おうと、奴の距離だとそこまでの操作はまだ不可能だ。何か仕掛けがある、もう一度スタンツを始めとする駒の情報を洗い直せ」


『承知しました。軍は半数は救護と避難誘導、もう半数は第一防御次元内にて第二戦闘配置で待機させておりますが──』

「カタリンより南の部隊は全て出撃せよ。私が南に進路を変え次第速やかに退避に移るように。前駆体同様足止めだけでいい、深追いはするな。後は好きにしろ」


『人や一般兵器では埒があきません。今こそガルダを発動すべきと思うのですが』


 積極的になったユークの意見に、レトリアの眉が微かに動いた。

 戦局が変わったのをかつてなく実感する。


 神の力を使わなければ、奴には勝てない。しかし神の力は、人が動かなければ使えない。

 エンデエルデも、ガルダも。

 なんて悪趣味な、世界──


「分かった。ただしお前も防御次元からは極力出るな。奴の狙いはエンデエルデと、お前の背中の神樹だ」



 そう言い終えるとレトリアは後方のレーザーを増やして、自らの加速に利用した。

 赤い流星が天を裂いていく。









 スータム山脈はエンデエルデを抱きかかえるようにラプセル北端に位置し、最高峰トヌヒリの標高は9,000mを超える。


 山脈全域を見下ろす雄大な氷景色を誇るその山頂付近に、軍部とマウパルル天文台の観測隊で構成された分析機関の本部が存在する。




 その管制室、中央制御台は不気味なほど静まりかえっていた。

 誰も口にしたくはない。望遠鏡が採集した電磁波の正体を、コンピュータがモニターに映し出す計算結果を、口にした途端現実が襲いかかってくる。


 しかし、誰かが言わなくてはならない。

 一番メインモニター近くにいるオペレーターが、観念して声に出す。



「これより二時間以内に出現するラトーの総数、その数……さ、三千、万……!」


 その声と手が小刻みに震えた。


「範囲……全、ラプセル領土……!?」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る